平成エンタメ研究所

最近は政治ブログのようになって来ました。世を憂う日々。悪くなっていく社会にひと言。

麒麟がくる 第42回「離れゆく心」~十兵衛となら麒麟を呼んで来られるのではないか

2021年01月25日 | 大河ドラマ・時代劇
「十兵衛となら麒麟を呼んで来られる」
「そなたひとりの京ならば考えもしよう」
 将軍・義昭(滝藤賢一)の言葉だ。

「本能寺」への動機づけが次々と描かれている感じですね。
 前回は帝(坂東玉三郎)。
 今回は義昭。

 ふたりで鯛を釣るシーンで、光秀(長谷川博己)が鯛を釣り上げ、
「でかした、十兵衛」
 と義昭が叫んだのは、かつてのふたりの姿が思い出されて感慨深い。

「十兵衛となら麒麟を呼んで来られる」
 という言葉は光秀の背中を押したんじゃないかなあ?

 京に義昭が戻ってくれば、毛利を始め、反信長勢力が呼応する。
 そうすれば、義昭をトップに据えた政権が誕生する。
 織田の力は侮れないが、要の信長(染谷将太)がいなければ、案外脆いのではないか?
 織田家の中には、信長に不満を持つ者も見受けられる。
 顕在化して死んでいたのが、松永久秀、荒木村重。
 家康(風間俊介)など、潜在的に不安・不満を持っている者はたくさんいそうだ。
 ならば……!
 光秀はこう考えたに違いない。

 そして、信長との亀裂。
 家康について信長は光秀と議論して、
「追いて参らねば成敗するまでじゃ」
 帝に関しても不穏な動きがあると、
「代わってもらおう」「御譲位していただこう」
 これを光秀が諫めると、信長はついに光秀を扇で殴打。

 秀吉(佐々木蔵之介)とは決裂。
「そなたがいれば説得の妨げになる!」
 光秀、秀吉のことが嫌いだよね。
 光秀には、信長の狂気を秀吉が煽り、間違った方向に走らせているように見えるのかもしれない。
 
 徳川家康は「誇り」という言葉を使った。
「理不尽な申されようがあれば、おのれを貫くしかありません。
 これには三河の誇りがかかっております」

 今作で「誇り」という言葉はキイワードのひとつで、
 光秀の母(石川さゆり)の教えであり、
 松永久秀(吉田鋼太郎)が平蜘蛛に託して伝えた言葉でもあった。

 光秀は「今の自分は誇りをもって生きているのか?」と自問したに違いない。
 このまま信長に追随すれば、「誇り」のない秀吉のような存在になってしまう。

「本能寺の変」まで、あと2回。
 ここ数話をかけて、光秀の本能寺に至る気持ちを描いている。
 予告を見ると、次回光秀の背中を押すのは帰蝶様(川口春奈)のようだ。


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2 コメント

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精神的には (コウジ)
2021-01-26 09:22:32
TEPOさん

いつもありがとうございます。

信長の光秀に対する思いは、基本「愛」ですよね。
・光秀だけはわかってほしい。
・味方であってほしい。
・自分の考えを正しいと言ってほしい。
・でも光秀の諫言も聞いてみたい。
信長の孤独が見て取れます。

光秀の決起の理由のひとつは「義昭をトップにした政権の樹立」なんでしょうね。
信長はどんどんおかしくなり、
帝や家康など、信長から人心は離れ始めている。
従わぬ者はすべて成敗。
これでは平和な世は来ない。
であれば、義昭を中心にした政権の方が有効ではないか。

さらに決起の理由をあげれば、前回言っていた
・信長を押し上げ、狂わせてしまった責任
・狂気の信長を救いたい
なのでしょうか。

光秀の救いは、
・自分の信念に基づいて生きたこと。
・信長を押し上げてしまった責任を取ったこと。
・苦しむ信長を救ったこと。
でしょうか。
政治的には構想が失敗するので救われませんが、
おそらく、本能寺では信長と理解し合い、心を通わせるでしょうし、帝、義昭、駒などの心に刻まれ、精神的には救われるのかもしれませんね。
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皆に愛される光秀 (TEPO)
2021-01-25 22:57:48
>前回は帝。今回は義昭。
>次回光秀の背中を押すのは帰蝶様のようだ。

光秀は彼に好意を抱く皆に「背中を押される」という構図ですね。
今回、駒も義昭と光秀を繋ぐ「好意」のリンクに復帰しました。
さらに言えば、今回光秀に苦境を打ち明けた家康も、少年人質時代の回顧から語り始めているところからして、「好意を持って背中を押す」一人と言えるでしょう。

実は、信長でさえも光秀が好きだからこそ、殴打しながら「何故こうなるのだ!」と叫んでいる。

エピローグで一回使うと思いきや、本能寺は最終回のようです。
だとすると、光秀の救いはどこに置くのでしょうか。
皆に愛されたからこその決起だった、ということだけでよいのでしょうか。
本能寺にいたる思いは納得できたとしても、ただちに秀吉に敗れるという史実は動かせないでしょう。
どこまで描くのでしょうか。
さすがに天海展開はないでしょうし。
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