フォンテーヌの家  わたしのつぶやき

横浜市南区で趣味の会[フォンテーヌの家」 

映画「ツレが欝になりまして」を見て

2011-10-17 17:35:27 | 日記
10月17日 月曜日 晴れ

「ツレが欝になりまして」を見てきました。
わたし自身客観的に見られるか心配でしたが、まさに「そう、そうだった・・・」と言うことが度々。
映画のストーリーの中にわたし自身が入っていってしまいそうな所がいくつもありました。

電車に乗ろうと列を作って待っていながら、その電車には乗らず一人ホームに残って立っているのです。
わたしも何度か同じ経験をしたことがあります。
1時間ほどぼんやりホームに立っていた事もあります。行かなくては、と思いながら身体は動かない。

こんな事は経験した者でなくては解らないのでしょうね。
外観的に普通に見えていても、欝状態の当事者には言葉で説明出来無い苦しみや痛みがあります。
映画を見ながら本人も辛いし奥さんもどんなにか辛いか、手に取るように解ってしまいます。

辛くても映画を見て良かったと思います。同じような事で苦しんでいる人の映像を初めて見ました。
医師と患者の問診しているような映像や、患者が辛いと言う言葉の映像はテレビでも見ていますが、
これほどリアルに欝の人の生活状況を映像で見たことはありませんでした。

わたしは30代後半から40代にかけて苦しみました。
その時はあるじと娘たちが救ってくれました。そしてあるじが急逝して再び欝に落ちかかってました。
今度は一人っきりです。それで今回は「また、欝になりそう」と自分からその言葉を口にしていました。

まわりの人へ言うのではなく、自分に「欝になるな!」との警告です。
他人がどのように受け止めても良いのです。自分に言い聞かせる、それしかないと経験が言わせました。
欝にどっぷり入り込まないよう、自分自身に警報を今でも鳴らし続けています。

頑張って元気そうにいろいろ手を出してみたり、出掛けたりしてまず自分を上手に遊ばせる、
それがあるじが亡くなってからのわたしでした。
元気そうにすることは慣れていますが、その後の落ち込みは辛いです。生きる気力は無くなりそうです。

今日の映画は、まだ欝は全快していない状態で終わりましたが快方に向かっているのです。
欝になったお陰で、平常以上の夫婦愛が生まれていました。夫婦がそれぞれ相手を認めあえたのです。

あるじも「気にしない方が良いよ」よか「なんとかなるから大丈夫だよ」と支えてくれていました。
わたし自身、欝になったからこそ芽生えた「感性」があるような気がしています。
辛いけど欝もマイナス面だけでは無いのかも・・・。そう考えられるようになりました。感謝です。

コメント
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