お大師様は、紀州高野山開創に当たり、有縁の人々の支援を求るべく「勧進して仏塔を造り奉る知識の書」を今日8月23日書かれています。「勧進して仏塔を造り奉る知識の書」 の全文です。「夫れ諸仏の事業は、 大慈を以て先と為し、 菩薩の行願は、 大悲を以て本と為す。 慈は能よく楽を与へ、 悲は能く苦を抜く。 抜苦与楽の基、 人に正路を示す、 是なり。 謂いう所の正路に、 二種有り。 一には定慧門、 二には福 . . . 本文を読む
以下密教大辞典等に依る。
没年:徳治三年八月二十三日(1308)五十一歳。
鎌倉後期の真言僧。近衛良教の子で醍醐寺報恩院の覚雅に師事して出家。醍醐寺報恩院四世として報恩院流の全盛を築く。後宇多帝の幼少時に侍僧として仕えたことから, 後宇多法皇の帰依を受ける。徳治三年二月憲淳疾篤きに及ぶや法皇は勅書を下して法流伝授を求め給ふ。仍って憲淳は徳治三年三月二十五日請文を . . . 本文を読む
地蔵菩薩三国霊験記 6/14巻の11/22
十一、 合戦に矢を拾ひ給ふ事
中古江州愛智郡賀野村に古寺あり(滋賀県愛知郡愛荘町岩倉663矢取地蔵堂(仏心寺)は今も平師道が建立した勝負の神様として信仰されている)。其の本尊は地蔵尊を安置す。草創を原(たずぬる)に検非違使平師道が曩祖(のうそ・先祖)の建立する所也。然るに師道其の職として武勇を業とし弓馬を宗とす。時 . . . 本文を読む
お大師様は、紀州高野山開創に当たり、有縁の人々の支援を求るべく「勧進して仏塔を造り奉る知識の書」を今日8月23日書かれています。「勧進して仏塔を造り奉る知識の書」 の全文です。「夫れ諸仏の事業は、 大慈を以て先と為し、 菩薩の行願は、 大悲を以て本と為す。 慈は能よく楽を与へ、 悲は能く苦を抜く。 抜苦与楽の基、 人に正路を示す、 是なり。 謂いう所の正路に、 二種有り。 一には定慧門、 二には福 . . . 本文を読む
貞観17年(875年)の銘が入る梵鐘で、日本三名鐘の1つ(「銘の神護寺」「姿の平等院」「音の三井寺」)。この梵鐘は、橘広相が詞書を書き、菅原是善(道真の父)が銘を選び、藤原敏行が揮毫と、当時一流の3名の合作で「三絶の鐘」とも呼ばれます。卜書に「貞観十七年八月二十三日、治工志我部海維以銅千五百斤令鋳成。橘広相之詞、菅原是善銘、藤原敏行書」とあり。 . . . 本文を読む
今日は時宗開祖一遍上人の入滅された日です。上人は延応元年(1239).2月15日、伊予にお生まれになり、正応2年(1289).8月23日、播磨で死去されています。遍路をしていると一遍上人の旧跡に多く出会い懐かしい方です。36歳のとき (1274) 四天王寺、高野山に詣でたのち、熊野本宮証誠殿に参籠していたところ,「信,不信をえらばず,浄,不浄をきらはず,その札(念仏札)をくばるべし」という神勅を相 . . . 本文を読む