平成エンタメ研究所

最近は政治ブログのようになって来ました。世を憂う日々。悪くなっていく社会にひと言。

麒麟がくる 第26回「三淵の奸計」~歴史を動かすのは暴力手段。理想主義で汚いことに手を染めない光秀は……

2020年10月05日 | 大河ドラマ・時代劇
 脚本・池端俊策さんは毒殺が好きだねえ。
 阿君丸(森優理斗)を毒殺してしまった。

 動機は政争。
 足利義昭(滝藤賢一)の上洛をおこないたい朝倉義景(ユースケ・サンタマリア)と反対派の対立。
 義昭が朝倉でなく、信長(染谷将太)によって上洛を果たしたら、義景の面子は丸つぶれになる。
 義景の意気を阻喪し、面子も保てる手段が、嫡子・阿君丸の殺害だった。
 これを共謀・実行したのは、三淵藤英(谷原章介)と朝倉家家老・山崎吉家(榎本孝明)のようだ。

 問題解決の手段としての「毒殺」「暗殺」。
 政治とはこういうものなのか?
 こういう形で歴史や物事は動く。

 一方、これらから離れて、きれいな所にいるのが光秀(長谷川博己)と義昭だ。
 彼らはこの件をどれくらい知っていたのか?
 光秀は知っていて容認していたのか?
 事後に聞いて、その背後に蠢くものを察知・容認したのか?

 いずれにしても理想主義やきれいごとでは物事は動かないんだよなあ。
 残念だけど。
 おそらく光秀や義昭の理想は、今後こうした力に押しつぶされていくのだろう。

 そんな光秀が本能寺での信長殺害という「暴力手段」で問題解決するのが興味深い。
 …………

 さて、ここからが大河ドラマの主人公論。

 大河ドラマの主人公というのは、基本『理想に燃えた正しい人』でなければならないので、どうしても無力な存在になりやすい。
 歴史を動かすのは欲望や力の大きい者たちで、主人公は無力感に苛まれたり、振りまわされたり、傍観者になったりする。

 今回の件で、光秀は主体的に毒殺に荷担していたら違った主人公像になっていたのだが、大河ドラマの良識はそれをさせなかったようだ。
 まあ、大河ドラマの主人公はこれくらいの薄味がいいのかな?
 とは言え、光秀以外のまわりの人間も、今の所、強烈な存在感のある人物がいないからなあ。
 前半の道三(本木雅弘)のような人物がいない。
 濃い人物ばかりの『半沢直樹』などを見ていると、なおさら『麒麟』の薄味を感じてしまう。

 ドラマ本編では越前編が終わるようだし、そろそろ織田家に入って兵力と財力を持った光秀を見てみたい。
 あるいは、光秀のような人物はずっと浪人で世俗にまみれない方がいいのかもしれない。

コメント (2)
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