福聚講

平成20年6月に発起した福聚講のご案内を掲載します。

第二十 発趣階位章(「真言宗義章」真言宗各派聯合法務所編纂局 1916)等より・・21

2019-01-21 | 頂いた現実の霊験

第二十 発趣階位章(「真言宗義章」真言宗各派聯合法務所編纂局 1916)等より・・21

 

凡そ真言行者発心趣入の相は総じて之を言はば両部大経所説の三句五転の法門(三句の法門とは、「菩提心を因とし、大悲を根とし、方便を究竟とす」五転とは「発心、修行、菩提、涅槃、方便究竟の五転門」)に過ぎず。因・行・証・入・方便、之を五転といふ。三句五転はただ開合の不同のみ。今経軌の説に依りて五転の図を示さば此の第一図の如し。(第一図)

       西・阿弥陀(入)

南・宝生(証)中央・大日(因)、 北・釈迦(方便)

東・阿閦(行)

この図は菩提心に本有、修生の二義ある中、その本有の体を中央大日如来の果徳に配し、その修生の用を修行に配して之を東方阿閦佛に配し、不二の大菩提を修する位を南方宝生佛に配し、金剛の大涅槃に入る位を西方阿弥陀佛に配し、金剛の大涅槃を動ぜずして大悲の業用断ゆることなき位を北方釈迦佛に配す。これを中因発心の五転といひ、又は本修合論の五転ともいふ。

 

第二図    西・阿弥陀(証)

南・宝生(行)中・大日(方) 北・釈迦(入)

       東・阿閦(因)

 

第二図は修生の菩提心をおもてとし之を東方の阿閦佛に配し修行・菩提・涅槃の三位を次の如く南・西・北方に配し四転具足の総徳を方便として之を中央大日に配す。是を東因発心の五転と名つ゛け、又は修生の五転と名つ゛くるなり。

不空三蔵の所伝は第一の五転を本とし、善無畏三蔵の所伝は第二の五転をおもてとす。而も実には両種の五転相待ちて菩提心の体用本末の徳を示すものにして其の同時不離なることを知るべし。この如く真言行者の発趣の次第を五方の五佛に配する所以は因より果に至るまで皆悉く佛境界の所行を出でざるの深旨なり。故にもしこの義趣に依らば凡聖の中間に浅深重重の階級を建立せず。しかるに佛境界の所行なりと雖も修行に熟不あり。観解に浅深あり。証理に分満あるべきがゆえに法身如来さらに無階級の中に六無畏・十地の階級を建立したまへり。行者須らくこの階級を明鏡として以て益々浄菩提心を錬磨すべし。六無畏とは一は善無畏、二は身無畏、三は無我無畏、四は法無畏、五は法無我無畏、六は一切法自性平等無畏なり。

第一の善無畏とは一向造悪の人、宿善開発して戒善を守るに至るが故に未来亦三途に堕するおそれなかるべしと知りて心稍安穏なるを得る位、真言行者始めて真言門に入り三昧耶仏戒を受け菩提心を発起する位なり。

第二に身無畏とは、声聞の人、不浄観を修し、自他男女の身は三十六物悪露充満すと知りて貪染漸く薄らぐ位なり。真言行者三密行を修し本尊瑜伽の境始めて現存する位なり。

第三に無我無畏とは、声聞の行者、人空無漏の智を証する位也。真言行者、十喩の観智により所現の本尊に対して愛慢を生ぜざる位これなり。

第四に法無畏とは、小乗の行者の中に最利根なるを寂然界の菩薩といふ。この菩薩、五蘊を分析して無自性なりと知り、法空の一分を証する位なり。真言行者、十喩の観さらに進んで所現の本尊は自性空寂なりと知る位なり。

第五に法無我無畏とは、三乗教の菩薩(声聞・縁覚・菩薩)、萬法唯識の理を証する位なり。真言行者所現の本尊は自心本有の徳なり、と証する位これと等。

第六に一切法自性平等無畏とは一乗教の菩薩、真如法性に悟入にて言心ともに泯ずる(消滅する)位なり。真言行者本尊即自心なり、自心即本不生不可得なり、不可得も不可得なりと知りて無分別に住する位とひとし。是れ即ち遮情の至極なり。これを六無畏といふ。若し十住心に約せば第九住心(極無自性心:華厳)の分際なり。この位に世間有相の悉地現前す。(しかしこの位では)未だ阿字門、真実の諦理を見ず、ゆえに之を地前の菩薩の位といふなり。十地とは(十地は、菩薩が修行して得られる菩薩五十二位の中、下位から数えて第41番目から第50番目の位をいう。十廻向の上位であり等覚より下位にあたる。上位から法雲・善想・不動・遠行・現前・難勝・焔光・発光・離垢・歓喜の10位がある)第一位には歓喜地、第二には離垢地、第三には発光地、第四には焔慧地、第五には極難勝地、第六には現前地、第七には遠行地、第八には不動地、第九には善慧地、第十には法雲地なり。十地の各項目は顕密同じなれども其の法体は浅深はるかに異なり、地地に各々一波羅蜜を成就し第十地に至りてはじめて十波羅蜜を具足し次第遷登の相分明にしてこの上に更に等覚、妙覚の二位を立つるは是れ即ち顕教の所立なり。この如きを浅略の十地といふ。真言門の中には地前、六無畏にこれを摂在するなり。真言の十地とは地地には各々十波羅蜜を満足し初地と十地と平等にして高下あることなし。その初地は法身如来の自証大智の徳を証する位の密号各字なり。二地乃至十地といふは法身如来の化他大悲の徳を証する位の密号名字なり。この如きを大日経所説の深秘の十地といふ。若し金剛頂経の説に依らば(以下に述べる)十六大菩薩生の位を建立す。凡そ法身如来に四智の徳ありて四佛を現ず。四佛各々に四智の徳を具して各々に四菩薩を生ず。阿閦佛より薩・王・愛・嬉の四菩薩を生じ、宝生佛より宝・光・憧・笑の四菩薩を生じ、阿弥陀仏より法・利・因・語の四菩薩を生じ、釈迦佛より業・護・牙・拳の四菩薩を生ず。當に知るべし十六大菩薩即四佛、四佛即大日也。真言行者始め第一の金剛薩埵の三摩地を証し、乃至次第に第十六の金剛拳菩薩の三摩地を証して十六徳円満す。是を究竟法身の妙果といふ。若し金剛三昧経の説に依りて十地に配する時は金剛薩埵はこれ初地、王・愛・嬉・宝の四菩薩はこれ第二地。光・憧・笑の三菩薩はこれ第三地。法菩薩は第四地、利菩薩は第五地。因菩薩は第六地。語菩薩は第七地。業菩薩は第八地。護・牙の二菩薩は第九地。拳菩薩は第十地なり。この十地十六生は若し十住心に約せば第十住心の分斎なり。この位に出世無相の悉地現前す。阿字門真実の諦理を証する位也。之を地上の証左といふ。

 

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