福聚講

平成20年6月に発起した福聚講のご案内を掲載します。

仏教大原理(釈雲照)より・・その16

2022-09-16 | 法話

問う、宗教は信ずることを重んじるので科学とはどうしても対立せざるを得ないと考えるがこの二つの調和は可能か?

答える、仏教は真理のうえに立つものである。釈尊は「法を以て心の師とせよ。心を師とすることなかれ(涅槃経)」とおっしゃっている。天台大師は「法性を信じてそのほかを信ぜず(摩訶止観)」とおしゃっている。この信に深心・信解の二つあり。菩薩は十信の位に入って初めて深く法性を信じ法性を開解することができる。従って仏教者は初めての発心(初発心)より第十地の位に至るまで皆な信を以て本質としている。「法性を信じてその他を信ぜず」とは大乗の行者は初発心より唯一の真理を信じてその他に心を散ぜざるということである。

仏教の大原理は法性無性にして我・人・衆生を離れ有無を離れて絶対不可得なりといえども、しかもよく因縁に応じて十界恒沙の差別となる。故に近く言えば三世因果十界善悪の法となる。故に楞嚴經には「十界は循業発現の境涯なり」と説きたまへり(「楞嚴經巻三」「遍法界拂滿國土生。周遍世間寧有方所。循業發現世間無知。惑爲因縁及自然性。」等)故に維摩には「無住の本より一切の法を立す(維摩詰所説經 「 曰無住則無本文殊師利從無住本立一切法 」)と説きたまへり。
法性の真理に通暁し了了に法性の真理を体信して、少しの疑いもないものを深心というのである。

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