新イタリアの誘惑

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パリを歩く⑥ モディリアニが、サルトルが、ロバート・キャパが。芸術家や文学者たちがたむろしたカフェを巡る

2019-03-09 | パリ・街歩き

 サンジェルマン・デ・プレからモンパルナスにかけての地区は1900年代前半、エコールドパリの芸術家や文学者たちが集うカフェの聖地だった。今も健在なそんなカフェを訪ねて歩いた。

 サンジェルマン・デ・プレ教会のすぐ近くにあるカフェ・ド・フロールに入店し、朝食を摂った。ここには哲学者サルトルとボーヴォワールがよく訪れた。午前中は原稿の執筆、午後は友人との語らいに時間を過ごした場所だ。「フロールは私たちにとって我が家のようなものだった」(サルトル)。

 机に敷かれた紙には、開店当時の店の写真が載せられていた。
 
 そのすぐ隣、教会側にはドゥ・マゴがある。以前は中国の絹を売る店だったため中国人形が飾られていたが、カフェに変わってもその人形は健在だという。ちょうどこの時は店の改装中で閉店していた。ここも実存主義者たちのたまり場だった。

 カフェ・ボナパルト。赤と青のひさしが目印だ。ここは近くの国立美術学校の生徒たちでにぎわう店。地下には店名の通りナポレオンの写真が飾ってあったりする。

 サンジェルマン大通りの向かい側にはブラッスリー・リップがある。かつてはヘミングウエイが足しげく通った店だ。

 少し足を延ばしてモンパルナス地区に進もう。地下鉄ヴァヴァン駅のすぐ前にあるのが、ラ・ロトンド。1903年のオープン以来エコールドパリの芸術家たちを中心に多くの若者たちが集まった場所。私はモディリアニの足跡を訪ねての行動の際、何度もこの店に寄った。


 店内にはモディリアニが描いた妻ジャンヌの絵を始めとして、何点もの絵の複製が飾られている。モディリアニはこの店のナプキンに即席で客の似顔絵を描き、わずかな収入で酒を買っていた時代だった。

 重厚な褐色に統一された店内は、とても居心地が良かった。

 ロトンドの窓を通してル・ドームの店が見える。ピカソ、フジタ、キャパなども常連だった老舗のカフェ。今は高級レストランになっている。

 ロトンドの近く、モンパルナス大通りを行くとクーポールがある。このテラス席では、1つの運命的な出会いがあった。

 ロバート・キャパがまだ無名の頃、モデルを探して街を歩いていて、この店のテラス席に座る青い目の女性に興味を持った。彼女を話しているうちにキャパは彼女の友人を紹介された。

 その人こそゲルダ・タローだった。ゲルダは自身もカメラマンとして活動する傍らキャパのマネージメントを行い、スペイン内戦にも2人で遠征した。キャパの代表作となった「崩れ落ちる戦士」の撮影も彼女のアシストなしには撮れなかったといわれている。

 そんな2人の出会いのきっかけがこのテラス席だった。

 その向かい、ル・セレクトもカフェ文化の一角を担っていた。今も芸術家が集まるスポットという。

 「フランス人は右岸で消費し、左岸で考える」ということわざがあるが、それもこうした歴史を踏まえたもののようだ。





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2 コメント

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この辺り (マンマ♪)
2019-03-10 01:02:08
有名人が通ったカフェが今もなお健在するところが
パリですね〜。

パリのカフェで注文するものは、カフェオレですか?
老舗のカフェに若者も利用しているのでしょうか?

最近パリに行っていないので、どうなのかと思いまして。
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カフェの店内 (gloriosa)
2019-03-11 19:59:04
マンマ様

 パリのカフェは、イタリアのカフェの雰囲気とは違ってかなりゆっくりと滞在できる感じです。今回はホテルの朝食は予約せず、カフェで朝食という形でしたので、クロックムッシュとカプチーノの組み合わせが中心でした。
 朝の時間帯なので、店内は主に中高年の客でしたね。新聞を持ち込んでじっくりと読んでいる老紳士なんか、とてもしっくりと店に溶け込んでいました。
 私もあんな風な落ち着いた人間になりたいな、とか思って観察してしまいました。
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