フォンテーヌの家  わたしのつぶやき

横浜市南区で趣味の会[フォンテーヌの家」 

忘れられないクリスマスになりました。

2012-12-25 19:34:27 | 日記

12月25日 火曜日 晴れ

今日はクリスマスです。
”イルミネーッションを見に行こう”等と少し前までは、密かに思って居ました。
でも、今日は9時からほのぼの編集会になりましたし、わたしも体調がイマイチですので諦めていました。

左目の下まぶたに濃いアザが出来てしまって居ます。よく見ましたら小さな直角形になって居ます。
22日の夜、寝る頃にフラフラしてベッドの板の上に倒れ込んでしまったのです。
もう少し上の方でしたら、眼球がどうなったかと思うと背筋が寒くなります。

夜中に眼球が傷を負ってしまったら大事でした。
緊急で病院に行くようになったでしょうし、独り住まいですしたいへんでした。
不幸中の幸い、触れば当然痛みますが日常的には全く困る事はありません。
ただ左目の方が視力がありますので、もし眼球に傷がついたときは困ったでしょうね。

9時から10時半頃までの予定でしたが、編集会は11時半頃までかかってしまいました。
編集長の予定がびっしりでしたので、大急ぎで駅に向かい東京を通り越して埼玉まで行くのだそうです。
わたしはそんな編集長と途中までご一緒させて頂き、歩きながらこれからの予定を打ち合わせしました。

用事を片付けて家に入った丁度その時電話が鳴り、母方の叔父が亡くなったとの連絡が有りました。
叔父はつい1ヶ月前、足の血管の手術をして退院して元気にしていましたので、急死でした。
わたしは叔母のことを「お姉さん」と呼んで居ましたので、叔父を「お兄さん」と呼んで居ました。

叔母とわたしたちは、同じ家で姉妹のように一緒に育ちましたから妹たちは叔母を「大きいお姉ちゃん」、
わたしを「ちっちゃいお姉ちゃん」と呼んでいました。
わたしの友人たちは不思議に思われて「どうしてちっちゃいお姉ちゃんなの?」と聞かれたものです。

母の富士宮の家に、叔母は毎月2泊3日のサイクルで、母の畑仕事の応援に行っていましたから、
関わりが濃かったので母の死はかなり叔母にも辛かったようでした。
叔母と母は18歳の年の差がある、たった二人だけの姉妹でした。外国旅行もわたしの両親と一緒でした・・・。

これからは、叔母もわたしと同じようにこの寂しさと戦わなくてはならないかと思いますと気の毒です。
もっとも同じ敷地内に娘家族が家を建てて住んでいますから、そうはならないかもしれないのですが。
叔母が寂しい思いをしないように叔母を助け、何時も声を掛けて欲しいです。
それにしても、クリスマスがとんでもない日になったものです。絶対、叔父の命日は忘れないでしょうね。
コメント
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