平成エンタメ研究所

最近は政治ブログのようになって来ました。世を憂う日々。悪くなっていく社会にひと言。

麒麟がくる 第28回「新しき幕府」~信長、権力を行使する快楽に酔う。将軍の威光も理解する

2020年10月19日 | 大河ドラマ・時代劇
 なるほど~、池端俊策さんはこれをやりたかったのか。
 信長上洛後の権力闘争。
 三好・織田・足利幕府の旧勢力(摂津晴門)の確執。
 そして本圀寺の変。

 面白かった。
 何しろ光秀(長谷川博己)と将軍・義昭(滝藤賢一)のまわりには、権力亡者、悪いやつ、おかしなやつしかいないのだから。

 三好は都で権力を取り戻すことを狙っている。
 幕府の旧勢力・摂津晴門(片岡鶴太郎)は私利私欲に走り、織田を成り上がり者と蔑み、三好と手を結ぼうとしている。
 信長(染谷将太)はズレ始めている。

 まず、三好×摂津晴門のコラボはまずいな。
 結局、元の木阿弥、悪政で混乱と疲弊の都に戻るだけ。
 とは言え、信長も。

 信長は権力を使うことに酔い始めている。
 二条城の築城。
 二ヶ月で城をつくるために近畿の大工・石工を総動員。
 強大な権力を行使しなければできないことだ。
 これを成し遂げれば、「すごい」「ありがとう」「頼りにしている」と言われるから信長は嬉しくてしょうがない。
 信長は権力を使うことに快感を覚えている。

 その権力のもとになっているのが『将軍の威光』。
「将軍の威光とは凄まじいものだな。わしの力ではここまで人は集まらぬ」
 みたいなことを信長は光秀に言っていたが、権力を行使するには将軍の威光が必要であることに気づいた様子。

 一方、そんな信長には「心」がない。
「大きな国」を造ることでは光秀と一致しているが、その中身はずいぶん違う様子だ。
 光秀や義昭は「平和」「安寧」「慈愛」といった思いで「大きな国」をつくろうとしているが、
 信長の場合は「光秀に言われたから」「褒められたいから」「次の目標が見つからないから」「いくさをしたいから」みたいな動機で動いてる。
 その象徴が石仏に対する態度。
 石仏を蔑ろにする信長は石仏が内包する「慈愛」や「安寧」や「民の祈り」みたいなものを理解していない。
 合理的と言えばそれまでだが、信長の心の中心には何があるのだろう?
 温かみがなくて、すごく空っぽな感じがする。

「空っぽな信長」「空洞な信長」
 これはすごいコンセプトだなあ。

 心細い義昭が信長の手を握って傾倒し、それを冷静に見ている光秀の対比も面白い。
 義昭に感謝され、頼りにされて、信長はさぞ嬉しかったことだろう。
 
コメント (4)
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