9月8日 日曜日 曇り時々晴れ
学生の頃の教授から残暑見舞いの葉書がポストに入っていた。
大分前に暑中見舞いのようなお便りをして居たが、残暑見舞いは出していない
葉書には体調を崩して、手紙類は書かずに体力復活に努めたとあり、
わたしの暑中見舞いの礼として残暑見舞いを書いて下さったらしい。
ほとんど手紙の下書きはせず、頭に浮かぶ文章をそのまま書く為、手が早くなり文字が雑になってしまう。
先生から何度かご注意を受けていたのだけど・・・。今年はお叱りも・・・。
わたしは先生に丁寧な文字でお詫びのお手紙を書き投函したのです。
先生は、わたしのお詫びの手紙の文字を褒めるお葉書を、またわたしに送って下さった。
尊敬です。素晴らしい先生です。
それから、お叱りを受けるような文字を書かないと肝に銘じ、丁寧に書くことにしている。
理系に進むつもりが、高校時代に身体を壊し文系のみしか受験出来なくなり、
仕方なく文系で、それも親の指示で英文科を専攻させられていた。
入学した時の担任が、国文学の助教授。その先生の講義を聴講する。
読書は好きで、いろいろ読んで居たけどそれは単に気まぐれな読むだけ。
国文学を受講している内に、文学に興味を持ち始め英文科から国文科への転科試験を受けた。
日本の文学を知らないで外国の文学を学んでも得る物は少ない、勝手にそう思っていた。
感性が鈍いわたしなので、古今和歌集の恋の部の歌に感動している友人たちを理解出来ずにいた。
それでも長い文章で綴るより31文字に気持ちを注ぐその短歌の威力を段々理解出来るようになり、
それと同時に何とも美しい変体仮名の筆文字に魅了されて行く。
平安時代には印刷の手段が無く、鉛筆もペンも無いので毛筆で一文字ずつ写して居たと言う。
そのことにまず感激し、わたしも美しい文字が書きたいと思ったが筆を持つ事は無かった。
大学を卒業するとき、住所と名前を先生が書いて下さり「せめて名前くらいは」とのお言葉。
結婚して姓が変わると、また住所と名前のお手本を書いて下さった。
それから数十年経ち、手術をし自宅療養中何を思ったか、先生に筆で初めて手紙を書き送る。
生まれて初めて筆文字の手紙を書き、それを事もあろうに大学の教授に送ったのだから呆れる。
程なく巻紙に乱れ書きの素晴らしいお手紙が届き、その筆文字の手紙に感激。
後にその手紙のことを「何処の小学生の手紙かと思った」と笑いながらあるじとわたしに話された。
先生は「僕にラブレターを書きなさい」と言われたので、時々日々の生活の様子を書き送る事に。
わたしの書いた手紙に朱を入れ、ご注意はあるじと一緒に聴くので少々気恥ずかしかったけど、
良い勉強になったよう。
筆に慣れること、それと落ち着いて書くように、そそっかしい文字は書かないこと。
先生が何時も言われる言葉。でもなかなか実行出来ずに悪い生徒のままで。
今日はゆっくり墨をすり、大きな紙を巻紙風に裁断し、先生へ手紙を書くこと自体を楽しむことに。
紙も墨も筆も硯も出所は全部先生。良い師に恵まれたことに感謝。
学生の頃の教授から残暑見舞いの葉書がポストに入っていた。
大分前に暑中見舞いのようなお便りをして居たが、残暑見舞いは出していない
葉書には体調を崩して、手紙類は書かずに体力復活に努めたとあり、
わたしの暑中見舞いの礼として残暑見舞いを書いて下さったらしい。
ほとんど手紙の下書きはせず、頭に浮かぶ文章をそのまま書く為、手が早くなり文字が雑になってしまう。
先生から何度かご注意を受けていたのだけど・・・。今年はお叱りも・・・。
わたしは先生に丁寧な文字でお詫びのお手紙を書き投函したのです。
先生は、わたしのお詫びの手紙の文字を褒めるお葉書を、またわたしに送って下さった。
尊敬です。素晴らしい先生です。
それから、お叱りを受けるような文字を書かないと肝に銘じ、丁寧に書くことにしている。
理系に進むつもりが、高校時代に身体を壊し文系のみしか受験出来なくなり、
仕方なく文系で、それも親の指示で英文科を専攻させられていた。
入学した時の担任が、国文学の助教授。その先生の講義を聴講する。
読書は好きで、いろいろ読んで居たけどそれは単に気まぐれな読むだけ。
国文学を受講している内に、文学に興味を持ち始め英文科から国文科への転科試験を受けた。
日本の文学を知らないで外国の文学を学んでも得る物は少ない、勝手にそう思っていた。
感性が鈍いわたしなので、古今和歌集の恋の部の歌に感動している友人たちを理解出来ずにいた。
それでも長い文章で綴るより31文字に気持ちを注ぐその短歌の威力を段々理解出来るようになり、
それと同時に何とも美しい変体仮名の筆文字に魅了されて行く。
平安時代には印刷の手段が無く、鉛筆もペンも無いので毛筆で一文字ずつ写して居たと言う。
そのことにまず感激し、わたしも美しい文字が書きたいと思ったが筆を持つ事は無かった。
大学を卒業するとき、住所と名前を先生が書いて下さり「せめて名前くらいは」とのお言葉。
結婚して姓が変わると、また住所と名前のお手本を書いて下さった。
それから数十年経ち、手術をし自宅療養中何を思ったか、先生に筆で初めて手紙を書き送る。
生まれて初めて筆文字の手紙を書き、それを事もあろうに大学の教授に送ったのだから呆れる。
程なく巻紙に乱れ書きの素晴らしいお手紙が届き、その筆文字の手紙に感激。
後にその手紙のことを「何処の小学生の手紙かと思った」と笑いながらあるじとわたしに話された。
先生は「僕にラブレターを書きなさい」と言われたので、時々日々の生活の様子を書き送る事に。
わたしの書いた手紙に朱を入れ、ご注意はあるじと一緒に聴くので少々気恥ずかしかったけど、
良い勉強になったよう。
筆に慣れること、それと落ち着いて書くように、そそっかしい文字は書かないこと。
先生が何時も言われる言葉。でもなかなか実行出来ずに悪い生徒のままで。
今日はゆっくり墨をすり、大きな紙を巻紙風に裁断し、先生へ手紙を書くこと自体を楽しむことに。
紙も墨も筆も硯も出所は全部先生。良い師に恵まれたことに感謝。