【れんだいこ及び勝手ながら助けあい党の謹賀新年】
2008(平成20)年が明けました。皆さんおめでとうございます。れんだいこは早速元旦詣でをして参りました。雪道のならぬ中を片道6時間かけて行って参り無事帰還できました。今年も運が強そうです。ありがたいことです。
昨年は、参院選で、民主党-国民新党-社民党-大地同盟による躍進で、自公政権与党が過半数割れに落ち込むという前代未聞の政界激震が走り、政治が面白くなりました。と思いきや、自民-民主-公明同盟が画策され、あわや煮詰まるという椿事が発生し、政界の裏事情が透けて見えてまいりました。多くの方が失望しただろうと思います。せめて救いは、旧社会党、社民連系が断固阻止の論陣を張ったことでせうか。小沢の退陣を角栄門下生達がなだめ、元の鞘に納めたことでせうか。
テロ特措法を廻っても混迷しております。どう理屈をこねようが、法治主義に遵ずる以上自衛隊の武装派兵はできない、してはならないと弁論し、狂人小泉時代の諸政策の総点検見直しに入るべきところ、自公法案以上の危険性を持つ民主党対案が出されており、民主党への期待感がますます損なわれようとしております。一事万事が世の習いですから、民主党の政策能力のお粗末さを窺うべきでせう。
本来なら左派政党が警鐘乱打し、「世直し、世の立て替え」へ向けての大衆的弾劾デモで国会包囲し、国会突入時辞さずの60年安保闘争時のブント的運動を再現すべきです。それぐらいしないと政治は変わりません。道理道徳的な口先反対アリバイや国連手紙戦術で何か変わったでしょうか。マスコミ人士の資性劣悪も次第に嵩じており、戦前も然りでしたが一貫して当局迎合的な論調が変わりません。これを一々論(あげつら)ってもきりがありませんので、そうであるなら我々のアルジャジーラ放送を創り出すべきです。もうそろそろ限界です。誰か音頭を取るべきです。
例によって、日共を批判いたします。宮顕-不破系党中央による反左翼性独善主義は、人民大衆の階級的生活利益に即して身を挺してきた戦前戦後の一時期に見られた共産党員としての反骨気概を全く粗相させ、共産党と云う党名を剽窃して汚し続けております。重箱の隅を突くような小正義運動で人民大衆の期待をごまかし続けております。かって社会党は、自社二分時代を作り出していましたが、裏切りに次ぐ裏切りで総スカンを食い、この間党自体が雲散霧消するはめに追い込まれております。人民大衆の期待を裏切るとどうなるかの標本だろうと思います。
この政治貧困を覆す本当の人民大衆党への期待が今ほど待ち望まれている時は有りません。ところが、この事業に失敗し続け、あるいは低迷しているところにもう一つの政治貧困が見て取れます。ここに政治が面白くなくよそ事でしかない原因があります。かく問題を認識できれば、半ば解決したも同然ですが、相変わらずの「俺が俺のところが正しい」式のセクト的宗派的習性のまま徒に時日を経ており、互いがロートル化しあっております。ここにも政治貧困が見て取れます。
れんだいこは、恥ずかしながられんだいこが党首の助け合い党は(党内意思一致はまだしておりませんが)、次のような見立てで戦後政治史を俯瞰し、現下の政治貧困打開の処方箋を投じたいと思います。党内党外で議論よろしくお願い申し上げます。
その1。1945.8.15日の敗戦直後から新憲法公布、その息吹きが強かった時代をどう位置づけるべきか。私は、世にも珍しいプレ社会主義が実現し、精神の自由が横溢した時代とみなします。貧しいながらも我が父母達は戦後復興に一億一心し働きました。良きにせよ悪しきにせよそれなりの能力者が成り上がった新支配者登竜時代でもあります。これを仮に日本政治史上稀有な戦後ルネサンス時代であったと規定したいと思います。この時代に資本主義体制云々を口走り反体制運動に向かった者達を、単なる思い込み頭でっかちとみなします。
その2、1950年前後から1980年代初頭までの戦後憲法秩序と日米安保体制秩序の相克時代をどう位置づけるべきか。私は、片肺飛行的ながらも世にも珍しい善政が基本であった時代とみなします。これを牽引したのが、吉田茂及びその門下であり、1970年代に角栄-大平同盟へと結実し磐石体制が築かれます。この時期に戦後復興を終え、世界史上の奇蹟と云われる高度経済成長時代が創出されます。これを仮に日本政治史上稀有な戦後ハト派主流時代と規定したいと思います。
今にして思えば、角栄-大平政治は誉れとすべきです。あの頃は本音と建前がその通りになっていた。その分真っ当だったと思います。今は錯綜しており嫌な時代です。かの時代に相変わらず資本主義体制云々を口走り反体制運動に向かった者達を、視野狭窄相変わらずの単なる思い込み頭でっかちとみなします。
その3、1980年代から2000年代初頭までの戦後憲法秩序が次第に否定され日米安保体制偏重化時代をどう位置づけるべきか。私は、世にも愚かしい悪政へ転換させた時代とみなします。これを牽引したのが、戦後タカ派と云われる国際金融資本帝国主義を後ろ盾にした売国奴系右翼であり、中曽根-ナベツネを頭目とするネオ・シオニスト派です。この連中が今も黒幕として良からぬことばかり仕掛けております。彼らは、ロッキード事件をてぐすね引いて待ちうけ、角栄-大平同盟が掣肘された隙に国際責任論、応分負担当然論を唱えながら台頭して参ります。
この時代に戦後日本が蓄えた国富が食い散らかされ、国債刷りまくり政策により財政破綻させられます。これを仮に日本政治史上悪質な戦後タカ派主流時代と規定したいと思います。この時代に資本主義体制云々する者が少なくなり、左派運動総体が穏和主義化していきます。私は、この時代こそ闘うべきであったのに穏和主義化していった連中を軽蔑します。反体制運動呼号者達にとって理論見直しの好機であったのに、それをしなかったことに対して単なる呪文家とみなします。
その4.2002年から現在に至る戦後憲法秩序が骨抜きにされ日米安保体制一辺倒時代をどう位置づけるべきか。私は、世にも愚劣な悪政が基本となった時代とみなす。これを牽引したのが、ネオ・戦後タカ派と云われる国際金融資本帝国主義の御用聞き売国奴系ウヨサヨであり、小泉-飯島秘書官-竹中を頭目とするネオ・シオニスト派です。
彼らは、戦後体制刷新、日米一体論、応分負担信義論を唱えながら政界をレイプ睥睨しつつ暴力的に事を進めて参りました。この時代に戦後日本が営々と築いた栄誉が露と消え、国富の最終争奪が画策され、現在埋蔵金探しに向かっております。この間財政破綻が一層進行させられており、軍事防衛費だけは相変わらず目白押しで予算計上されつつあります。これを仮に日本政治史上極悪の戦後タカ派絶頂主時代と規定したいと思います。
一応このように見立て致しますと、政治の潮目に差し掛かっていることが分かります。恐らく近未来に反転して、日本は在地主義的な主権国家取り戻しに向かっていくことになるでせう。既に地霊がそのように動いており、やがて人民大衆の総意になるでせう。米英ユ同盟の配下にいつまでも置かれ続けることに対する嫌悪感が嵩じて、連中の絵に描いたもちのシナリオを崩すでせう。なぜなら、これが理と気の流れだからです。これには勝てません。
以上の素描から、戦後左派運動が、大きく詭計化されていることに気づきます。本来であれば、その1期では政権取りに向かうべきであり、その2期では戦後ハト派と連携すべきであり、その3期では戦後タカ派と闘うべきであり、その4期では小泉政治を不倶戴天の敵と見定めて闘うべきのところ、1期では政権取りに失敗し、その2期では戦後ハト派と激しく闘い、その3期では戦後タカ派と口先でのみ闘い、その4期では小泉政治の好き放題を許しつつ窒息させられております。こんな馬鹿な愚かな闘い方があるでせうか。逆です。
一体何をしてきたのだろうか、させられてきたのだろうか我々は。という自己批判と総括無しには恥じ入るるばかりとすべきです。ところがここに、無反省どころか私たちはこれまで全て正しかったと、現下の局面に於いてもいけしゃあしゃあーと正義弁明し続ける手合いが居るとしたら、話が通じるだろうか。
それはともかくとして、我々は間違いやすい、だから間違えたときに軌道修正出来やすいように、常に異論と異端と分派を容認して諸事作法する組織論と運動論を理論と実践の中に組み込むべきです。その上で政治運動を作り出すべきではないでせうか。かってべ平連が、あるいは全共闘がこうした発想を踏まえていたように思います。が、市民運動に限定してしまった、党派運動を敬遠したところに妙な癖があったのではないでせうか。市民運動だろうが大衆運動だろうが党派運動だろうが、統一戦線論ではなく常に共同戦線論で相対し、たがいが認め合うべきであり、そうやって昨日より今日、今日より明日へと歩一歩繋ぐ運動を創出すれば良かったのではなかろうか。
仮にここに、俺ないしは俺の党派が絶対正しい、他党派は解体する、それが正義だなどと云う者が出てきたらどうすべきか。私なら、徹底的に理論闘争し、どこが絶対正しいのかしかと聞かせていただき、よこしまな意図を見抜き、満座の中で恥をかかせたいと思います。この面での闘争のお粗末なままの党派間暴力などというものは有り得てはならないのではなかろうか。ところが史実はあぁとかいろいろ思います。
話が拡散してきたのでこれぐらいにして、以上を以ってれんだいこの謹賀新年声明と致します。要するに、値打ちのある、世代に次がれる価のある、生き様として自身が自負できる何がしかの政治運動の創出へ向けて再出発すべきであり、邁進したいと思います。
2008.1.2日 れんだいこ拝
2008(平成20)年が明けました。皆さんおめでとうございます。れんだいこは早速元旦詣でをして参りました。雪道のならぬ中を片道6時間かけて行って参り無事帰還できました。今年も運が強そうです。ありがたいことです。
昨年は、参院選で、民主党-国民新党-社民党-大地同盟による躍進で、自公政権与党が過半数割れに落ち込むという前代未聞の政界激震が走り、政治が面白くなりました。と思いきや、自民-民主-公明同盟が画策され、あわや煮詰まるという椿事が発生し、政界の裏事情が透けて見えてまいりました。多くの方が失望しただろうと思います。せめて救いは、旧社会党、社民連系が断固阻止の論陣を張ったことでせうか。小沢の退陣を角栄門下生達がなだめ、元の鞘に納めたことでせうか。
テロ特措法を廻っても混迷しております。どう理屈をこねようが、法治主義に遵ずる以上自衛隊の武装派兵はできない、してはならないと弁論し、狂人小泉時代の諸政策の総点検見直しに入るべきところ、自公法案以上の危険性を持つ民主党対案が出されており、民主党への期待感がますます損なわれようとしております。一事万事が世の習いですから、民主党の政策能力のお粗末さを窺うべきでせう。
本来なら左派政党が警鐘乱打し、「世直し、世の立て替え」へ向けての大衆的弾劾デモで国会包囲し、国会突入時辞さずの60年安保闘争時のブント的運動を再現すべきです。それぐらいしないと政治は変わりません。道理道徳的な口先反対アリバイや国連手紙戦術で何か変わったでしょうか。マスコミ人士の資性劣悪も次第に嵩じており、戦前も然りでしたが一貫して当局迎合的な論調が変わりません。これを一々論(あげつら)ってもきりがありませんので、そうであるなら我々のアルジャジーラ放送を創り出すべきです。もうそろそろ限界です。誰か音頭を取るべきです。
例によって、日共を批判いたします。宮顕-不破系党中央による反左翼性独善主義は、人民大衆の階級的生活利益に即して身を挺してきた戦前戦後の一時期に見られた共産党員としての反骨気概を全く粗相させ、共産党と云う党名を剽窃して汚し続けております。重箱の隅を突くような小正義運動で人民大衆の期待をごまかし続けております。かって社会党は、自社二分時代を作り出していましたが、裏切りに次ぐ裏切りで総スカンを食い、この間党自体が雲散霧消するはめに追い込まれております。人民大衆の期待を裏切るとどうなるかの標本だろうと思います。
この政治貧困を覆す本当の人民大衆党への期待が今ほど待ち望まれている時は有りません。ところが、この事業に失敗し続け、あるいは低迷しているところにもう一つの政治貧困が見て取れます。ここに政治が面白くなくよそ事でしかない原因があります。かく問題を認識できれば、半ば解決したも同然ですが、相変わらずの「俺が俺のところが正しい」式のセクト的宗派的習性のまま徒に時日を経ており、互いがロートル化しあっております。ここにも政治貧困が見て取れます。
れんだいこは、恥ずかしながられんだいこが党首の助け合い党は(党内意思一致はまだしておりませんが)、次のような見立てで戦後政治史を俯瞰し、現下の政治貧困打開の処方箋を投じたいと思います。党内党外で議論よろしくお願い申し上げます。
その1。1945.8.15日の敗戦直後から新憲法公布、その息吹きが強かった時代をどう位置づけるべきか。私は、世にも珍しいプレ社会主義が実現し、精神の自由が横溢した時代とみなします。貧しいながらも我が父母達は戦後復興に一億一心し働きました。良きにせよ悪しきにせよそれなりの能力者が成り上がった新支配者登竜時代でもあります。これを仮に日本政治史上稀有な戦後ルネサンス時代であったと規定したいと思います。この時代に資本主義体制云々を口走り反体制運動に向かった者達を、単なる思い込み頭でっかちとみなします。
その2、1950年前後から1980年代初頭までの戦後憲法秩序と日米安保体制秩序の相克時代をどう位置づけるべきか。私は、片肺飛行的ながらも世にも珍しい善政が基本であった時代とみなします。これを牽引したのが、吉田茂及びその門下であり、1970年代に角栄-大平同盟へと結実し磐石体制が築かれます。この時期に戦後復興を終え、世界史上の奇蹟と云われる高度経済成長時代が創出されます。これを仮に日本政治史上稀有な戦後ハト派主流時代と規定したいと思います。
今にして思えば、角栄-大平政治は誉れとすべきです。あの頃は本音と建前がその通りになっていた。その分真っ当だったと思います。今は錯綜しており嫌な時代です。かの時代に相変わらず資本主義体制云々を口走り反体制運動に向かった者達を、視野狭窄相変わらずの単なる思い込み頭でっかちとみなします。
その3、1980年代から2000年代初頭までの戦後憲法秩序が次第に否定され日米安保体制偏重化時代をどう位置づけるべきか。私は、世にも愚かしい悪政へ転換させた時代とみなします。これを牽引したのが、戦後タカ派と云われる国際金融資本帝国主義を後ろ盾にした売国奴系右翼であり、中曽根-ナベツネを頭目とするネオ・シオニスト派です。この連中が今も黒幕として良からぬことばかり仕掛けております。彼らは、ロッキード事件をてぐすね引いて待ちうけ、角栄-大平同盟が掣肘された隙に国際責任論、応分負担当然論を唱えながら台頭して参ります。
この時代に戦後日本が蓄えた国富が食い散らかされ、国債刷りまくり政策により財政破綻させられます。これを仮に日本政治史上悪質な戦後タカ派主流時代と規定したいと思います。この時代に資本主義体制云々する者が少なくなり、左派運動総体が穏和主義化していきます。私は、この時代こそ闘うべきであったのに穏和主義化していった連中を軽蔑します。反体制運動呼号者達にとって理論見直しの好機であったのに、それをしなかったことに対して単なる呪文家とみなします。
その4.2002年から現在に至る戦後憲法秩序が骨抜きにされ日米安保体制一辺倒時代をどう位置づけるべきか。私は、世にも愚劣な悪政が基本となった時代とみなす。これを牽引したのが、ネオ・戦後タカ派と云われる国際金融資本帝国主義の御用聞き売国奴系ウヨサヨであり、小泉-飯島秘書官-竹中を頭目とするネオ・シオニスト派です。
彼らは、戦後体制刷新、日米一体論、応分負担信義論を唱えながら政界をレイプ睥睨しつつ暴力的に事を進めて参りました。この時代に戦後日本が営々と築いた栄誉が露と消え、国富の最終争奪が画策され、現在埋蔵金探しに向かっております。この間財政破綻が一層進行させられており、軍事防衛費だけは相変わらず目白押しで予算計上されつつあります。これを仮に日本政治史上極悪の戦後タカ派絶頂主時代と規定したいと思います。
一応このように見立て致しますと、政治の潮目に差し掛かっていることが分かります。恐らく近未来に反転して、日本は在地主義的な主権国家取り戻しに向かっていくことになるでせう。既に地霊がそのように動いており、やがて人民大衆の総意になるでせう。米英ユ同盟の配下にいつまでも置かれ続けることに対する嫌悪感が嵩じて、連中の絵に描いたもちのシナリオを崩すでせう。なぜなら、これが理と気の流れだからです。これには勝てません。
以上の素描から、戦後左派運動が、大きく詭計化されていることに気づきます。本来であれば、その1期では政権取りに向かうべきであり、その2期では戦後ハト派と連携すべきであり、その3期では戦後タカ派と闘うべきであり、その4期では小泉政治を不倶戴天の敵と見定めて闘うべきのところ、1期では政権取りに失敗し、その2期では戦後ハト派と激しく闘い、その3期では戦後タカ派と口先でのみ闘い、その4期では小泉政治の好き放題を許しつつ窒息させられております。こんな馬鹿な愚かな闘い方があるでせうか。逆です。
一体何をしてきたのだろうか、させられてきたのだろうか我々は。という自己批判と総括無しには恥じ入るるばかりとすべきです。ところがここに、無反省どころか私たちはこれまで全て正しかったと、現下の局面に於いてもいけしゃあしゃあーと正義弁明し続ける手合いが居るとしたら、話が通じるだろうか。
それはともかくとして、我々は間違いやすい、だから間違えたときに軌道修正出来やすいように、常に異論と異端と分派を容認して諸事作法する組織論と運動論を理論と実践の中に組み込むべきです。その上で政治運動を作り出すべきではないでせうか。かってべ平連が、あるいは全共闘がこうした発想を踏まえていたように思います。が、市民運動に限定してしまった、党派運動を敬遠したところに妙な癖があったのではないでせうか。市民運動だろうが大衆運動だろうが党派運動だろうが、統一戦線論ではなく常に共同戦線論で相対し、たがいが認め合うべきであり、そうやって昨日より今日、今日より明日へと歩一歩繋ぐ運動を創出すれば良かったのではなかろうか。
仮にここに、俺ないしは俺の党派が絶対正しい、他党派は解体する、それが正義だなどと云う者が出てきたらどうすべきか。私なら、徹底的に理論闘争し、どこが絶対正しいのかしかと聞かせていただき、よこしまな意図を見抜き、満座の中で恥をかかせたいと思います。この面での闘争のお粗末なままの党派間暴力などというものは有り得てはならないのではなかろうか。ところが史実はあぁとかいろいろ思います。
話が拡散してきたのでこれぐらいにして、以上を以ってれんだいこの謹賀新年声明と致します。要するに、値打ちのある、世代に次がれる価のある、生き様として自身が自負できる何がしかの政治運動の創出へ向けて再出発すべきであり、邁進したいと思います。
2008.1.2日 れんだいこ拝