塵添壒囊鈔には[「般若心経は五蘊皆空を説く。(この世の中や我々の構成要素である)五蘊が空(恒久的実体のないもの)であるからには、病も災厄もどこによりつくことができようか。また最後の「ぎゃていぎゃていはらぎゃていはらそうぎゃてぼうじそわか」は「佛様の行」という意味である。そして佛様は苦を抜き楽を与えることを本来の誓とする。そうであるから病苦をぬきさることが出来ないはずがない。」]とあります。 . . . 本文を読む
このところのコロナ禍で政治家や役人・経済人・マスコミ等の劣化ぶりが改めて目を覆うばかりです。自分もこういうところにいたのでよくわかりますが、もともと政治家は権力、霞が関は省益、財界人は経済的利益、マスコミは瞬間的高揚を求めることのみがそれぞれの人生の目的そのものになり下がっていますから、こういう大危機にたいする根本的対応ははじめから無理なのです。
振り返ると最近でも歴史に残る大きな功績を残した政 . . . 本文を読む
憎い人の幸せを祈ると必ず相手が変わること・・1「怨みに報いるに徳を以てす」(老子六十三章)ということばがあります。・以前私は継母との仲が決定的に悪く裁判沙汰までなろうかという時がありました。今更裁判沙汰など恥ずかしくてたまりません。そこで昔伯母が「全ての者と和解しなさい」と教えてくれたことを思い出し、護国寺の一言地蔵に継母の幸福を上辺だけ祈りました。すると数日後から継母は人が変わったように優しくな . . . 本文を読む
「秘密事相の狙いとするところは、ただに行軌事作を知解するといふことではなく、これを通じて法験を得、自ら不可思議境を体得するといふことにあるのである。そのためにはこの行軌を生かしすでに法験を得たる師に奉仕し、その師よりして文字に表現し得ざる体験を面々相対し、心から心に通ずるやうに、指導せらるることが必要である。その方法をとらないで、ただ行軌を規定せる経軌の末に囚はれ、それで能事了れりとするやうなこと . . . 本文を読む
運を拓くためには「有難うございます」と口にだして唱えること
「独り言」は大切です。我々は思うようにならない時、ついつい独り言でも「まいった、まいった」などと、マイナスの言葉を出してしまます。時には「此の野郎」などということさえあります。しかし独り言でもそうして外に発する言葉は力を持ちます。不運の時でも口に出すのはプラスの言葉にすべきです。
稲盛和夫は以下のように「不運の時にも『有難うございます . . . 本文を読む
運を拓くためには「有難うございます」と口にだして唱えること
「独り言」は大切です。我々は思うようにならない時、ついつい独り言でも「まいった、まいった」などと、マイナスの言葉を出してしまます。時には「此の野郎」などということさえあります。しかし独り言でもそうして外に発する言葉は力を持ちます。不運の時でも口に出すのはプラスの言葉にすべきです。
稲盛和夫は以下のように「不運の時にも『有難うございます . . . 本文を読む
「神みずから福を與ふるにあらず、此の人福増上して神これを助く。世の愚なる者は神よく人に禍し人に福を與ふると思ふ。惑へるなり。(神様は努力し福分を自ら増している人を助けるのみで神様はゼロから禍福を与えるのではない)」(慈雲尊者「問決」)。
自分もともすれば努力しないで神仏に頼ろうとしたり、望まぬ結果が出ると神仏を恨んだりしますがまったく心得違いも甚だしいということです。意に反する結果が出てもこの言 . . . 本文を読む
我々のあらゆる言葉・行動は「真言」であり「印形」といわれています。日々の言葉行動をプラスに向ければ素晴らしい効験があるわけです。逆もそうですが。
「あらゆる名句これ真言ならずということなし、凡百の施為これ密印にあらずということなし」『五部陀羅尼問答偈讚宗秘論(大師)』
「凡そ諸のあらゆる挙手動足、皆これ密印なり、所有の言語はすなわち真言となり、所有の心念、自ら定恵となり、万徳自 . . . 本文を読む
仏説聖不動経 その時に大会にひとりの明王あり。 この大明王は大威力あり。 大悲の徳の故に青黒の形を現じ 大定の徳のゆえに 金剛石に座し 大智慧の故に大火焔を現じ 大智の剣を執って 貧瞋癡を害し 三昧の縄をもて難伏の者を縛す 無相法身 虚空同体なれば . . . 本文を読む
大師と南円堂
・「弘法大師行状絵巻」には「円堂鎮壇」として、「昔、大職冠鎌子、奉公の労によりて、藤原の姓を賜り、内大臣に拝任して,永く摂籙の臣たり。嫡男左大臣不比等、興福寺を建立して氏寺とせり。その後年序漸く移り、藤氏衰え廃れて殆ど他氏に移らんとす。ここに閑院左丞相冬嗣公、大師と師壇の契りあさからざるによりて、藤氏の繁栄を祈らん為に弘仁四年、興福寺の中に勝地を択び . . . 本文を読む
以前、91歳で死去した義理の叔母の葬儀に出たことがあります。遠隔地でしたが動けない継母にかわって私が葬儀にでたのです。葬儀と言ってもわずか数人の家族葬でした。しかし長年会ってなかった義理の叔父が施設から車椅子で参加してきたので十数年ぶりに会えました。懐かしくて涙が出ました。いままで無数の葬儀に参列してきましたが、いずれの葬儀でも死者は残されたものに対して、人生とは何かとか、あの世や霊界の存在を考え . . . 本文を読む