ロンドンハーツ『未来の狩野☆村上を探せ!ドッキリ芸人オーディション!』
このオーディションで見事グランプリに輝いたのは、とろサーモン・久保田和靖さん。
久保田さんは、有吉弘行さんが「こいつ、好きになれないわー」というほど、アクが強くブラック。
ドッキリで、仕掛け人の偽プロデューサーにムチャブリされると、半ばキレ気味のツッコミで返し、同じく仕掛け人の、通りすがりのお姉ちゃんが上から目線で道を聞いてくると、イライラし始め、やがて「誰がお前なんか相手にするか!」と怒り出す。
久保田さんは、ある意味<劇薬>ですね。
視聴者は、イライラしてすぐキレるような人、あまり見たくないですから。
同じキレ芸でもカンニング竹山さんは芸になっている。
いじられてキレるというのが暗黙のルールとして視聴者に認知されている。
でも、久保田さんの場合はドッキリというせいもあり、本当に怒っている感じ。
すべてを強めのツッコミで返すという芸風もどうなんだろう?
だが、ロンブー淳さんは久保田さんをグランプリに選んだ。
その理由は、芸人は「ただピュアなだけじゃダメで、どこか根っこが腐っていなければダメだから」
この「どこか根っこが腐っている」という評価基準が面白い。
考えてみると、狩野英孝さんは、<うぬぼれ>が強いナルシスト。
フルーツポンチ村上さんは、卑屈でお酒を飲むと他人の悪口を言いまくる<鬱屈野郎>。
これが淳さんの言う「どこか根っこが腐っている」ということなのだろう。
このように芸能界では、一般社会では敬遠されるマイナス要素が、個性として重宝される。
もちろん、<ナルシスト><鬱屈野郎><イライラ野郎>がそのままテレビに出れば視聴者に敬遠されてしまうが、それが薄められれば面白くなる。
劇薬が薄められて薬になったり、悪臭のするものが洗練されて香水になるのと同じである。
植物にたとえれば、テレビに映るのは、地上の葉っぱや花、茎の部分であって、地面の下の根っこが多少腐っていても問題はない。
というわけで、とろサーモン・久保田さん、ロンブー淳さんの料理手腕で、どのような<味>を出していくか楽しみです!
このオーディションで見事グランプリに輝いたのは、とろサーモン・久保田和靖さん。
久保田さんは、有吉弘行さんが「こいつ、好きになれないわー」というほど、アクが強くブラック。
ドッキリで、仕掛け人の偽プロデューサーにムチャブリされると、半ばキレ気味のツッコミで返し、同じく仕掛け人の、通りすがりのお姉ちゃんが上から目線で道を聞いてくると、イライラし始め、やがて「誰がお前なんか相手にするか!」と怒り出す。
久保田さんは、ある意味<劇薬>ですね。
視聴者は、イライラしてすぐキレるような人、あまり見たくないですから。
同じキレ芸でもカンニング竹山さんは芸になっている。
いじられてキレるというのが暗黙のルールとして視聴者に認知されている。
でも、久保田さんの場合はドッキリというせいもあり、本当に怒っている感じ。
すべてを強めのツッコミで返すという芸風もどうなんだろう?
だが、ロンブー淳さんは久保田さんをグランプリに選んだ。
その理由は、芸人は「ただピュアなだけじゃダメで、どこか根っこが腐っていなければダメだから」
この「どこか根っこが腐っている」という評価基準が面白い。
考えてみると、狩野英孝さんは、<うぬぼれ>が強いナルシスト。
フルーツポンチ村上さんは、卑屈でお酒を飲むと他人の悪口を言いまくる<鬱屈野郎>。
これが淳さんの言う「どこか根っこが腐っている」ということなのだろう。
このように芸能界では、一般社会では敬遠されるマイナス要素が、個性として重宝される。
もちろん、<ナルシスト><鬱屈野郎><イライラ野郎>がそのままテレビに出れば視聴者に敬遠されてしまうが、それが薄められれば面白くなる。
劇薬が薄められて薬になったり、悪臭のするものが洗練されて香水になるのと同じである。
植物にたとえれば、テレビに映るのは、地上の葉っぱや花、茎の部分であって、地面の下の根っこが多少腐っていても問題はない。
というわけで、とろサーモン・久保田さん、ロンブー淳さんの料理手腕で、どのような<味>を出していくか楽しみです!
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