今日、延喜十八年(918)八月十七日は宇多法皇が大覚寺において、寛空ら七人に灌頂を授けられた日。〔血脈抄、東寺長者補任〕 . . . 本文を読む
太上感応篇(道教の経典。南宋 の李昌齢 が太上老君 (老子) のお告げをまとめて編んだ)
「・・・夫れ心に善を起こせば、善いまだつくらずと雖もすなわち吉神すでに之に随う。或は心に悪をおこせば悪いまだ作らずといえども而なわち凶神すでにこれに随う。其れかって悪事を行うこと有と雖も、後に自ずから改め悔いて諸悪莫作、衆善奉行(すれば)、久しくして必ず吉慶を獲、所謂禍を転じて福となすなりと。故に吉人善を語 . . . 本文を読む
今日は覚海法橋入滅の日です南山第三十七世執行検校法橋上人位覚海傳 金剛峰寺沙門 維寶 編輯「師諱は覚海、南勝と号す。但馬の国朝来郡の人なり。氏族未詳。夙に祝髪して内外の典籍を習ひ、晨夕に勤めて瑜伽の妙極を究む。ついに建の屋の興光寺の學頭となる。恭しく大師の旧跡を慕ひ、紀陽高野山に樊さいして勝地を求めて、草庵を構す。明師を選びて事業を受け、二転の妙果(菩提と涅槃)を期す。故に院に開敷華王の称号あり . . . 本文を読む
今日は日本史上初めての放生令が発せられた日
『日本書紀』(天武五年(676))「八月壬子(十七日)、詔曰、死刑・沒官・三流、並降一等。徒罪以下、已發覺・未發覺、悉赦之。唯、既配流不在赦例。是日、詔諸國以放生。」
この年には飢饉があったのでこのためと思われます。『日本書紀』「是夏。大旱。遣使四方捧幣帛。祈諸神祇。亦請諸僧尼。祈于三寶。然不雨。由是五穀不登。百姓飢之 . . . 本文を読む
地蔵菩薩三国霊験記 6/14巻の5/22
五童子戯れに地蔵を造る霊験
中古園城寺に児(ちご)侍りき。生年十二の時戯れに法師の形を作り刻み、これぞ地蔵菩薩よと童子等相語らひ香花を供養して根堂(こんどう)の佛壇に安置し奉りけり。僧形に成り修学形の如く勵み、顕密兼学の法侶と成り五時(華厳・阿含・方等・般若・法華涅槃)八教(蔵教・通教・別教・円教。頓・漸・不定・秘密)を口に誦し秘密上乗の月胸に澄めり。 . . . 本文を読む
. 史料綜覧 巻五 / 文永五年(1268)八月十七日条十七日 延暦寺中堂ニ七仏薬師法ヲ修シテ 蒙古ノ事ヲ祈ル亀山天皇、鎌倉幕府は惟康親王、執権は時宗。一月、元の使節が国書をもって訪日していますが之を幕府は黙殺しています。6年後の文永十一年に文永の役が起こります。 . . . 本文を読む
日本紀略 / 天暦元年(947)八月十七日戊戌条「十七日戊戌 請内印 是可攘除皰瘡 諸社奉幣読経官符給五畿七道諸国也」天皇は村上天皇。「日本紀略・後編三」天暦元年六月の項にも「今月以降。皰(疱)瘡多発。人庶多殤。有童謡言」(この月以降、天然痘が流行し、多くの人々が病にかかるとすぐに亡くなっている。わらべ歌で歌われているほどだ)とある。此の後、天然痘が猖獗を極め、日本紀略・天暦一年947 八月十四日 . . . 本文を読む
『日本書紀』天武五年(676)八月壬子 (17日)「八月壬子、詔曰、死刑・沒官・三流、並降一等。徒罪以下、已發覺・
未發覺、悉赦之。唯、既配流不在赦例。是日、詔諸國以放生。」(死刑などの人を減刑し諸国に放生をさせた。)
この年には『日本書紀』で「是夏。大旱。遣使四方捧幣帛。祈諸神祇。亦請諸僧尼。祈于三寶。然不雨。由是五穀不登。百姓飢之。」と、旱の深刻な害があったので寺社に祈願し . . . 本文を読む