福聚講

平成20年6月に発起した福聚講のご案内を掲載します。

第二十一 往生浄土章(「真言宗義章」真言宗各派聯合法務所編纂局 1916)等より・・22

2019-01-22 | 頂いた現実の霊験

第二十一 往生浄土章(真言宗各派聯合法務所編纂局 1916)等より・・22

>(大日如来の密厳浄土はすべての仏の浄土を包含する浄土であり即ち真言行者の生ずべき浄土である。真言行者が如何にしてこの密厳浄土に往生することを得るかといえば、真言行者が最初灌頂壇に入り阿闍梨の開示を蒙り信心を得る時に無漏の種子を第八識心に植つけられたことになり、如来五智の体性を成就する故に往生の業を決定することになる。その後三密の妙行を修すれば上根上智の人は一生の間に三密相応して父母所生の身を転ぜずして密厳浄土に往生する事を得。若し下根劣慧の人は一密、二密の修行により如来の加持力と教益甚深の力とに引かされて命終の後は永く三悪道の苦を離れて或はしばらく十方の浄土に生じ、或は人間・天上の勝妙の果報を感じ、菩提心退転せずして二生三生等の間に三密双修の時至り速やかに密厳浄土に往生することを得ることになる)p>

大日如来の浄土は或は金剛法界宮と名け、或は密厳浄土と称す。大日如来、実の如く自心を覚りて諸法理智の体性に住し給ふがゆえに、金剛法界宮と名けたり。この金剛法界宮は三密無尽の万徳を以て荘厳する所なるが故にこの辺に約して密厳浄土と称する也。即ち是れ曼荼羅境界なり。この浄土の広さとは法界に周辺して至らざる所なきなり。安養・都卒等の十方浄土はみなその中にあり。その荘厳の相は百千万億の浄土の中に微妙にして安養浄土の弥陀如来をはじめ諸仏世尊の皆共に讃嘆したまふ所なり。これ固より我等凡夫の言語心量の及ぶところに非ず、是れ(大日如来の密厳浄土は)即ち真言行者の生ずべき浄土也。真言行者如何にしてこの如くの浄土に往生することを得べきぞとならば、真言行者最初灌頂壇に入りて阿闍梨の開示を蒙り深く浄信を生ずる者は無漏の種子を第八識心田に植つけ、如来五智の体性を成就するが故に往生の業、決定すること正しくこの時にあり。その後三密の妙行を修するに若し上根上智の人は一生の間に三密相応して父母所生の身を転ぜずして密厳浄土に往生する事を得。若し下根劣慧の人は一密、二密の修行により如来の加持力と教益甚深の力とに引かさるがゆえに命終の後は永く三悪道の苦を離れて或はしばらく十方の浄土に生じ、或は人間・天上の勝妙の果報を感じ、菩提心退転せずして二生三生等の間に三密双修の時至り速やかに密厳浄土に往生することを得べし。

 

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