11月6日 木曜日 曇りのち雨
この数日、処理出来ず箱に入れてしまってあったあるじの背広にじゃれて居る。
かれこれ30年は経過している背広なのに、捨てきれずに置いてある。
大切な友人が亡くなり落ち込み、常備菜を作ったりして頑張って居るがまだ落ち着かない。
それで、あるじの背広をクッションカバーに再生しようと作業を開始する。
背広のズボンは、色々に使えるけれど上着は処理していたのに、今は何となくそれが出来ない。
以前はあるじが元気だったから出来たのだと思う。
洋間のテーブルをなるべく明るいところへ移動させ、「解く」と言うより「分解」をしている。
婦人服では考えられないほど、見えない部分に芯やら木綿綿や当て布が貼り付けてある。
それを切り取りながら、表地だけにする作業は何とも手が掛かる。
それに表布にも切り替えがあるので、広い面積の布は無い。
厚紙で10㎝角の型紙を作り、それを布地に乗せて切るだけ。昨日、2着目に取りかかった。
切った布を縫い合わせてクッション・カバーにするつもり。
作業しながら、背広を着ていた頃のあるじを思い出したり、背広を作る作業の大変さに感心したり、
解体作業は大変だけれど、何も手に付かず所在なく過ごしているよりは良いような気がする。
ラジオやテレビの音を聞きながら、黙々と作業を続けている。
分解作業はホコリが出るし、ゴミも出る。決して楽しい仕事では無いのでまずはこれを終了させたい。
分解作業を全て終えてから、縫う作業を始めようと思って居る。
刺繍をしたり、縫い合わせたりそこにステッチをしたり等々、考えていると楽しい。
捨てる物を新しい形にして再生させる。今はやりの「エコ」。
でも、この再生作業は料理にも通じているとは思うが、単に「暇人の時間つぶし」と自覚している。
この数日、処理出来ず箱に入れてしまってあったあるじの背広にじゃれて居る。
かれこれ30年は経過している背広なのに、捨てきれずに置いてある。
大切な友人が亡くなり落ち込み、常備菜を作ったりして頑張って居るがまだ落ち着かない。
それで、あるじの背広をクッションカバーに再生しようと作業を開始する。
背広のズボンは、色々に使えるけれど上着は処理していたのに、今は何となくそれが出来ない。
以前はあるじが元気だったから出来たのだと思う。
洋間のテーブルをなるべく明るいところへ移動させ、「解く」と言うより「分解」をしている。
婦人服では考えられないほど、見えない部分に芯やら木綿綿や当て布が貼り付けてある。
それを切り取りながら、表地だけにする作業は何とも手が掛かる。
それに表布にも切り替えがあるので、広い面積の布は無い。
厚紙で10㎝角の型紙を作り、それを布地に乗せて切るだけ。昨日、2着目に取りかかった。
切った布を縫い合わせてクッション・カバーにするつもり。
作業しながら、背広を着ていた頃のあるじを思い出したり、背広を作る作業の大変さに感心したり、
解体作業は大変だけれど、何も手に付かず所在なく過ごしているよりは良いような気がする。
ラジオやテレビの音を聞きながら、黙々と作業を続けている。
分解作業はホコリが出るし、ゴミも出る。決して楽しい仕事では無いのでまずはこれを終了させたい。
分解作業を全て終えてから、縫う作業を始めようと思って居る。
刺繍をしたり、縫い合わせたりそこにステッチをしたり等々、考えていると楽しい。
捨てる物を新しい形にして再生させる。今はやりの「エコ」。
でも、この再生作業は料理にも通じているとは思うが、単に「暇人の時間つぶし」と自覚している。