フォンテーヌの家  わたしのつぶやき

横浜市南区で趣味の会[フォンテーヌの家」 

和歌の素晴らしさを再認識

2011-10-12 17:27:03 | 読書会

10月12日 水曜日 晴れ

月に一度の読書会の日でした。今日は欠席者なし、全員揃いました。
梅酒を使ってお菓子を作ってきてくださった方、サツマイモを蒸かしてきてくださった方やら、
面白いお煎餅だと言い持って来てくださった方もおられました。

わたしは柿と新高梨を用意していましたので、席についてすぐは食べることが優先になりました。
手作りのお菓子は製作者にレシピの質問が出ますからひとしきりそんな雑談で楽しみました。

今月の課題本は、竹西寛子著「陸は海より悲しきものを 歌の与謝野晶子」でした。
与謝野晶子の歌から、晶子の私生活やその歌が詠まれた状況を著者の目から見ての解説をしています。
年代を追ったり、どの歌集に掲載されているかをかなり学問的に分類しながら書かれています。

与謝野晶子の歌も私生活もかなり詳しく調べた上で書かれた一冊のようです。
それに与謝野晶子が古典にかなり精通していたと書いていますが、その著者も精通しています。
晶子の歌に「ここちする」とか「ここちして」「ここちこそすれ」という終句を使った歌が多いといいます。

「ここちこそすれ」を終句に使った歌を、千載和歌集や新古今和歌集から探しているのですからすごいです。
著者が与謝野晶子の歌やその生き方そのものに強い関心があったのでしょうね。
本文を通してその思いはあちこちに感じさせられました。

この本の感想の第一声は「難しかった~」でした。3回読んだという方、読まなかったという方もいました。
「いさり火は身も世も無げに瞬きぬ陸は海より悲しきものを」はどのような意味か、という質問も出ました。
「いさり火」を青春の恋という意見が出ましたが、わたしはそのようには解釈していませんでした。

それで「和歌の解釈は人それぞれの解釈で良いのでは・・・」ということでお茶を濁してしまったのですが、
この歌の「いさり火」は「真っ暗闇に本当にかすかな灯」のような光景を想像していました。
確かに歌を詠んだ人の心情がどうなのかは、読む人の解釈でどのようにも解釈できるのですね。

情熱の女性というイメージが強かったのですが、この本を読んで与謝野晶子という人が、
経済面から夫の女性問題まで全て背負いながらも、夫の与謝野鉄幹を敬愛し続けています。
晶子の和歌はともかく、根底に古い生き方をした働き者の母親の姿を追っていたような気がしました。

子供を7人も生んで育てているのですからそれだけでも敬服してしまいますし、
あの源氏物語を2度、訳本作業をしたことを知って仰天しました。いろいろな面で驚く事ばかりでした。
それも初めの訳本は関東大震災で焼失してしまったとのこと。ちょうど出来上がった所だったそうです。

それともう一つ感心したことは、生家が商売をしていたので帳場にいて仕事を手伝ったそうです。
それで経済的なことを考える基礎が出来ていたのでしょうね。
歌人とか詩人は得てして経済観念の欠如している人が多いようですのに・・・。

この本は、まだまだ読み足らない、もっとしっかり読んでみたい一冊になりました。
といいますのも、三山喬著「ホームレス歌人のいた冬」を並行して読んでいたのです。
時代も環境も歌の資質も違うのですが、共通するものを感じどちらも読まずにはいられなかったのです。

二冊の本に書かれています異質の和歌に触れて、改めて和歌の良さを再認識させられました。
大変な本ですが良い本でした。読書会に感謝です。
コメント
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