写経の誓と家族の供養により穴から出られた話
「今昔物語集・巻十四・美作国鉄掘入穴法花力出穴語 第九」
「今昔、美作の国英多の郡に、鉄を採る山有り。安倍の天皇の御代に、国の司・・・と云ふ人、民十人を召て、彼の山に入れて、鉄を掘らしむ。民等、穴に入りて鉄を掘る間、俄に穴の口崩れ塞がるに、穴に入れる鉄掘の民等、恐れ迷て競ひ出る間、九人は既に出ぬ。今一人は遅く出でて、穴崩れ合て出得ずして止ぬ。国の司より始て、此れを見る上中下の人、皆哀れび歎く事限無し。
彼の穴に籠ぬる者の妻子は、泣き悲て、其の日より始て、仏経を写して、七日毎の仏事を修して、彼れが後世を訪ふに、七々日既に過ぬ。
彼の穴の中に籠ぬる者は、穴の口は塞ると云へども、穴の内空にして、命は存しき。然ども、食物無きに依て死む事を待つに、念ずる様、『我れ、先年に法花経を書写し奉らむと思ふ願を発して、未だ遂げずして、忽に今此の難に会へり。速に、法花経、我れを助け給へ。若し、我れを助て、命を存したらば、必ず仏を写し経を書かむ』と。
而る間、穴の口に隙指し破れて、開き通たり。日の光り僅に指し入るを見る間、一の若き僧、狭き隙より入来て、食物を持来て、我に授く。此れを食ふに、餓への心皆直ぬ。僧の云く、『汝が妻子、家に有て、汝が為に七日毎の法事を修して、我れに食を与ふ。此の故に、我れ持来て汝に食を与ふる也。暫く相待て。我れ、汝を助くべき也』と云て、隙より出て去ぬ。
其の後、久しからずして、此の穴の口、人掘らずして自然ら開き通りぬ。遥に見上れば虚空見ゆ。弘さ三尺許、高さ五尺許也。然れども、居たる所より穴の口まで、遥に高くして上得べからず。
而る間、其の辺の人卅余人、葛を断むが為に奥山に入る間に、此の穴の辺を行く。其の時に、穴の底の人、通る山人の影の指入たるを見て、音を挙て、「我れを助けよ」と叫ぶ。山人、髴(ほのか)に蚊の音の如く穴の底に音の有るを聞て、怪むで。「若し此の穴に人お有るか」と思て、実否を知らむが為に、石に葛を付けて穴に落し入る。底の人、此れを引き動す。然れば、『人の有る也けり』と知て、忽に葛を以て籠を造て、縄を付て落し入る。底の人、此れを見て、喜て籠に乗り居ぬ。上の人、集て引上見れば、穴に籠りにし人也。
然れば、家に将行ぬ。家の人、此れを見て喜ぶ事限無し。国の司、此れを聞て驚て、召て問ふに、具さに申す。聞く人、皆此の事を貴び哀ぶ。
其の後、此の男、国の内に知識を引て、経の料紙を儲く。人、皆力を合せて、法花経を書写供養し奉りつ。必ず死ぬべき難に値ふと云へども、願の力に依て命を存する事は、偏に此れ法花経の霊験の至す所也と知て、弥よ信を発しけり。亦、此れを見聞く人、貴びけりとなむ語り伝へたるとや。」
この元となった話が「日本霊異記」に「法華経を写さむとして願を建てし人の断へて暗き穴に内り、願力に依りて命を全くすることを得し縁」として出てきます。残された家族が仏様にお供えをして熱心におがんだので僧が穴に来て助ける等、殆ど同じ内容です。