福聚講

平成20年6月に発起した福聚講のご案内を掲載します。

今日は初午

2021-02-03 | 法話

2021年の初午は、2021年2月3日(水)です。

・稲荷社の本社である伏見稲荷神社のご祭神・宇迦御霊神が伊奈利山へ降りたたれた日が和銅四年二月十一日壬午であったとされ、この日が初午であったことから、全国で午の日に稲荷社を祀るとされます。(「二十二社註式」「元明天皇和銅四年辛亥、始顕坐伊奈利山三箇峰平処、是秦氏祖中家等、抜木殖蘇也、秦氏人等為禰宜祝供仕春秋祭、依其霊験有被奉臨時御幣」)

・「神道集」「稲荷大明神事」に

  • 伏見稲荷の御本地は千手・地蔵・如意輪観音または文殊
  • 御利益は19(除病・福徳・愛敬・隆家等ほとんどの世俗の要望を満足)と。

「神道集」「稲荷大明神事」「抑、稲荷の明神とは上の御前(伏見稲荷の上社)は千手、中の御前(中社)は地蔵、下の御前(下社)は如意輪観音也。或る人の日記には、下の御前は如意輪、中の御前は千手、上の御前は命婦にて辰狐也。本地は文殊也。

・・先ず外用の徳とは一は諸病を除き、二は福徳を得しめ、三は愛敬を得しめ、四は主君に重敬され、五は盛家と成て貴財具し、六には五穀豊穣ならしめ、七は衣装豊ならしめ、八は牛馬六畜成就す、九は所従眷属満足す、十は端正な子を産み、十一は衆人愛敬の子を産み、十二は利根自在の子を産み、十三は持會の輩、病の家に行き向かって忽然として病魔退散す、十四は持會の輩、供共に難産の所に行き向って諸魔縁を払て安穏に産ましむ、十五は盗賊の難を除き、十六は本姓の劣なるを捨て高位に昇る、十七は軍陣の所に至るに忽然として軍逃げ去る、十八は呪詛本人に返る、十九は一切の霊験自在ならん。此の如きの十九の霊験、何れか一切衆生の願いに非ざる。皆是我等が依怙は只是天等の利益なり。・・

次に内証の功とは彼の所住、衆生の心精の為に是能く住穢土の荒野なる、ここに種子を云ば、如如不可得の阿字なり。三形を云えば三々随類の如意宝珠杏里。能乗を云えば金色微妙の天女の形、所乗を云えば白色殊勝の辰狐王、能乗所乗定恵一体也。性徳修徳定恵不二の理也。故に法界と衆生とは因果の異、凡夫と賢聖とは迷悟の差別なり。只金剛實智を顕はすが故に文殊也。胎蔵の真理を示すが故に辰狐菩薩也。白色實色を現すがゆえに赤色也。これ則ち赤白二諦の法門、福智円満の功徳、顕処はs自性法身如来、悟所は真如実相の妙理也。

・東寺の『稲荷大明神縁起』には、古くから稲荷山の麓に竜頭太(りゅうとうた)という山神が住んでいて、竜頭太が弘法大師の教えで稲荷山を譲ったので、稲荷山に白髭の稲荷神を祀ったとある。

「或記伝、古来伝に伝ふ、竜頭太は、和同年中より以来、既に百年に及ぶまで、当山麓にいほりを結て、昼は田を耕し、夜は薪をこるを業とす。其の面竜の如し。顔の上に光ありて、夜を照らす事昼に似り、人是を竜頭太と名く。其の姓を荷田氏と云ふ。稲を荷ける故なり。而に弘仁の比に哉、弘法大師此山をとして難業苦業し給けるに、彼翁来て申し曰く。我は是当所の山神也。仏法を護持すべき誓願あり。願くは大徳常に真密の口味を受け給ふべし。然者愚老忽に応化の威光を耀て、長く垂述の霊地をかざりて、鎮に弘法の練宇を守るべしと。大師服膺せしめ給ひて、深く敬を致し給ふ。是を以って其面顔を写して、彼の神体とす。種々の利物連々に断絶する事なし。彼の大師御作の面は当社の竃戸殿に案置せらる。」

 

・こうして伏見稲荷は大師とつながりが深く、五月三日の「還幸祭」では、神輿が東寺に入り供養を受けることになっています。

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