福聚講

平成20年6月に発起した福聚講のご案内を掲載します。

「光明真言式 」

2021-01-13 | 諸経

「光明真言式    毎年三月廿日夜 初夜座 所用也」   「知道上人」(弘安年間の人・元中院中将と称す。遁世して東山白毫寺に住す。東寺流の明匠。著は他に「好夢十因」「病中用心鈔」「仏法夢物語」「不生鈔」「光明真言式」等)撰

 

「先,総礼 我此道場如帝珠 十方諸仏影現中 我身影現諸仏前 頭面接足帰命礼

  南無十方一切常住三宝

敬って、光明遍照大日如来・四方四智諸薄伽梵・光明真言甚深秘蔵五十字義旋陀羅尼・不空羂索等の諸大菩薩・三国伝灯諸大阿闍梨耶乃至両部界会帝網重々の三宝に白して言さく。

夫れ一心は是本居なり。之を忘れて流来已に久し。三界は客舎の如し、之に住して迷倒未だ息まず。大我の法身は空しく形骸の間に隠れ、無生の真智は永く縁慮の中に亡ず。爰に大日如来往昔の悲願に依りて加持三昧に住し、金剛一乗を説きて沙界の群類を度す。源を尋ねては一平等の語也。種々の真言何ぞ優劣あらん。機に随ば無量の所乗也。各々の瑜伽親疎なきに非ず。是を以て生死の黒闇を破し、圓明の智體を顕さんこと、光明真言の功力に過ぎたるは無し。我等知らず、何の因縁あってか此の真言に遇ふことを得たる。其の宿因を顧みるに歓喜肝に銘ず。是に一門の諸徳、毎歳今夜此の法筵に集まり、此の秘呪を誦し、此の達麼を修す。兼ねて群参の緇素をして同じく共に唱へしむ。

啓く所の法席は三會の暁を期し、修するところの白業は四恩の境に酬ふ。殊には有縁の檀越嘱託する所の各々の先亡の増進菩提を祈り、総じては、十方無縁の霊鬼を漏らさず、或は悪趣を出さしめ、先ず人天勝妙の果報を受けしめ、終には佛処に往詣せしめんと欲す。庶幾ねがはくは、念誦の功、失ふことなく、廻向の願い空しからざることを。伏して乞ふ、三寶哀愍証知したまへ而已。

今この講演に略して五段あり。一には総じて真言陀羅尼を讃じ、二には別して光明真言を嘆じ、三には亡者の得益を明かし、四には大衆別願の旨趣を挙げ、五には普皆廻向也。

第一に総じて真言陀羅尼を讃すとは、如来内証の境界は有相無相共に甚深なり。衆生本性の曼荼羅は能詮所詮悉く平等なり。之に依って不生の心地は全く法爾所起の文字に顕れ、離言の果海は還て自然流出の音聲に有り。衆生痴暗にして此の甚深の義趣を知らず。如来加持して更に真言道句を演説したまふ。機感の因縁より生起すと雖も、而も実際を動ぜず。善巧方便を以て施し為すと雖も而も佛の所作には非ず。字字互に万徳を具す焉。

帝網の光を交へるが如く、聲聲皆衆罪を滅して利刀の物を壊するに同じ。是を総持蔵と號し、又金剛乗と名く。誠にゆえ有るものかな。薄福の人に於ては、此の教えを信ずること難し。頓悟の機に非ざらんには其の手に入ること難し。但し高原の水は深谷に下るの能あり。最頂の教えは鈍機を摂するの力あり。是故に六波羅蜜経に云、「若し彼の有情、契経(経)・調伏(律)・対法(論)・般若(大乗)を受持すること能はず、或いは復、有情、諸の悪業の四重・八重・五無間罪・謗方等経・一闡提等の種々の重罪を造れるを消滅することを得しめ、速疾に解脱し頓悟涅槃すべきには而して彼が為に陀羅尼蔵を説く」と云々。(「大乘理趣六波羅蜜多經」「若彼有情不能受持契經調伏對法般若。或復有情造諸惡業四重八重五無間罪謗方等經一闡提等種種重罪。使得銷滅速疾解脱頓悟涅槃。而爲彼説諸陀羅尼藏。」

大師ののたまはく「浅略趣とは大素本草等の経に病原を論説して薬性を分別するが如く、陀羅尼の秘法は方に依りて薬を合せて服食して病を除くが如しと云々。(「・・如来の説法に二種の趣あり。一には浅略趣、二には秘密趣なり。浅略趣といふは諸経のなかの長行偈頌これなり。秘密趣とは諸経のなかの陀羅尼、是なり。浅略趣とは、太素、本草等の経に病原を論説し薬性を分別するが如し。陀羅尼の秘法といっぱ方に依って薬を合せ、服食して病を除くが如し。若し病人に対して方経を披き論ずるも病を療するに由無し。必ず須らく病にあてて薬を合わせ、方によって服食すればすなわち疾患を消除し、性命を保持することを得・・・」(弘法大師、「宮中真言院の正月の御修法の奏上」))

我等鈍根なりと謂て卑下すべからず。四蔵の機に漏るる者、之を摂するが故に。重障を顧みて功能を疑ふこと莫れ。五逆罪を作る者、之を滅するが故に。字輪月澄めり。円明の真智深く凡心の底に徹る。胸襟の蓮馥し。曼荼の実相悉く己身の中に開く。一指を挙ぐれば無盡法界悉く動き、一音を称すれば塵数海會ここに顕はる。誠に是れ最尊最上の教旨、易行易修の要道なる者歟。もし総持の良薬を得ざらんは何を以てか迷妄の重病を除かん。仍て歓喜心に住して伽佗を唱へ礼拝を行ずべし。

帰命毘盧遮那仏 身口意業遍虚空 演説如来三密門 金剛一乗甚深教

南無輪秘蔵旋陀羅尼 生々世々値遇頂戴 (三辺)

 

第二に別して光明真言を嘆ずとは、儀軌に云、此の秘密真言呪は此れ萬億無数の諸仏如来の心中秘密呪也。この真言呪を誦持すれば即ち無量無数の諸仏菩薩歓喜したまふ。此れは則ち大毘盧遮那如来・無量壽如来、両躯如来の心中秘密呪なり。纔に一遍を誦すれば百千万億の大乗経・無量無辺の陀羅尼蔵・恒沙塵数の法門を誦するに同じ。三世三劫一切の諸仏此の真言呪を誦持するに由って速やかに正覚を成ずることを得る。釈迦如来常恒に恭敬礼拝したまふ。昔忍辱仙人の行を修する間も常に此の真言呪を誦したまふ時、頂より百千の光明を出現して三千大千世界を照輝して正覚を成じたまふ。

光明の力によって地獄餓鬼畜生阿修羅等皆悉く悪趣を解脱し速に正覚を得ることを得る故に光明真言と名く、と云々。夫れ光明とは両部の肝心、五智の秘府也。四重の聖衆は皆百光遍照の智印より生じ、三十七尊は悉く五解脱輪の円明に住す。是の故に三世の如来の浄佛国土・成就衆生は只だ光明の一徳より起これり。所謂法華の會坐には白毫の光明を放ちて

開會の期を示し、涅槃の説會には面門の光明を以て帰寂の終を告げ、安養の浄刹は眉間金色の光より示現し、兜卒の内院は額上の摩尼光従り顕る。阿難尊者の淫室に入りしに、百寶の光明に依りて悪趣を滅し、兜率天子の地獄に堕せしに焉、足下の光明を見て實智を発す。これ等の光明は皆是此の真言の功徳なり。故に三世の諸仏は此の呪力に依って速に正覚を成じ、一切衆生は此の真言を誦すれば解脱を得る也。況や又五輪即ち是れ五智の光なるがゆえに、六大所生は此の真言に非ざるはなし。夕陽壁に下るの影には彌陀摂取の光、西にみちびき、新月峯に臨むの色には、普賢円明の身、東に彰る。飛泉の竹に濺ぐは焉、是れ唵字流注の義を示し、青嵐の松を扣は、豈に吽字因業の響きに非ずや。之に達する者は見聞の縁に触れて光明の中を離れず加持力を受けて成就の期有り。所謂持者を吹く之風にあたって悉く一佛の海會に入り、真言を書くの鼓を聞て皆五逆の罪垢を滅す。此の真言を持する者は啻身後の益に預かるのみに非ず、兼ねては又世間の願をも成ず。一呪の功力を以て無辺の所求を満足す。誠に是れ如来不空の大印、法王髻中の明珠なる者歟。仍って堅固の信心を起こして伽佗を唱へ礼拝を行ずべし。

頌に曰く

「我依秘密真言義 略讃光明甚深呪 一字一文遍法界 無終無始我心分 

南無大灌頂光明真言心中所願決定成就(三反)」

 

第三に亡者の得益を明かすとは、曠劫の流転を観じ四恩の廣徳を顧みるに骨肉を保つは、父母の恩也。其の恩山よりも高く、海よりも深し。国土を安んずるは帝王の徳也、恩徳は日月の如く雨露の如し。又一句の妙法を聞きて無漏の真因を萌すは三宝の恩なり。世間の恩は只だ肉身を養ふ。徳水纔に一涯を霑す。出世間の恩は法身を長養す。慈雲遥かに万代に覆ふ。是の故に薬王大士は妙法を聞きて臂を焼き、(法華経・薬王菩薩本事品に「即ち諸の香・栴檀・薫陸・兜楼婆・畢力迦・沈水・膠香を服し、又瞻蔔・諸の華香油を飲むこと千二百歳を満じ已って、香油を身に塗り、日月浄明徳仏の前に於て、天の宝衣を以て自ら身に纏い已って、諸の香油を潅ぎ、神通力の願を以て自ら身を燃して、光明遍く八十億恒河沙の世界を照す。・・即ち八万四千の塔の前に於て、百福荘厳の臂を燃すこと七万二千歳にして以て供養す」)。薩埵波崙は般若を求めて肉を割く(大般若波羅蜜多經卷第三百九十八初分常啼菩薩品第七十七之一に常啼菩薩(薩埵波崙菩薩)は般若波羅蜜を求めて「爾時常啼作是語已。即申右手執取利刀。刺己左臂令出其血。復割右髀皮肉置地。破骨出髓與婆羅門。」とあり、

「大智度論釋初品中善根供養義第四十六」「又薩陀波崙菩薩は、師を供養せんが為の故に、身の血肉を売れり」と。

是皆深重の師恩を謝し惜しむべき生分を弃る者也。爰に我等法身法爾の説を聞て纔に本来是佛の旨を信じ、瑜伽瑜祇に加持を受けて、無始重障の垢を清むること、是れ誰が恩ぞや。相承弘傳の師恩なり。恒沙の身を弃て、猶餘あり。無量劫を経ても争かでか報謝せん。

大師の曰玉く、三世を達観するは皆是我が四恩也。四恩皆三悪道に堕して無量の苦を受く、我は是彼の子なり、又彼の弟子也、我に非ずんば誰か能く抜濟せんと云々。(弘法大師「平城天皇潅頂文」に「三世を達観するに、皆是れ我が四恩なり。四恩皆三悪趣に堕して無量の苦を受く。吾は是れ彼の子、亦彼の資なり。我に非ざれば誰かよく抜済せん。是の故に大慈大悲の心を発すべし。」)於戯冥路渺渺たり。輪廻を見んと欲すれども眼未だ及ばず、恩海漫漫たり。塵垢を払んと欲すれども力空しく労す。神通第一の目連、佛力を借りて猶亡母を救ふ。自行微薄の凡夫冥助に非ざらんには争かでか幽魂を訪む。儀軌に云く、若し亡者の為に此の真言一遍を誦すれば必ず無量壽如来死者の為に手を授け極楽浄土に引導す。若し諸衆生具さに十悪五逆四重の諸罪を造りて身壊し命終して諸悪趣に堕せんに、此の真言を以て土砂を加持すること一百八遍して屍佗林中亡者の上に散ぜば、彼の亡者若しは地獄餓鬼、若しは修羅、若しは傍生趣の中に在りと雖も毘盧遮那如来真実本願大灌頂光明真言加持土砂の力を以て、時に応じて即ち光明身に及ぶことを得て、諸罪報を除き、所苦の身を捨てて西

方極楽浄土に往生すと云々。(「不空羂索神変真言経・灌頂真言成就品第六十八」「

若有衆生隨處得聞此大灌頂光眞言二三七遍。經耳根者。即得除滅一切罪障若諸衆生。具造十惡五逆四重諸罪。猶如微塵滿斯世界。身壞命終墮諸惡道。以是眞言加持土沙一百八遍。屍陀林中散亡者屍骸上。或散墓上塔上。遇皆散之。彼所亡者。若地獄中若餓鬼中。若修羅中若傍生中。以一切不空如來不空毘盧遮那如來眞實本願大灌頂光眞言加持沙土之力。應時即得光明及身。除諸罪報捨所苦身。往於西方極樂國土。蓮華化生乃至菩提更不墮落。」

 

元暁法師の釈に云く、他作自受の理無しと雖も而も縁起難思の力有り。則ち知りぬ呪沙に遇ふを以て即ち有縁と成りぬ。若し砂を被らざらんには何ぞ脱期を論ぜん。大悲無方、長舌(佛)誑すこと無し。信ぜずんばあるべからず。後悔及ぶこと無し、と云々。

「遊心安樂道・釋元曉撰 」に「雖無他作自受之理。而有縁起難思之力。則知以遇呪沙即有縁。若不被沙。何論脱期。惟夫大悲無方。長舌無雜。不行不信。後悔無反」

夫れ色心不二の談、依正一如(有情の身心を正報、環境を依報といい、依正一如とは自分とその置かれた立場は一体と言うこと)の義は餘の修多羅の中には只だ名字のみ有りて全く其の法なし。而るに土砂は是れ依報なり、不思議の薫を受けて衆生を度す。骨骸骨は即ち色法也。真言加持を蒙って悪趣を脱る。誠に是れ縁起難思の妙術、平等法性の極談なる者歟。今壇上の土砂を加持して泉下の亡霊を抜濟せんと欲す。如来の誠言謬らず。逝者の得益何ぞ疑ん。読誦に聲を励せば字字金色の仏と成りて正法を演説し、廻向に誠を抽んでれば念々に光明の身を現じて群生を照輝せん。仍って悲愍の心に住して伽佗を唱へ、礼拝を行ずべし。頌に曰く

我口輸出陀羅尼 一一文字成仏身 周遍法界等虚空 演説正法度衆生 

南無大灌頂光明真言四恩法界平等利益 三反

第四に大乗別願の旨趣を挙ぐとは、我等人界の生を受けて六根具足の身を保つことを得たり。剰つさへ仏法の縁に逢て三密瑜伽の教旨を聴聞す。針芥相投(磁石が針を引くようにぴったりとしたさま)の如く、亀木の自ら遇ふに似たり。是を以て一同、契りて同じうし、諸徳志を合わせ、専ら持念の功を積んで、互に引摂の媒と為さむ。高祖大師の遺誡に云く、上下争論無く、長幼次第有り、乳水の別無きが如くして、仏法を護持し、鴻雁の序列あるが如くして、群生を利益せよ。若し能く己を護るを即ち是仏子と名く。若し斯の義に違するを即ち魔党と名く。魔党は則ち吾弟子に非ず。吾弟子は則ち魔の弟子に非ず、と云々。(大師の『承和の遺誡』に「諸の金剛弟子等に語ぐ。それ頭を剃り衣を染めるの類は、我が大師薄伽梵の子なり。僧伽と呼ぶ。僧伽といっぱ なり。翻じて一味和合と云ふ。意を等しくして上下諍論なく、長幼次第あり。乳水の別無きが如くして、仏法を護持し、鴻雁の序をあるが如くして、群生を利益す。

もし能く己れを護るを、即ち是を仏弟子と名く。もしこの義に違うをば、魔党と名く。仏弟子は即ち是れ我が弟子なり。我が弟子は即ち是れ仏弟子なり。魔党は即ち吾が弟子に非ず。吾が弟子は則ち魔の弟子に非ず。我れ及び仏の弟子に非ざるは、いわゆる旃陀羅悪人なり。」

世界無量なれば衆生無辺なり。其の中に一たび相視る、猶し昔相視の種子を殖る之故也。何に況や共に五瓶の智水に浴し、一門の血脈に列なる、誠に多生の因縁と謂つべし。更に一世の値遇に非ず、然れば則ち高祖の遺誡を守り、且は宿生の芳契を願って、志を同じくすること一船に乗るが如くし、互に相見ること世尊を見たてまつるが如くせん、縦ひ又同法に非ずと雖も、此の會坐に列なるの輩に於いては同じく志願を一つにして互に違逆すること莫れ。此の大乗の中に若し悪趣に堕在せんものあらば、諸衆持念の共業力を以て頓に之を濟はむ。五色の光明面面の口輪より出て無量の化佛と成りて、悪趣門に到りて正法を演説せん。法音を聞きて光明を見るが故に鑊湯鑪炭化して八功徳池と為り、同業の衆生皆無生法忍得む。縦ひ又人中に生じ天上に遊ぶに此の光明に照触されて速に三界の黒暗を転じて頓に五智の円明を証せん。願はくは此の大衆中に生死を出過する者有らば、同志の因縁を以て本誓を憶念して最勝の引摂を垂れよ。誓願海広し、縦ひ百川を納るも飽くこと無し。正覚山高し、微塵を厭はざれば自から成ぜん。各の勇健の大誓を起こして伽佗を唱へ礼拝を行ずべし。

願我生生見諸仏 世世恒聞真言教 恒修不退菩薩行 疾証無上大菩提 

南無大灌頂光明真言心中所願決定円満 三反

 

第五に普皆廻向とは先ず一夜善根の上分を挙げて、四海豊艾(ほうがい・豊かに治まる)之精祈を致すべし。殊には一會の諸衆、惑障日々に消滅し発心念念に増進せん。安養を願ふの人は必ず弥陀の来迎に預かり、兜率を期する輩は速に慈尊の引摂を得ん。凡そ厥れ輿善結願の類、見聞凝信の者、皆二世の願望を成じて、同じく一佛の海會に列らん。真言の智光は照らさざるといふ所無し。十方の含識皆共に益を得ん。仍って普皆廻向の思に住して伽佗を唱へ礼拝を行ず。頌に曰く

願以此功徳 普及於一切 我等輿衆生 皆共成仏道

南無大灌頂光明真言自他法界平等利益 三反」

 

 

 

 

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