巣鴨真性寺(とげぬき地蔵)では江戸六地蔵尊の縁日にあたる6月24日4時半にお地蔵様の前で長さ16メートル、珠数540個の大念珠を大勢の信者達が念珠を繰りながら「南無阿弥陀仏」を唱える江戸六地蔵尊百万遍念誦法要が行われます。参加した子供には供物の菓子が与えられ参加自由のようです。 . . . 本文を読む
御大師様の先祖供養についてのお考え・・23
「藤原冬嗣三回忌の願文」
「右将軍良納言(良岑安世)開府儀同三司左僕射(藤原冬嗣)のために大祥(三回忌)の斎を設くる願文
謹んで天長四年孟秋季旬(陰暦七月下旬)をもって、先の左僕射の大祥の奉恩に、金字般若経一十二紙を写し奉る。これを延くに龍象をもってし、これを衍ぶるに涌泉(経典)をもてす。方丈の草堂は法果(法界)を呑んで蟇芥(たいかい)たり。花山の松林は . . . 本文を読む
華厳経巻九初発心菩薩功徳品第十三
「菩薩は未来永劫功徳を積み一切の佛を供養する、これは衆生を救い悟らせるためである。
菩薩は自由自在にあらゆるところに示現する、菩薩の智慧は如来と等しい。
菩薩は諸仏のところに於いて学ぶべきものをすべて学び、深い教えを悉くねがい飽くことがない。
菩薩は一切の導師の所におて 恭敬・尊重する心をもって菩薩行を修して 常に教えの甘露を飮む。
菩薩は 悉くよく分別して 智慧 . . . 本文を読む
今日は十斎日で六斉日です。十斎日とは月の一日・八日(六斉日でもあります)・十四日(六斉日でもあります)・十五日(六斉日でもあります)・十八日・二十三日(六斉日でもあります)・二十四・二十八日・二十九日(六斉日でもあります)・三十日(六斉日でもあります)をいいます(根拠は下の地蔵経にあります)。この日に八斎戒(不殺生、 不倫盗、 不淫、. 不妄語、 不飲酒、 不聴歌舞、 不坐広床戒、 非時食戒)を守 . . . 本文を読む
「ラマ教の秘密タントラの観法では、ラマは行法の鍛錬によって肉体から霊魂を遊離しうるとする。・・したがってその死は永劫の別離ではなく単に地上において肉体を取り換え生を移転するにすぎないものと信ぜられるにいたったのである。・・そこでラマの命終と同刻に生まれた神童を尋ね求めこれを化身ラマとして迎え前代のラマと同様な敬虔な態度を以てこれに奉仕するのである。・・またチベット人は化身ラマを師匠の生まれ変わりと . . . 本文を読む
御大師様の先祖供養についてのお考え・・22
・御大師様は、金剛頂経を写経し修することによりその功徳により故人の魂を助けるとともに功徳を有情すべてにも行き渡らせる、とおしゃっています。
「弟子真境が亡孝(亡父)の七七の斉を設くるための願文」
「それ恩河深くして底なく、徳山峻しくして天を衝く、林烏なほ反哺を知る、尤霊(万物の霊長たる人間)豈よく遺忘せんや。尼父(孔子)はその終りを慎むことを誡め、金仙( . . . 本文を読む
明治の浄土宗の傑僧・福田行戒上人の歌に犬を悼む歌というのがあります。「犬を殺した人は後の世には犬に生まれて殺される運命となる」と言っています。
犬をいためる長歌
我が庵いほに たえずゆきかふ 母と子の 犬ぞありける あしたには 庭に乳ちのみて 夕べには 門かどに眠りて この日ごろ なれにしものを 前さきの世の 報むくいしものか うつし世の わざはひなるか ゆくりなく 昨日のあさけ 犬とりに 打 . . . 本文を読む
御大師様の先祖供養についてのお考え・・21
御大師様の「沙門勝道山水を歴て玄珠(げんじゅ、悟りを求める心)を瑩く碑並序、沙門遍照金剛撰」
「蘇巓鷲嶽(そてんじゅがく、須弥山・鷲峯山)は異人(佛菩薩)の都するところなり。達水龍坎(だっすいりょうかん、龍の棲む池)は霊物ここにあり。夫れ境、心に従って変ず。心垢るれば境濁る。心は境を逐って移る。境しずかなるときは心ほがらかなり。心境冥会して道徳(絶対の働 . . . 本文を読む
観内護摩 遍照金剛撰
火天とは毘盧遮那の内心を指す 火とは智なり 即ち智を能照となし 理を所照となす
智と理と相応する事、珠と光の如し これすなわち理智無二なり
是を毘盧遮那の心と名つ゛く この毘盧遮那の心は即ち天なり 自在の義なり
火とは即ちこれ自心の毘盧遮那自性の智火なり 世の火の如く諸物を焼き尽くす
智慧の火もまた然なり 智とhこれすなわち諸法皆空の義なり
空とは是れ断の義なり 煩悩を薪と . . . 本文を読む
御大師様の先祖供養についてのお考え・・20
「桓武天皇の奉為に太上御書の金字の法華を講ずる達親」
十善の君と言われる天皇であっても先祖供養により覚りへ導かれ、功徳を施主の後帝が受け国が治まりさらに一切衆生に及ぶ、と言われています。
「沙門空海聞く、栗駄の蓮理(かりだ心)は湿凝(因果)を筌魚(経典)に貸り、大我の広神(佛の広大な知恵)は虚金を指兔に仮る(明智によって妄念を止めるべく経典を示された)。 . . . 本文を読む
「自他一如」ということは、宇宙の基本原理です。御大師様の吽字義には「雨足多しといえども並びにこれ一水なり、灯火一にあらざれども冥然として同体なり、・・」(雨足は無数にあるがもとは同じ水である。多数の灯火も同じ光である。このように自他は一如である。)とあり、華厳経には有名な「一即多、多即一」(時間空間は相互に入り組んでおり、全てが溶け合っていて一つである)という言葉があります。
ここからすると、宗 . . . 本文を読む
御大師様の先祖供養についてのお考え・・19
「僧寿勢(不詳)先師の為に忌日の料物を入るる願文」亡僧であっても供養して覚りへ導いていただくといっておられます。
「弟子苾蒭寿勢、三宝に帰依したてまつる。覚の鉢曇(至極)を名ずけて佛という。衆と達磨とはすなわち人の心なり。臂を断ち、足を接す(頭面接足)。この言幽閑なり(おくゆかしい)。師に非ずんばいかんが証せん。故によく朋を百域に訪うて(善財童子が110 . . . 本文を読む
御大師様の先祖供養についてのお考え・・18
「藤原冬嗣三回忌の願文」。ここでも写経は故人を覚りに導くのみでなく、施者を繁栄させ、一切の生類を悟らせると述べておられます。
「右将軍良納言(良岑安世)開府儀同三司左僕射(藤原冬嗣)のために大祥(三回忌)の斎を設くる願文
謹んで天長四年孟秋季旬(陰暦七月下旬)をもって、先の左僕射の大祥の奉恩に、金字般若経一十二紙を写し奉る。これを延くに龍象をもってし、こ . . . 本文を読む