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鉄道の旅を楽しみながらJR線全駅踏破を目指しています。

いよいよ終末期を迎える只見線の国鉄形気動車

2015-12-16 20:00:22 | 南東北地区

 奥会津地方にJR東日本屈指のローカル線があります。それは、只見線です。只見川の電源開発のために線路が敷かれ、会津若松と小出が結ばれて只見線となりました。今回はその気動車達についておつたえします。
 会津若松から4時間半掛けて小出まで乗り通し、「乗り鉄」にとってはたまらない路線でしたが、2011年の「新潟・福島豪雨」でそれが一変します。会津川口~只見間で橋梁が2つも崩落し、小出口と会津若松口で完全に分断され、空白区間は決して接続がいいとはいえない代行バスで埋め合わされて今に至っています。小出~只見の気動車は新津の受け持ち、会津川口~会津若松の気動車は会津若松の受け持ちとなっています。
 それでは、只見線の気動車達の現状を見てみましょう。



2015年10月25日。会津柳津駅にて只見線430Dを。「キハ40 542+キハ40 549+キハ40 2021」の3連でした。



2015年11月14日。折角なので小出口の2424Dに乗ってみます。前位は只見色の「キハ40 559」でした。



後位は「只見縁結び」カラーである「キハ48 545」でした。



「キハ40 559」の車内。茶色のセミクロスシートで、扇風機も付いています!「新潟・福島豪雨」に伴って会津若松から転配されたと思われます。



乗車した「キハ48 545」の車内。鶯色のセミクロスシートになっています。小牛田からの転配車です。



越後須原駅まで乗車しました。横長の三角屋根の駅舎がお出迎え。トイレは小出方に。



学生時代以来の訪問となりましたが、簡易委託駅だったのが完全無人駅となっていました!折角なので駅ノートに書き込みしてきました



2015年11月15日。会津若松駅4番線に427Dが入線しました。一見すると以前と何も変わっていないように見えます。



私が乗車した後位の「キハ40 2022」の車内。茶色のセミクロスシートが並んでいます。



天井には扇風機がしっかりと付いているではないですか



前位は青色のセミクロスシート。「キハ40 534」でした。



表記も新津時代のまま。磐越西線や羽越線などに乗車した際に何度も見ているぞ



根岸駅まで乗車しました。横長の待合所のみの駅で、トイレはありません。



ベンチも横長です。壁にはJR東日本の看板列車の写真が飾られてるし。



根岸からは428D(キハ40 2025+キハ40 581)に乗車して会津若松に戻りました。



乗車した「キハ40 581」の車内。これまた茶色のセミクロスシートです。



会津若松駅に到着。新津のキハ47と並びました



おまけとして、2015年10月25日の「只見紅葉号」。首都圏色の「キハ47 515+キハ47 514」でした。


 只見線の気動車達は以上です。会津若松口、小出口と通して茶色のセミクロスシート車が主力であることが分かりました。
 「小出口は新津の気動車で賄われている」といいましたが、磐越西線・羽越線用とは厳然と運用が分かれ、基本的に会津若松から転配された只見線色と小牛田からの転配車が入っています。新津運輸区に来る時は交番検査等に限られ、仕業検査などは長岡車両センターで実施されています。
 会津若松口の気動車も少しずつ陣容が変わっています。従来あった気動車は少しずつ淘汰され、新津などからの転配車と入れ替わっています。これらは只見線だけではなく磐越西線229D~230Dなどに入っています。
 ところで、「再び只見線が全線つながるといいな」という話が聞かれますが、只見~会津川口間の修復額が巨額にのぼる上、営業係数が札沼線の末端区間並と思われるので、只見線の通し運転が再開されるのは遠い夢物語なのです。近い将来、現行の体制のまま新型電気式気動車の投入を迎えるでしょう。


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