新イタリアの誘惑

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パリを歩く⑫ コンシェルジェリー、市庁舎、サンジャックの塔。歴史を思い浮かべながら歩いたセーヌ河畔の夜

2019-03-30 | パリ・街歩き

 ノートルダム大聖堂を後にして、ノートルダム橋からセーヌ右岸に渡る。向かい側にはパリ市庁舎が見渡せる。

 この橋は3つのアーチ持つ石造だったものが、船の通行をスムーズにするため1919年に鋼鉄製の大アーチ型橋に換えられたという。

 シテ島側にはコンシェルジェリーが建つ。フランス革命の際、マリー・アントワネットが処刑前の最後の日々を過ごした場所だ。

 以前、早朝散歩をしていた時朝焼けのコンシェルジェリーに遭遇して感動したことがあった。

 手前に見える橋はシャンジュ橋。橋げたに「N」のマークが刻まれているのは、ナポレオンの頭文字だ。

 少し歩くと、遠くにエッフェル塔の照明が見えてきた。その横に広がる橋は、現存するセーヌ川最古の橋ポンヌフ。1607年完成というから日本では江戸幕府が始まったばかりのころだ。「ポンヌフの恋人」という映画があったっけ。

 寒くなってきた。地下鉄に戻ろう。

 振り返ると大きな塔と像の載った円柱がそびえている。円柱はナポレオンのエジプト遠征の勝利を記念して建てられたもので、上にいるのは月桂樹の輪を掲げて両手を広げた女神像だ。

 また、塔はサンジャックの塔。54mの高さがある。元々はサンジャック・ブシェリー教会の鐘楼だったが、教会そのものがフランス革命の際破壊されてしまい、今は塔だけが残っている。
 
 1648年にはこの塔の上でパスカルが気圧の実験を行い、気圧が高度によって変化することを証明したことでも有名だ。そう、彼の名前は毎日の天気予報などでおなじみの気圧の単位「ヘクトパスカル」として今も活躍中だ。

 円柱の隣りはパリ市民劇場だ。

 パリ市庁舎が見えてきた。前の広場は今でこそ整備されて冬はスケート場になったりしてにぎわうが、19世紀近くまでは処刑場として使われてきた。ギロチンが初めて使われたのも、この広場だという。
 

 こうしてちょっと歩いただけでも、パリ中心部は世界史に記録されるような歴史的事件の現場がそこここに横たわっていることを、改めて実感させられた。


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