福聚講

平成20年6月に発起した福聚講のご案内を掲載します。

密教観法の研究(大山公淳)より

2020-06-23 | 諸経

「(奥義書(ウパニシャッド、サンスクリットで書かれたヴェーダの関連書物)では)瑜伽行を修する方法としては端座して身体を整生ならしめ呼吸を整えて心を一点に集中することを教え、これをもって禅的修行の普遍的条規としている。呼吸を調整することは仏教に入って数息観となり、密教に入っては更にそれが精錬せられて阿字観の作法となるべきものとす。行者の選ぶべき場所は、大日経の七日作壇の法を説いてある所の如く、平坦清浄にして砂石瓦礫なく火塵なくすべての音響余りに騒がしからず、水流園亭等何れもよく意楽に適し、人家を遠くにした閑雅幽静な場所を撰ぶ。行を修し梵を念ずるに、最初は煙霧・太陽・火・風・蛍光・霊光・明月などが現れ、次第に修行が進めば地・水・光・熱・空等現じ、遂に色声香味触の五境に対して自在力を得、瑜伽の火によって新たな身体を生じ、長く老病死の苦海を脱することが出来るといい、又瑜伽を修してをれば最初は身心の軽快を覚え、健康を増し、相貌を好くし、弁をさわやかにし、好香を身より出すようになり、等・・・説いておる。太陽が現れ明月が現れるなどということは浄土教における観経(観無量寿経、極楽往生のための十六の観想を説く)の日想観や、密教における日輪観・月輪観の初心行者の悉地成就を説くものに似ている。しかし奥義書ではそれらの悉地を以て寧ろ副産物的効能として扱い、最後の終極の目的は大悟であり解脱である。(密教観法の研究、大山公淳)」


 

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 一切衆生は本有の金剛薩埵 | トップ | 目的は「宝そのもの」 »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

諸経」カテゴリの最新記事