福聚講

平成20年6月に発起した福聚講のご案内を掲載します。

「道徳的覚醒」ができるか否かがそれぞれの文明の持続可能性をはかる尺度

2020-07-10 | 法話
ラッセルは第二次大戦直後「人類の将来・・人類に害を与えてきた諸思想(1946年)」でいっています。「さまざまな人間の災難は次に二種類に分けることが出来る。第一に非人間的な環境から蒙る災難であり、第二には、他の人間から蒙る災難である。・・・今後の事については次のように考えればいいだろう。すなわち人類が考慮すべき最も重大な弊害は人類が愚かさや悪意、あるいはその両方によって互いに他の上に生じさせる弊害なのだ、と。・・・世界はある種の道徳的諸特性を必要としている。すなわち幾時代にもわたってモラリストたちが唱導してはきたが、これまでほとんど受け容れれられなかったような諸徳性を、である。・・・われわれすべてが一つの家族であり、此の家族のどの部分の幸福も、他の部分の荒廃の上に築くことはできない、という知的で道徳的な覚醒がなければならない。」

シャレド・ダイヤモンドの「文明の崩壊」でも過去多くの文明がその構成員の「エゴと愚かさ」でみずから崩壊していったと具体的に分析しています。

まさに文明を構成する集団の中で一人一人が「道徳的覚醒」ができるか否かがそれぞれの文明の持続可能性をはかる尺度であるといえましょう。そしてこれは個人や集団の盛衰にも当てはまることです。古人が挙って、陰徳を積め、福田を耕せ、と口を酸っぱくして説いてきたのはまさにこう云う背景があったのでしょう。

粗暴な武力でチベットを占領したり、香港自治を威圧したり、新疆ウイグル自治区を蹂躙したり、尖閣諸島や南西諸島を侵略したり、ヨーロッパ・アフリカ・中東・中南米等を席巻しようとしたりすることは文明国のやることでありません。こういう国は早晩歴史からリタイヤさせられます。
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