代換エネルギーの嘘
他人の作った食糧・エネルギーに依存して生きる事は、奴隷になる事である。
相手の「言うなり」にならなければ、食糧とエネルギーを止められ、
餓死し、冬の寒い時期に暖房で暖まる事が出来なくなる。
餓死と凍死が嫌であれば、全て相手の言う事に従う奴隷にならなければならない。
相手がロックフェラーであっても、日本政府であっても、三菱石油であっても事態は同じである。
エネルギー安全保障と称して、日本国内で穀物あるいは海藻類を使用し、
石油に代わるエタノール生産を行う計画があるが、
その生産を三菱石油等の石油会社、日本政府が担うのであれば、
ロックフェラーの奴隷になる代わりに、日本政府、三菱石油の奴隷になるだけである。
他の代換エネルギーに関しても事態は同様である。
技術的に可能な代換エネルギーであっても、市民がその担い手になり得る工場の規模、技術の水準であるかどうかが問題になる。
市民を奴隷にする代換エネルギーというものもある。
過去、原発の危険性に市民が抗議しても原発は無くならなかった。
東京電力、関西電力等の発電独占体制が、市民の意見を排除する独裁的な権力体制であったためである。
発電を一部の人間が独占する事によって、市民の意見等に「耳を貸さない」封殺が行われてきた。
原発問題とは、発電を一部の人間が独占する「発電独裁体制」を本質的問題としている。
火力から原子力になり、それが他の「環境を破壊しない」代換エネルギーに変わったとしても、
問題は技術論では全く無い。
誰が担い手になるかという視点の無い代換エネルギー論のウソは、ここにある。
技術開発で世の中が「変革し得る」という、相変わらずの「技術盲信」で、
世界を変えたいという市民の志を「挫折」させ、「空振り」させようという欺瞞の理論である。
エネルギー民主主義の視点が必要になる。