朝から好天。眩しい位の空でした。少し前まで、6時半ころは薄暗かったのに、この頃は随分明るくなってきてます。陽ざしが有ると嬉しくなり、自然に体が動くような気がします。
若いころ、好天の朝はわたしがうれしそうなので、あるじがわたしに「ニコヨンみたいだね」と言いました。ニコヨンの意味が分からなくて、質問して笑われたことをふと想い出しました。
なんとも、妙な人たちと比べて・・・と、思いながら確かに悪天候でしたら仕事が有っても大変ですし、お日様一杯の下で仕事が出来れば嬉しいのは当然、と思いました。何もわかっていなかったのだと、今ごろ苦笑いです。
この頃、ずっと昔の古いことを急に思い出すことが多々あります。それだけ歳をとったという事なのでしょうね。
今日昼食をしながら長女が結婚する前、お勤めしていた頃の想い出話を聞きました。何故、そのような話題になったのか忘れましたが、他人との付き合い方やその他諸々を、大人の視点で受け止め、行動していたことを今ごろになって知りました。
父はわたしが就職することを嫌い、出してもらえませんでした。一番残念に思っていることは、友人の義理のお兄様と言う方が、大手の広告の会社に居られ、わたしに仕事をしないか?と声を掛けて下さったのです。嬉しくて即答しました。
帰宅し、許しをもらうつもりで父に報告したところ、即却下されました。務めるにしても、広告会社は残業が有るので絶対ダメ、と言われました。残業の無い広告会社などあるはずありません。
残念でしたが、翌日お断りに行きました。司書の資格を取り図書館で働きたいと言った時も、仕事をするのは反対、と言われていました。昨年亡くなられた教授からは、大学院の話もありましたが、全て却下。
女は、学歴は不要 という父の考えは、子供のころから承知していましたから、半分は諦めていたのですが、広告会社のお話のときは今でも残念な気持ちがあります。
具体的にこのような方面の広告が良いのでは?とまで、アドバイスをして下さっていたのですから・・・。何とか父の許しを貰おうとしたのですが、全くダメでした。
高校に進むときも、わたしが行きたい学校には大反対、どこでも良いとあきらめました。私の高校を決めたのは担任でした。その担任の決めた高校も父は大反対したのですが、7クラスあった学年の教師たちが、父を押さえつけたのです。
わたしの希望は通らないので、どこでも良くなっていました。娘の昔々の話を聞きながら、彼女の生き方が羨ましかったです。もう少し、自分を主張して生きてきたかった、心底反省しています。この年になって・・・、です。