福聚講

平成20年6月に発起した福聚講のご案内を掲載します。

坂東霊場記にみる27番円福寺の縁起と霊験です。

2010-03-01 | 法話
坂東霊場記
「第廿七番銚子飯沼
下総國海上郡銚子浦飯沼山縁圓福寺。弘法大師の開基。本尊十一面観自在。海中より出現の像。漁師両人の感得なり。・・・人王四十五代聖武帝の御宇、神亀五年戊辰の春、銚子の浦にわかに荒れ出し、漁夫等、一の小魚も得まじことすでに両三月におよびける。まことに前代未聞の不漁と浦人怪しみけるところに、・・鼓が淵のおきの方会場一里余程にして毎夜に光の出るところありけり。その形の大さ鯨に似てその光も彼の汐をふくが如し。・・はるか空中に旋転して暁の頃にいたって物を投ぐるがごとく飛び下りもとの海中へおさまり没す。・・一人の漁夫が夢に青衣を着たる官人きたり、汝常陸の朝来(いたこ)へ往きて牛堀の漁夫長蔵を勾引(さそい)、彼とともに同船に乗り海中の光をいだすところにいたり、おそれず網をおろして試むべし。まことに希代のえものあらん。・・・両人ひきあぐれば十一面観世音菩薩、瓔珞荘厳の妙相を具し・・左の脇に瑪瑙石を挟み魚網にかかってましましける。・・かかる辺鄙穢悪の郷へ大悲の像流現したまへるはまことに無刹不現身の誓ひただあおいで信ずべし、貴むべし。

銚子の浜辺にもと大沼あり。漁夫仮屋をつくり海中感得の像を安置す。しかるに一夜大いに風雨おこり雨降って沼の中雷の如く鳴り響く。・・青色の衣冠をつけたる人瑠璃の鉢に精飯を盛り・・大悲の像の前に捧げて去る。ついに名付けて飯沼といふ。・・聖武帝の天平年中に行基大士勅を蒙り諸州国分寺を建てたまふ。時に・・此の地の奇特を聞き及ばれ手ずから一の厨子をつくりここにおくりて大悲者へ献じたまふ。

巡礼詠歌
たぐひなき恵みをなんと飯沼の深き誓ひは汲む人ぞ知る。

上の句は大悲の像出現のいはれは無比不可思議の方便にして、凡舌をもってのべることかたしとなり。下の句は沼の深さを弘誓の海にたとふ。汲む人ぞ知るとはこの像の恵心のものを指す。知る人ぞ知るの佳語あり、その古歌の意味にて知るべし。

当寺本尊感得の漁夫二人おなじく剃髪して相共に大悲堂に居住して生涯香花灯明の供僧となる。しかるに両人大悲の冥加にや諸人の病を加持するに十中八、九いえぬものなし。なかにも鬼瘧(おこり)を呪するに妙あり。このゆえに土人瘧除法師といふ。いま境内にこの木像を安ず。瘧をやむもの祈るに必ず験あり。
大同年中弘法大師手ずから座光等を具えたまふ。ここに海上氏の富豪あり。あつくこの尊像に帰依して、金銭、材穀を喜捨し大悲の御堂構営を企てける。長者幸いに大師を招じて結界地鎮の法を修業せしめ遂に梵刹を拓き蓮宮をつくる。これ当地精舎の初建にして、修瑜伽道場の濫觴なり。このときの大師彫刻の佛菩薩、書写の経巻、図像等、千載のいまもあいつたわるなり。
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