SAILIN' SHOES

デジタル一眼、ライカ等でのスナップ写真や、カメラ、音楽、鉄道・車、子育ての日々雑感です。

関西詣で 08  大阪環状線を見る

2010-07-07 | 鉄道・バス
天満の宿は女房が取ってくれたのだが、1泊4000円弱なのに、
部屋はかなり広く、かなり快適であった。
また駅まで1分ぐらいの至近距離だ。
大いに気に入った。

天満駅は、大阪駅の次の駅で、ガヤガヤした繁華街のイメージだが、
東京とは違い、天神橋筋のアーケードを中心とした街だ。
関西にはどこにでもアーケード街や市場がある。
雨が降っていてもずっと歩いていけるし、灼熱の太陽を遮ることができるのだ。
それに地下街を組合わせた大阪の町は、移動達者には便利であり、
素人には魔界だろう。(笑)





大阪環状線に乗る。
東京の山の手線にあたる路線だが、趣は大きく違う。
どちらかと言えば、都市部の下町部分を結ぶイメージだ。

そして、関西本線などと直通する列車も多く走るのだ。
元々はひたすらぐるぐる回る山の手線と同じ方式だったのだが、
近年、特にJR西日本になってからは、アーバンネットワークをスタート、
京都、大阪、神戸、奈良、和歌山などを直通で結ぶ列車を多く設定して、
私鉄に対抗し始めた。
その際、各線の経由路線として環状線は大いに活用されているのだ。


写真の列車は大和路快速だ。
大きな窓を多様した明るい雰囲気のクロスシート車だが、
運転席の窓の上部に注目。
ごついタワーバーのような棒で、運転手の安全を確保しているのがわかる。



大阪城公園で一旦下車。
ここでしばらく環状線の電車の様子を眺める。

環状線は文字通りカーブが多いので、なかなか直線の長い場所が無いのだが、
この駅は南方が比較的まっすぐだ。
また、乗降客が少なく、写真を撮っても乗降客の邪魔になりにくい。


201系が主体だが、まだまだ103系の活躍も続く。
見ていて楽しい。




こんな夢のような風景が大阪にはある。




駅の裏は森ノ宮電車区だ。
クモヤ145 1123 が牽引車として活躍する。








台車がたまらない。
性能は置いておいて、DT33・TR201の姿はオーソドックスで美しい。
形は名機。






103系の原型をよく保っている。



鶴橋へ移動する。
ここも前後が直線で、全編成を入れやすい。

221系のスタイルはすごく好きである。

実は近畿車輛(近鉄グループ)が提案した電車で、近鉄の5200系のコンセプトを
参考にした車両である。
そんな221系も今や近鉄のライバルとなっているのだから皮肉なものだ。

鶴橋はそんな近鉄との乗り換え駅だ。




この顔を見ると、なぜだかほっとする。






改造の度合いによって、車体の形が異なるので、編成がデコボコする。








SONY α900、タムロンA09、Minolta AF APO TELE Zoom 100-300mm F4.5-5.6

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本物との競演 新橋ZZ 04

2010-07-06 | バンド・音楽
ついに、さくら&竜巻堂にシゲさん、チャッピーさんが参加。
夢が実現する。
(って、私とベースのTokerは休みだが。)



しかしチャッピーさん、かっこいい。




曲は、OZの代表曲で大曲の「閉ざされた街」だ。
10分以上の長く、ヘビーな曲だ。

勿論、この日のために、スタジオでは練習もした。




引き続いてシュガーアイちゃんも参加。
さくらさんの娘ちゃんと同じ歳!





さて、一発でオープニングは合うか!?









くじら丸氏、完全に春日博文が乗り移っていた。




完全なるソロに、シゲさんもびっくり。
「何だ、彼は。」って感じ。




シゲさんも、暗く重く・・・




劇団員でもあるシュガーアイちゃん。
表情がなかなか。

若いのに、よく頑張った。
って言っても、カルメン・マキは同じ年齢ぐらいの時に、この歌を歌っている。














1970年代からずっと我々のアイドルだったマキOZ.

こうやって当時の本当のミュージシャンと一緒に演奏できるようになるとは。
神様のご褒美としか思えない。
(ダディさんは神様だったのか!?)


SONY α900、タムロンA09



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関西詣で 07  高架下建築の雄 中津02

2010-07-05 | 旅行

魔境という噂は本当だった。
ここは一度夜に来てみたらいい。




風も来ない、誰も居ない、音もしない。
ただ汗が噴き出す。




この複雑な通路の構成がたまらない。




昭和な風景が展開する。

この坂を上がると、淀川だ。




阪急中津駅へ戻る。




中津高架下はちょっと見応えがあった。
高架下ファンの私には第一日目の締めにふさわしい場所だった。




歩きつかれて、中津から一駅だけ阪急に乗った。
梅田駅に着くと、そこは明るく瀟洒で豪華な駅風景。
さっきまでの風景がうそのように思える。




相変わらず乗り換えの不便なJR大阪駅から環状線で天満へ向かう。
大阪駅の次の駅だ。
宿泊は天満駅の側だ。

乗った電車は、もはや東京ではとうの昔になくなってしまった103系だ。
信じられない風景が続く大阪。
どこに行ってもたまらないミリョクに溢れている。


朝、羽田を出てから天満にいたるまで、すでに相当な枚数の写真を撮っている。
このブログの記事も既に7回分にもなっている。

まだ2日も関西に居るのだから、ブログ日記はまだまだ続く。
まあゆっくり更新するしかなさそうだ。

(ずっと続く)



SONY α900、AF17-35mm/F2.8-4.0(D)、タムロンA09
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本物との競演 新橋ZZ 03

2010-07-05 | バンド・音楽
まずは、カルメンたまき&GZのセッティングを生かして、
ベースはシゲさん、ドラムはチャッピーさんにチェンジする。
何せ、ドラムとベースはバンドのリズムの要なので、どう変わるのか楽しみだ。



ダディさんがMCで交代の時間をつないでくれる。




タムは1個にして、スネアのチューニングもして・・・




富山から来た愛弟子のシュガーアイちゃんも一緒に、「とりあえずロックンロール 」を
歌う。
さくらも参戦。














チャッピーさんは本当にやさしい顔をする人で、我々が緊張しないようにしてくれる。
シゲさんもそうだ。
そういう二人を見たとき、OZが好きでよかったと思う。




曲はノリノリの明るいロックンロール。
150cmないシュガーアイちゃんも一生懸命歌います。



せっかくなので、全員が入る瞬間を撮りたい。
満員だし、28mmまでの広角しか持っていなかったので、なかなか難しかった。
やっぱり21mmを持って行けば楽だった。


















最前列でダディさんも見てる!














ダディさんも「いや、楽しいねえ。」とおっしゃっていた。




SONY α900、タムロンA09




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本物との競演 新橋ZZ 02

2010-07-04 | Weblog
まずは我々「さくら&竜巻堂」のレギュラーメンバーでの演奏からスタート。

写真はムスタング77の街子姐さんからいただきました。
(ムスタング77もマキOZをたくさんやるバンドでZZに出演中。)




南海航路では、クリネイションのじんさんが参加してくれた。
























さくら&竜巻堂 セットリスト

・午前一時のスケッチ

・南海航路 (ギター じんちゃん加わる)

・image song

・火の鳥

・fly hi fly (カルメンマキ&LAFF)

・私は風




続いて、カルメンたまき&GZの演奏。




お客さんが多く、人の頭越しになんとか撮る。





たまきさん、リハとも違った表情でカッコいい。








ギターのプロフェッサーM倉氏。
本物の学校の先生とのこと。
学校の先生にはギタリストが多い気がする。
埼玉おとぼけキャッツのエレジさんとか。




やはり動きが激しく、写真がブレまくる「ふくいんちょ」さんだ。




いやあ、BOSSさんは存在感がすごい。
音も大きく、分厚い。
ベースソロもすごい音圧だった。




「ちょっと明るい曲もやりまーす。」





今回ドラムのベントラさんと話しができなかったのが残念。




観客は、BOSSさん、たまきさんの娘さんだとは気づいていない。
BOSSさんがばらしたとき、かなり驚かれていた。








美生さんは、都内でライブをやっている。

http://www.myspace.com/1000689298


こうやって親から子へと、マキOZが伝えられていくのだ。




最後に、BOSSさん、たまきさんが夫婦であるとネタばらしすると、
またまた場内、大受け。

というか、ロック好きな観客や演奏者はうらやまくてらやましくて。

マキOZLiveのA面全部やっちゃう。とか、演奏は王道にして
王者の風格。

初の新橋ZZだったが、相性もすごく合っていたように思えた。
まあ、ここでマキOZを演奏すると、演奏者も必ず気に入る場所だ。
ここは聖地なんだから。




SONY α900、タムロンA09




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本物との競演 新橋ZZ 01

2010-07-04 | バンド・音楽
うちのバンド「さくら&竜巻堂」は新橋ZZに定期的に出演しているのだが、
主に1970年代の伝説のバンド「カルメン・マキ&OZ」をトリビュートしているので、
本家のOZの音源はいつも聞いているし、コピーもしている。
基本的には暗く、長く、転調も多いハードな曲が多いのだが、
歌詞にも独特の世界観があり、何百回聴いても飽きることがない。
いろいろなバンドのコピーもするが、大概は一度演奏すると飽きることが多い。
そのマキOZの歌詞を作っていたのが、このライブハウス新橋ZZのオーナーの
ダディ竹千代さんだ。

そして今回、その伝説のOZのベーシスト、川上シゲさん、ドラムの武田チャッピーさんが
一緒にジョイント出演してくれるという夢のような企画が実現した。
4月にはマキOZトリビュートバンドで、仲良くさせてもらっているThe Planetが
第一回目の企画を仕切って大反響だったのに続いて、
今回はさくら&竜巻堂のさくらさんが全部を仕切って、2つのバンドが出演、
その後に、2つのバンドにシゲさん、チャッピーさんが参加するコーナー、
その後に、セッション大会というフリークにはたまらない企画となった。



6/26の当日、午後早めにリハーサルがスタートした。



逆リハで始まった。
本番の演奏と逆にリハーサルをして、セッティング時間を端折る設定。
今回は本物のOZと同じ配置にしたので、右側にキーボードをL字に配置。
合計5段積みという豪華な設定。


最初は、富山市から大挙して民族移動してきた「カルメンたまき&GZ(愚図)」。
日本全国にマキOZのコピバンがあるが、日本海側の代表格の愚図さんだ。

ベースのBOSSさんは見たまま、シゲさんのようなダイナミズムあふれるベーシスト。
ステージのセンターでブイブイ鳴らす。




キーボードのふくいんちょさん。(この方は東京在住)
すごく巧いのです。
動きも激しく、中野のジョン・ロードと呼ばれてるらしいが、
キース・エマーソンのようだった。




ドラムのベントラさん。
同じOZのドラマーとして、楽曲をどう料理するのか楽しみ。




ヴォーカルのたまきさん。
歌の先生をやっているそうで、さすがにすばらしい。
明るいマキさん。








たまきさんのほかに、若くて美しいヴォーカリストさんも歌う。
美生さんだ。
歌は英語もの。

実は、ベースのBOSSさんと、ヴォーカルのたまきさんの娘さんなのであった。



親子3人の競演の図。

そもそもなんでパパさんがロングヘアーなのか?

実は富山でロックカフェを経営しているのである。




なんと絵になる親子。

うらやましいではないか。




もう一人、とってもキュートなヴォーカリストのシュガーアイさんもリハ参戦。
富山の学生さんのようだ。
たまきさんの教え子ということらしい。




そして、チャッピーさんが1曲、リハをしておきたいということで、
急遽、その場に居たメンバーで6月の詩をやることに。
うちのバンドがやった図。

さくらさん、もう幸せそう。
私のドラムよりも幸せ~!?




自分たちの出番では写真を撮れない自分たちのバンド。
チャンスということでたくさん撮る。




竜巻堂+ふくいんちょ+チャッピー の臨時バンド。
リハなのに、いい演奏。
すでに完成度高い。


お客さんが並び始める。
おそらく満員だろう。

先頭には、Mixiでたくさんお話しをさせてもらっているUtamさんの姿が。
70年代、あらゆるライブを実際に見ていたロックファン。
そんな人が見に来てくれて、嬉しい。



SONY α900、タムロンA09
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関西詣で 06  高架下建築の雄 中津01

2010-07-03 | 旅行
千里中央から中津へ移動。
地下鉄御堂筋線の中津駅と阪急の中津駅は実はかなり離れていて、
探すのにかなり時間がかかってしまった。
今でこそオフィスビルやホテルも多く建つ地区になったが、
もともとは国鉄の貨物駅に近いためか、倉庫街である。




阪急は高級なイメージだ。
京都、千里、箕面、宝塚、芦屋、岡本、神戸という山の手を結び、
乗客も上品で、電車も高級。

しかし中津駅はそのイメージとは幾分違っている。
高架下の極小の改札、それに至る階段下は大衆酒場だ。

その中津駅の北方の淀川にかけての高架下が噂の魔境だ。




こんな絵が迎えてくれるので、
「意外におしゃれじゃないか。怖くないのではないか?」と思う。



時間は22時前だ。
仕事帰りのOLさんも歩く。
ニューヨークの倉庫街を想像していたので、ちょっと安心した。




しかし、東京で高架下をずいぶん見てきた目にも新鮮な風景。
阪急の高架下は広い。
なぜなら阪急電車の線路は6本だからだ。
3本同時発車は阪急名物だ。
その高架下なので幅があり、中央通路の両側が倉庫や工場になっているのだ。
東京の高架下は基本的には外側が入り口であるのに対して、
ここは高架下の真ん中通路が入り口だ。




周りが繁華街などではなく、倉庫街なので、その風景も新鮮。
浅草橋あたりの総武線高架下タイプだろうか。



奥へ進むにつれて魔境度合いが増す。
なんだかブロンクスにでも来てしまった気分。
だんだんと汗がにじみ出てくる。




昼間はこの通路を業務用の車が通り活気があるのだろうか。



まだ先まで続く。




高架下建築ファンには有名なスポットだ。




もはや民間会社の敷地という感じだ。


(続く)


SONY α900、AF17-35mm/F2.8-4.0(D)

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関西詣で 05  千里ニュータウンへ

2010-07-02 | 旅行
難波から御堂筋線で千里ニュータウンへ向かった。
大阪地下鉄に乗る場会は絶対に先頭車がお勧めだ。
警笛が電子タイフォンで独特なのだ。
そして、派手に長く鳴らす運転手も居て、かなり楽しい。
関西は警笛にも特徴がある。
近鉄のホーム通過時の「ビー」や、JR西日本のミュージックホーンも楽しい。
関東はあまり特徴を出さない(小田急ロマンスカーは別)のだが、
通勤電車で楽しいのは京王だろうか。



無料立体道路の新御堂筋を両脇に挟みながら、千里中央に向かう。




千里中央駅は私がすごくなじみのある駅だ。
小学校から中学校3年まで過ごした町だ。
時はちょうど大阪万博の開催時。
そのときは、この駅は開業していなく、電車は万博を直行していた。
江坂から千里中央は阪急資本の北大阪急行の所有。
今でも千里中央からの初乗りはたったの80円と異例の安さである。




当然、ビル増えて風景は一変しているが、その頃にあった建物自体も変わっている。
大幅なリニューアルをしたのだろう。
見た目がまったく違っている。




私の住んでいた大阪府営住宅は跡形もなく、その後に高層マンションが並んでいる。
4階建ての府営の分譲団地の地区だったのだが、その頃の人で、
まだ健在であれば、リニューアル後は優先的に入居できたのだろうか?




写真の広場は、下が駐車場だ。
この部分が私の住んでいた場所だ。
中学3年生だったのだ。




ほとんど日が暮れてしまったが、中学校に行ってみた。
豊中市立第八中学校だ。

35年も前の話だが、よく覚えている。
校歌も歌える。


ネットで見ると、1学年は2クラスとなっている。
私の頃は8クラスか9クラスもあった。
少子化もあるが、ニュータウン自体が高齢化した結果なんだろう。





中学校近辺の府営の賃貸団地はなんとまだ残っていた。
築年数は40年をとうに超えている。

僕はここに住んでいた楠元さんという女の子に告白をしたのだ。
3年生で千葉に転校するときも会いに行ったのをよく覚えている。
ところが、大学を出て社会人になったとき、会社に同姓の女性が居た。(名前は違う)
お互いに組合執行委員をやっていて、あるとき大阪からその楠元さんが東京に来た。
告白をした女の子の妹だった。
「覚えてますよ。お姉ちゃんが中学のとき、好きって言われたって言ってたのを」
と言われた。
そして、それからも25年以上の月日が流れた。
今はどうしているのだろうか?




千里ニュータウンには10ほどの町がある。
豊中は4つ、吹田側は数個だった。
各町には必ず一つの近隣センターがあり、大きな公園があり、小学校が1つあった。

夕方の7時前だというのに、人がほとんど居なかった。
シャッターを閉じた店も多かった。




中学校のすぐ隣にある小学校にも寄ってみた。
豊中私立東丘小学校。

公式HPで生徒数の推移が書いてある。
私が居たころは1172人でその後も増えて多いときは1422人となっている。
2005年が最終データだが、195人で、2002年に至っては163人だ。
10分の1ほどになっているのだ。




小学校周辺の公団地区は、建て替えの寸前だった。
当時としては広い間取りで、3DKか2LDK等だったと記憶している。




ここに住んでる子供はちょっと裕福に見えた。
ただ急速に住居は改善されていき、その直後にはほとんど初めてに近い感じで
民間マンションも空いた地区にできた。
それはそれは贅沢なものに見えた。



しょっちゅう遊んでいた深谷公園に行ってみた。
ここの池では材木をボートにして乗ってみたり、危険な遊びに明け暮れた。
今はかなり湿地化して、周りには柵もあり、直接池に入れないようになっていた。




千里丘陵はもともとは竹薮に覆われた地区だった。
そこにニュータウンを造成したのだが、竹薮なだけに地盤が強いと言われていた。
しかし、それは本当だったのだろうか。




千里中央駅に戻り、夕食を食べて、次なる聖地、中津に向かった。



SONY α900、AF17-35mm/F2.8-4.0(D)、タムロンA09
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