林芙美子の『放浪記』
森光子さんの舞台で有名だが、実は林芙美子の恨みつらみを書いた日記である。
発表を目的としていない日記なのでともかく読みにくい。
人間関係もわかりづらく時系列もメチャクチャだ。
でもこれが出版されると大衆の心を掴み、ベストセラーになった。
林芙美子が人気作家になるきっかけにもなった。
ではなぜベストセラーになったのか?
それは書かれていたことが林芙美子の「必死な叫び」だったからだ。
嘘偽りのない本音だったからだ。
これが日々苦しい生活を送る庶民の心をとらえた。
『放浪記』の中の言葉はすべて『心をえぐる詩』である。
というわけで、そのいくつかを紹介していきます。
………………………………………………………………
まずは『貧乏』について。
林芙美子は食べるために、女中、女工、カフェの女給、産婆助手、事務員など様々な仕事をした。
しかし、どれも長く続かなかった。
彼女が『生まれながらの放浪者』だからである。
そして、こんな言葉──
『朝から水ばかり飲んでいる。盗人に入る空想をする。どなた様も戸締まりに御用心』
『私はやっぱり食べたいのです。階下の人達が風呂へ行ってる隙に味噌汁を盗んで飲む。
神よ笑い給え。あざけり給えかし。ああ、あさましや芙美子消えてしまえである』
『朝から晩まで働いて六十銭の労働の代償をもらって帰る。
土釜を七輪に掛けて机の上に茶碗と箸を並べると、つくづく人生はこんなものだったのかと思った』
『地虫のように太陽から隔離された歪んだ工場の中で、コツコツ無限に長い時間と青春と健康を搾取されている』
『あぶないぞ! あぶないぞ!
あぶない不精者ゆえ、バクレツダンを持たしたら、喜んでそこら辺へ投げつけるだろう。
こんな女が一人うじうじ生きているよりは、いっそ早く、真っ二つになって死んでしまいたい』
『日本の社会主義者よ。いったい革命とは、どこを吹いている風なのだ』
『ヘエ、街はクリスマスでございますか。
信ずる者よ、来たれ主のみもと……何が信ずる者でござんすかだ。
イエスであろうと、御釈迦さまであろうと、貧しい者は信ずるヨユウなんかないのだ』
『眼が燃える。誰も彼も憎たらしい奴ばかりなり。
ああ私は貞操のない女でございます。一つ裸踊りでもしてお目にかけましょうか。
お上品なお方達よ、眉をひそめて、星よ月よ花よか!
私は野育ち、誰にも世話にならないで生きて行こうと思えば、オイオイ泣いてはいられない』
『熱い御飯の上に、秋刀魚を伏兵線にしてムシャリと頬ばると、生きている事もまんざらではない。
沢庵を買った古新聞に、北海道にはまだ何万歩という荒れ地があると書いてある。
ああ、そういう未開の地に私達のユウトピアが出来たら愉快だろうと思うなり』
すごいな。圧倒される。
『バクレツダンを持たしたら、喜んでそこら辺へ投げつけるだろう』笑
エネルギーの塊の林芙美子の言葉は読むと元気をもらえる。
『放浪記』が当時の庶民の共感を得た理由はここにあるのだろう。
次回は、売れない作家・林芙美子の心の叫びを紹介していきます。
森光子さんの舞台で有名だが、実は林芙美子の恨みつらみを書いた日記である。
発表を目的としていない日記なのでともかく読みにくい。
人間関係もわかりづらく時系列もメチャクチャだ。
でもこれが出版されると大衆の心を掴み、ベストセラーになった。
林芙美子が人気作家になるきっかけにもなった。
ではなぜベストセラーになったのか?
それは書かれていたことが林芙美子の「必死な叫び」だったからだ。
嘘偽りのない本音だったからだ。
これが日々苦しい生活を送る庶民の心をとらえた。
『放浪記』の中の言葉はすべて『心をえぐる詩』である。
というわけで、そのいくつかを紹介していきます。
………………………………………………………………
まずは『貧乏』について。
林芙美子は食べるために、女中、女工、カフェの女給、産婆助手、事務員など様々な仕事をした。
しかし、どれも長く続かなかった。
彼女が『生まれながらの放浪者』だからである。
そして、こんな言葉──
『朝から水ばかり飲んでいる。盗人に入る空想をする。どなた様も戸締まりに御用心』
『私はやっぱり食べたいのです。階下の人達が風呂へ行ってる隙に味噌汁を盗んで飲む。
神よ笑い給え。あざけり給えかし。ああ、あさましや芙美子消えてしまえである』
『朝から晩まで働いて六十銭の労働の代償をもらって帰る。
土釜を七輪に掛けて机の上に茶碗と箸を並べると、つくづく人生はこんなものだったのかと思った』
『地虫のように太陽から隔離された歪んだ工場の中で、コツコツ無限に長い時間と青春と健康を搾取されている』
『あぶないぞ! あぶないぞ!
あぶない不精者ゆえ、バクレツダンを持たしたら、喜んでそこら辺へ投げつけるだろう。
こんな女が一人うじうじ生きているよりは、いっそ早く、真っ二つになって死んでしまいたい』
『日本の社会主義者よ。いったい革命とは、どこを吹いている風なのだ』
『ヘエ、街はクリスマスでございますか。
信ずる者よ、来たれ主のみもと……何が信ずる者でござんすかだ。
イエスであろうと、御釈迦さまであろうと、貧しい者は信ずるヨユウなんかないのだ』
『眼が燃える。誰も彼も憎たらしい奴ばかりなり。
ああ私は貞操のない女でございます。一つ裸踊りでもしてお目にかけましょうか。
お上品なお方達よ、眉をひそめて、星よ月よ花よか!
私は野育ち、誰にも世話にならないで生きて行こうと思えば、オイオイ泣いてはいられない』
『熱い御飯の上に、秋刀魚を伏兵線にしてムシャリと頬ばると、生きている事もまんざらではない。
沢庵を買った古新聞に、北海道にはまだ何万歩という荒れ地があると書いてある。
ああ、そういう未開の地に私達のユウトピアが出来たら愉快だろうと思うなり』
すごいな。圧倒される。
『バクレツダンを持たしたら、喜んでそこら辺へ投げつけるだろう』笑
エネルギーの塊の林芙美子の言葉は読むと元気をもらえる。
『放浪記』が当時の庶民の共感を得た理由はここにあるのだろう。
次回は、売れない作家・林芙美子の心の叫びを紹介していきます。
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