農民芸術概論綱要宮沢賢治序論……われらはいっしょにこれから何を論ずるか……おれたちはみな農民である ずゐぶん忙がしく仕事もつらいもっと明るく生き生きと生活をする道を見付けたいわれらの古い師父たちの中にはさういふ人も応々あった近代科学の実証と求道者たちの実験とわれらの直観の一致に於て論じたい世界がぜんたい幸福にならないうちは個人の幸福はあり得な . . . 本文を読む
「ありがたい、ありがたいお大師様」(N・K、日本巡礼記集成)「・・私は新潟県長岡市に住んでおります。長岡市の南東六㎞に鉢伏山という山があり、そこに禅宗のお寺があり、修行大師様の尊像がお祀りされています。わたしはいつからともなくこの修行大師様にお参りをしておりましたが、そのうち息子が新潟大学の工学部を受験することとなりました。親として何とかして入学を果たさせてやりたいと思い、1年前からこのお大師様に . . . 本文を読む
. 百錬抄 / 正治元年(1199)八月三日条「八月三日 神泉苑において孔雀経御読経始めらる。 祈雨に依る也。」天皇は御門天皇。後鳥羽上皇の院政。鎌倉幕府は源頼朝。この時の修法は東寺長者の延杲が行い、その功績で高野山の孔雀堂が建立されました。延杲は密教大辞典に依れば「左辨少藤原能忠の子。叔父禎喜大僧正に従い剃髪受戒、建久二年五月神泉苑に祈雨、賞として法印に叙せあっる。十月東寺五十代長者。護持僧。正 . . . 本文を読む
地蔵菩薩三国霊験記 5/14巻の7/17
七、母、女(むすめ)の方便に依りて往生の事。
津國難波津に栖ける尼公侍りき。山の井小宰相知平と云の後室なり。極めて悪人にて人の悪をいふことをよろこび他の善を見て嫉む。日用彝倫(いりん・人倫)だも此の如し。況や佛法の道とて露欣求の心なし。されば家貧にして旦夕の煙もたへだへなんり。然るに彼の女(むすめ)一人ありしが常に地蔵尊を信じき。積累の感應あらはれて富 . . . 本文を読む
数年前NHK「街録」でタレント森口博子女史が「厄年で仕事も私生活も最悪最低の時期、母に“笑っていなさい“って言われました。口角を上げていれば、きっといいことがあるって…。教えを守り、笑顔を心掛けるようになってから運気が好転しました。言霊パワーってあると思うんですよ。“笑顔”そして“感謝”を口にすると、運気が好転す . . . 本文を読む
死の底から救って頂く(N・Y女史。日本巡礼記集成)「私は高知県の田舎に生まれました。家から12キロ余りのところにミニ八十八所があり小学五年生くらいの時おまいりしたことがありました。・・・その後、結婚し南京市で終戦を迎え、一年後にやっと日本に帰り着きましたが33年に主人が病死、中学を先頭に五人の子供を抱え途方にくれました。働くために高知市内へ出てきましたがその年無理がたたって、重度の胆嚢炎となり病院 . . . 本文を読む