ヤン・ウェンリーの人生観・権力観について語ろう。
イゼルローン要塞を落としたヤンは退役を申し出る。
ついに夢の年金と退職金を手に入れて、大好きな歴史の研究に専念できるのだ。
だが、軍が優れた用兵家を手放すわけがない。
以下は、軍のシトレ元帥とヤンのやりとり(原作抜粋)──
「辞めたいというのかね? しかし君はまだ三〇歳だろう」
「二九歳です」
「とにかく医学上の平均寿命の三分の一もきていないわけだ。
人生を降りるには早過ぎると思わないのかね」
「本部長閣下、それは違います」
若い提督は異議を唱えた。
人生を降りるのではなく本道に回帰するのだ。
いままでが不本意な迂回を余儀なくされていたのである。
彼はもともと歴史の創造者であるよりも観察者でありたかったのだから。
「歴史の創造者」であるよりは「観察者」でありたい。
これがヤンの望む生き方だった。
しかし、自分の思ったとおりに生きられないのが人生だ。
シトレに
「わが軍が必要としているのは君の歴史研究家としての学識ではなく、用兵家としての器量と才幹なのだ」
「第一三艦隊をどうする? 創設されたばかりの君の艦隊だ。君が辞めたら彼らはどうする?」
と詰められて、軍に残ることになる。
部下のワルター・フォン・シェーンコップからはこんなことを言われる。
「まじめな話、私は提督のような方には軍に残っていていただきたいですな。
あなたは状況判断が的確だし、運もいい。
あなたの下にいれば武勲が立たないまでも生き残れる可能性が高そうだ」
「私は自分の人生の終幕を老衰死ということに決めているのです。
一五〇年ほど生きて、よぼよぼになり、孫や曾孫どもが、やっかい払いができると嬉し泣きするのを聴きながら、くたばるつもりでして……壮絶な戦死など趣味ではありませんでね。
ぜひ私をそれまで生き延びさせて下さい」
シェーンコップらしいひねりの効いた言葉だ。
「壮絶な戦死など趣味ではありませんでね」
という言葉にも僕は共感する。
…………………………………………………………
権力について、ヤンはシトレ元帥にこんなことを語っている。
「私は権力や武力を軽蔑しているわけではないのです。
いや、じつは怖いのです。
権力や武力を手に入れたとき、ほとんどの人間が醜く変わる例を、私はいくつも知っています。
そして自分は変わらないという自信を持てないのです」
「とにかく私はこれでも君子のつもりですから、危うきには近づきたくないのです。
自分のできる範囲で何か仕事をやったら、後はのんびり気楽に暮らしたい──そう思うのは怠け根性なのでしょうか」
ヤンの人生観は、軽やかでさわやかで、実に潔い。
権力を求め、宇宙を手に入れようとするラインハルトとは対照的でもある。
もっともラインハルトは、権力を手に入れても醜くならず、公正に使える稀有な人物なのだが。
・歴史の観察者でありたい。
・権力は人を醜くする。
・自分のできる範囲で仕事をやったら、のんびり気楽に暮らしたい。
これらのヤンの言葉は僕の中に刻まれている。
※追記
「怠け根性なのでしょうか」と問うヤンにシトレはこう答える。
「そうだ、怠け者だ」
「私もこれでいろいろ苦労もしてきたのだ。
自分だけ苦労して他人がのんびり気楽に暮らすのを見るのは、愉快な気分じゃない。
君にも才能相応の苦労をしてもらわんと、第一、不公平と言うものだ」
シトレ元帥、なかなか口達者だ。
個人的な思いを語って、ヤンを論破してしまった。
先程のシェーンコップといい、『銀英伝』はこういう会話のやりとりが楽しい。
イゼルローン要塞を落としたヤンは退役を申し出る。
ついに夢の年金と退職金を手に入れて、大好きな歴史の研究に専念できるのだ。
だが、軍が優れた用兵家を手放すわけがない。
以下は、軍のシトレ元帥とヤンのやりとり(原作抜粋)──
「辞めたいというのかね? しかし君はまだ三〇歳だろう」
「二九歳です」
「とにかく医学上の平均寿命の三分の一もきていないわけだ。
人生を降りるには早過ぎると思わないのかね」
「本部長閣下、それは違います」
若い提督は異議を唱えた。
人生を降りるのではなく本道に回帰するのだ。
いままでが不本意な迂回を余儀なくされていたのである。
彼はもともと歴史の創造者であるよりも観察者でありたかったのだから。
「歴史の創造者」であるよりは「観察者」でありたい。
これがヤンの望む生き方だった。
しかし、自分の思ったとおりに生きられないのが人生だ。
シトレに
「わが軍が必要としているのは君の歴史研究家としての学識ではなく、用兵家としての器量と才幹なのだ」
「第一三艦隊をどうする? 創設されたばかりの君の艦隊だ。君が辞めたら彼らはどうする?」
と詰められて、軍に残ることになる。
部下のワルター・フォン・シェーンコップからはこんなことを言われる。
「まじめな話、私は提督のような方には軍に残っていていただきたいですな。
あなたは状況判断が的確だし、運もいい。
あなたの下にいれば武勲が立たないまでも生き残れる可能性が高そうだ」
「私は自分の人生の終幕を老衰死ということに決めているのです。
一五〇年ほど生きて、よぼよぼになり、孫や曾孫どもが、やっかい払いができると嬉し泣きするのを聴きながら、くたばるつもりでして……壮絶な戦死など趣味ではありませんでね。
ぜひ私をそれまで生き延びさせて下さい」
シェーンコップらしいひねりの効いた言葉だ。
「壮絶な戦死など趣味ではありませんでね」
という言葉にも僕は共感する。
…………………………………………………………
権力について、ヤンはシトレ元帥にこんなことを語っている。
「私は権力や武力を軽蔑しているわけではないのです。
いや、じつは怖いのです。
権力や武力を手に入れたとき、ほとんどの人間が醜く変わる例を、私はいくつも知っています。
そして自分は変わらないという自信を持てないのです」
「とにかく私はこれでも君子のつもりですから、危うきには近づきたくないのです。
自分のできる範囲で何か仕事をやったら、後はのんびり気楽に暮らしたい──そう思うのは怠け根性なのでしょうか」
ヤンの人生観は、軽やかでさわやかで、実に潔い。
権力を求め、宇宙を手に入れようとするラインハルトとは対照的でもある。
もっともラインハルトは、権力を手に入れても醜くならず、公正に使える稀有な人物なのだが。
・歴史の観察者でありたい。
・権力は人を醜くする。
・自分のできる範囲で仕事をやったら、のんびり気楽に暮らしたい。
これらのヤンの言葉は僕の中に刻まれている。
※追記
「怠け根性なのでしょうか」と問うヤンにシトレはこう答える。
「そうだ、怠け者だ」
「私もこれでいろいろ苦労もしてきたのだ。
自分だけ苦労して他人がのんびり気楽に暮らすのを見るのは、愉快な気分じゃない。
君にも才能相応の苦労をしてもらわんと、第一、不公平と言うものだ」
シトレ元帥、なかなか口達者だ。
個人的な思いを語って、ヤンを論破してしまった。
先程のシェーンコップといい、『銀英伝』はこういう会話のやりとりが楽しい。
たしかに新作アニメの方が原作に忠実なようですね。
台詞はほぼ引用していただいた原作どおりでした。
旧作アニメではシトレがヤンを慰留する台詞も少し簡略化されており、シェーンコップの台詞も「私も元帥と同意見でしてね。あなたのもとなら長生きできそうな気がしますからねえ」だけでした。
>壮絶な戦死など趣味ではありませんでね。
シェーンコップもまた「自分の思ったとおりに生きられ」なかったようです。
彼は、ヤンの死後、その志を継いだユリアンを守って「壮絶な戦死」を遂げるわけですので。
>権力や武力を手に入れたとき、ほとんどの人間が醜く変わる例を、私はいくつも知っています。
>そして自分は変わらないという自信を持てないのです。
このヤン自身も抱いていた怖れを、後になってリベロが本気になって怖れた結果、二人は訣別してしまうのでしたね。
ところで、たしかに新作アニメの方が原作に忠実らしいことは分かりますが、絵については旧作アニメの方が個人的には好みです。
特に、旧作の「渋い男」シェーンコップの方が「格好良い」と感じます。
また、旧作の大人っぽく落ち着いたキャゼルヌの方が好きです。
まあ、全体的にキャラを「若向き」にしている新作よりも旧作を好むのは、私が歳だからかもしれませんね。(笑)
特に、音楽の使い方が素晴らしい。
1980年代バブルの時代の日本では、無意味にマーラーが流行っていたわけですが、イゼルローン攻略の6番第1楽章は本当に身震いしました。
新作は、主要キャラのデザインが、そろって「ゆでたまご」なので、それだけで拒絶感です。
あと、カストロプ動乱の時のキルヒアイスの戦術が全く意味不明で、思わず笑ってしまいましたから。
戦力が少ない方が、多数を包囲するのは、全く無意味です。
いつもありがとうございます。
>孫や曾孫どもが、やっかい払いができると嬉し泣きするのを聴きながら、くたばるつもりでして
このひねくれ方と毒舌が田中芳樹節なんですよね。
とはいえ、以前も書きましたが、僕にとってのヤンと言えば富山敬さん。
オーベルシュタインは塩沢兼人さんで、シェーンコップは羽佐間道夫さんで、アッテンボローは井上和彦さん。
富山さんのやさしさ、塩沢さんの虚無、羽佐間さんの不良中年ぶり、井上さんの軽妙さなど、ワクワクします。
もっともこう考えてしまうのはファーストコンタクトが富山さんたちだったからで、新作がはじめての方には違和感がないのでしょうね。
いつもありがとうございます。
>そろって「ゆでたまご」
的確な表現ですね。
TEPOさんが語っていたシェーンコップが代表的ですが、旧作にはアナログの味わいがあるんですよね。
微妙な表情もアナログなら出来る。
アニメーターの個性も出る。
作画のキャラ崩れにも味わいがある。
僕もやはりアナログ世代なのだと感じています。