ダーイッシュやトルコなどと同じように米英支配層の手先となってきた日本が
切り捨てられる可能性
2016.02.29 櫻井ジャーナル
http://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/201602290000/
アメリカの支配層は現在、傭兵を使って侵略を繰り返している。例えば、中東/
北アフリカではワッハーブ派/サラフ主義者やムスリム同胞団、ウクラ イナで
はネオ・ナチ(ステファン・バンデラ派)が利用されていた。ロシアではチェ
チェン、中国では新疆ウイグル自治区の武装勢力がアメリカ支配層 の手先とし
て動いている。
現在、中東で最も注目されている国はシリア。地中海東岸の天然ガス田であり、
パイプラインの通過地点としても重要な石油利権のポイント。サウジア ラビア
のライバルである産油国のイラン、石油と水(チグリス川やユーフラテス川)の
イラク、そしてシリアはアメリカ支配層から自立、それも攻撃さ れる大きな要
因だ。
1991年にイラン、イラク、シリアの3カ国を5年以内に殲滅すると口にしたのがネ
オコンの大物で国防次官だったポール・ウォルフォウィッツ国防 次官(当
時)。その年の12月にソ連が消滅、翌年の初めにはウォルフォウィッツが中心に
なって世界制覇プランを国防総省のDPGの草稿という形で 作成した。いわゆる
「ウォルフォウィッツ・ドクトリン」だ。
このドクトリンはアメリカが「唯一の超大国」なったという前提で書き上げら
れ、潜在的なライバル、つまり旧ソ連圏、西ヨーロッパ、東アジアなどが ライ
バルに成長することを防ぎ、膨大な資源を抱える西南アジアを支配するとしている。
まずアメリカはNATOを使い、1999年3月にユーゴスラビアを先制攻撃した。その
前段階として、1991年にスロベニア、クロアチア、マケド ニア、92年にボスニ
ア・ヘルツェゴビナが相次いで独立を宣言、さらにセルビア・モンテネグロが
ユーゴスラビア連邦共和国を結成してユーゴスラビ ア社会主義連邦人民共和国
は解体されている。さらにアメリカはコソボを奪ったが、その時に手先として
使ったKLA(コソボ解放軍。UCKとも表 記)は麻薬取引で資金を調達していた。
こうした攻撃を正当化するため、西側の政府やメディアは「人道」や「人権」を
掲げていたが、嘘だったことが 判明している。(詳しくは拙著『テロ帝国アメ
リカは21世紀に耐えられない』を)
アメリカがイラクを先制攻撃する口実に使ったのが2001年9月11日の出来事。
ニューヨークの世界貿易センターとワシントンDCの国防総省本部 庁舎(ペンタ
ゴン)が攻撃されたのだ。ジョージ・W・ブッシュ政権は本格的な調査をせず、
即在に「アル・カイダ」の犯行だと断定、そのトップであ るオサマ・ビン・ラ
ディンを匿っているとしてアフガニスタンを攻撃、2003年3月にはアル・カイダ
系武装集団を「人権無視」で弾圧していたイラ クを先制攻撃した。
サダム・フセイン体制が倒されたイラクでアル・カイダ系の武装集団AQIが誕生
する。2006年1月にAQIを中心としてISI(イラクのイスラ ム国)が編成され、活
動範囲がしらに拡大するとIS(ISIS、ISIL、ダーイッシュとも表記)と呼ばれる
ようになった。
2012年8月にアメリカ軍の情報機関DIAが作成した報告書によると、反シリア政府
軍の主力はサラフ主義者、ムスリム同胞団、そしてアル・カイ ダ系武装集団の
AQI。このAQIはシリアでアル・ヌスラを名乗っている。つまりAQI、アル・ヌス
ラ、ダーイッシュの実態は同じであり、「穏健 派」は存在しないに等しい。ク
ラーク元欧州連合軍最高司令官はCNNの番組で、アメリカの友好国と同盟国が
ダーイッシュを作り上げたと語ってい る。
アル・カイダ系武装勢力やダーイッシュを支える兵站線はトルコからシリアへ延
び、この勢力が資金源にしている盗掘石油はシリアやイラクの油田から トルコ
へ運び込まれている。これらの輸送ルートを守ってきたのはトルコのレジェッ
プ・タイイップ・エルドアン政権だ。このトルコとサウジアラビア は今でもシ
リアへ軍事侵攻する意思を示している。
年明け後、しばらくの間はアメリカもこうした動きに同調していた。例えば、1
月22日にはアシュトン・カーター国防長官が陸軍第101空挺師団に 所属する1800
名をイラクのモスルやシリアのラッカへ派遣すると語り、翌23日にはジョー・バ
イデン米副大統領が訪問先のトルコでアメリカとト ルコはシリアで続いている
戦闘を軍事的に解決する用意があると口にしている。
2月にトルコ外相はサウジアラビアの軍用機や人員をトルコのインシルリク空軍
基地へ派遣、シリアで地上戦を始めることもできると語り、サウジアラ ビア国
防省の広報担当は、同国の地上部隊をシリアへ派遣する用意があると表明した。
その直後にアメリカのカーター国防長官はサウジアラビアの表明 を歓迎すると
発言している。
アメリカの雰囲気が変化するのは、ヘンリー・キッシンジャーがウラジミル・
プーチン大統領と会談するためにロシアを訪問した2月10日。アメリカ 政府とロ
シア政府は2月22日、シリアで2月27日から停戦することで合意したと発表してい
る。当初、アメリカは停戦をダーイッシュをはじめとす る武装集団の体勢を立
て直すために利用したと思われるのだが、ロシアはこうした武装集団に対する攻
撃は継続すると言明している。その条件で合意は 成立した。
トルコやサウジアラビア、特にトルコは梯子を外されたような状況。トルコのエ
ルドアン大統領と親しいという安倍晋三政権も同じようなことになりか ねな
い。アメリカという後ろ盾がついているつもりで中国と戦争を始めた後、気づい
たら周りに誰もいなかったということはありえる。
世界の近代史を振り返ってみると、日本はアングロ・サクソンに操られてきたと
しか思えない。19世紀にイギリスは中国(清)の富を盗もうとしてい た。そこ
で始めたのがアヘン戦争(1840年から42年)とアロー戦争(1856年から60年)。
アヘン取引でイギリス人やアメリカ人は大儲けしたが、そうした会社のひとつが
ジャーディン・マセソン商会。儲けの大半はアヘンの取り引きによるも のだっ
た。この会社が1859年に長崎へ送り込んできた人物がトーマス・グラバー。ほど
なくして彼はグラバー商会を設立、長崎のグラバー邸は武器 取引に使われた。
そこに坂本龍馬、後藤象二郎、岩崎弥太郎たちも出入りしていたことが知られて
いる。
1865年にはイギリスが麻薬取引の拠点にしていた香港で香港上海銀行が創設さ
れ、66年に横浜へ進出、さらに大阪、神戸、長崎にも支店を開設し ている。
1867年には「大政奉還」、長州藩と薩摩藩を中心とする新政府が誕生した。
この当時、イギリスの支配層は世界制覇を目論んでいたが、そのためには兵力が
不足していた。ライバルのフランス、ドイツ、ロシアに対抗するために 約14万
人の兵士が必要だと見られていたが、実際の兵力は7万人。そこで目を付けられ
たのが日本で、1902年には「日英同盟協約」が結ばれる。 1904年に日本は帝政
ロシアと戦争を始めるが、戦費とし約2億ドルを融資したのはロスチャイルド系
のクーン・ローブ。この金融機関を率いていた ジェイコブ・シフと日銀副総裁
だった高橋是清は親しかった。この日露戦争で棍棒外交のセオドア・ルーズベル
ト米大統領が乗り出した背景もシフと同 じだ。
関東大震災の復興資金調達で日本政府が頼った相手がJPモルガン。ロスチャイル
ドがアメリカにおける代理人として使っていた金融機関で、その後日 本に大き
な影響力を持つようになる。1932年に駐日大使として赴任してくるジョセフ・グ
ルーはいとこがジョン・ピアポント・モルガン・ジュニ ア、つまりJPモルガン
総帥の妻。戦後、グルーは日本の民主化を止め、ファシズム化へ方向転換させた
ジャパン・ロビーで中心的な役割を果たすこと になる。
簡単に言うと、日本の支配層はアングロ・サクソンが東アジアを侵略する手先と
して働いてきた。その代償として自分たちの富と地位が約束されてきた のだろ
うが、アングロ・サクソンの支配システムが揺らいでいる今、日本も梯子を外さ
れる可能性がある。