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朝日新聞社での仕事は、二葉亭四迷全集の編集を任されるなど責任ある職務にも就いた。
そんな中、うれしい出来事もあった。1910年(明治43年)10月4日男児誕生。新聞社入社の恩人である佐藤北江の本名である「真一」の名前を息子につけた。
ただ、この子は生まれながらにして病弱だった。生後わずか27日目にして急死してしまった。
「夜遅く 勤め先よりかヘリ来て 今死にしてふ子を抱けるかな」
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実は、処女詩集「一握の砂」は長男誕生と同時に出版が決まっており、出産費用にと作業が進められていたものだった。
結果的にその収入は、長男の葬儀費用へと変わってしまった。
「かなしくも 夜明くるまでは残りいぬ 息きれし児の肌のぬくもり」の歌は、「一握の砂」の末尾に収容された。
病魔は、家族全員に襲いかかった。1911年(明治44年)2月啄木は慢性腹腔炎で本郷の帝大病院に入院、妻節子も胸を病んだ。
そんな中、一家は小石川久堅町の貸家に移ることになった。ただ、ここでの生活もあっけなく終止符を打つことになる。
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翌1912年3月に母が死去。後を追うように4月13日午後9時30分、啄木もわずか26歳にして、妻節子、友人の若山牧水に看取られながら、その生涯を終えた。
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死の当日、啄木の詩歌の熱心な崇拝者であった若山牧水が啄木宅を訪れた。
だが、啄木はまもなく昏睡状態に陥った。
「私はふと彼の長女がいないのに気づき、探しに戸外に出た。そして門口で桜の落花を拾って遊んでいた彼女を抱いて引き返した時には、老父と細君とが前後から石川君を抱きかかえて、低いながら声をたてて泣いていた」
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啄木の終の棲家となった小石川の家は、地下鉄丸ノ内線茗荷谷駅から徒歩7分、桜で有名な播磨坂の途中にあった。常陸府中藩主松平播磨守の上屋敷があった場所だ。
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幅広い通りから1本奥に入った所にある高齢者施設の一角に歌碑と顕彰室が建てられている。
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歌碑には啄木の死後発行された「哀しき玩具」の冒頭に収められた2首の歌が、直筆を陶板にして刻まれている。
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「呼吸すれば 胸の中にて鳴る音あり 凩(こがらし)よりもさびしきその音」
「眼閉づれど 心にうかぶ何もなし さびしくもまた 眼をあけるかな」
これらは啄木の病死から約2か月前。次第に悪化して行く病状の中で徐々に心も折れそうになる心情をうかがうことが出来る。
碑に使われた石材は、啄木の故郷姫神山の石を取り寄せて使用したという。
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また、顕彰室には年表、写真パネルなどによって啄木の生涯が開設されている。これらの施設は2015年3月に完成したばかりだ。
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こうした探訪の旅をしている途中で、こんなポスターが鉄道駅構内に貼ってあるのにお目にかかった。肺結核への注意を喚起する内容だが、ここに登場する人たちはいずれも今回の旅に関係する文人ばかり。
樋口一葉24歳、滝廉太郎23歳、正岡子規34歳、そして石川啄木26歳。
あまりにも短かった生涯に、改めて息をのんでポスターを見つめた数分間だった。
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