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新大橋は、清州橋の上流に位置する。「新」といっても完成は1693年。両国橋の次に隅田川第3の橋として架けられたが、両国橋が当時は「大橋」と呼ばれていたため、「新大橋」と名付けられたもの。
もちろん現在の橋は新しく、1977年の完成だ。
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夕暮れ時など、オレンジ色の支柱が川の中央にそびえるように立つのが、遠くからでも鮮やかに認められる。
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橋の中央にある主塔に、歌川広重の浮世絵のレリーフがはめ込まれている。
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「大はしあたけの夕立」。広重の代表作ともいえる傑作だ。
雨の降りしきる中を急ぎ足で橋を渡る町民たちを描いた絵。その大胆な構成と美的センスは、パリ印象派の画家たちにも大きな影響を及ぼした。
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これを忠実に模写したゴッホの絵も残されている。
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塔にもう1つのレリーフがあった。1977年までの旧橋。この橋は愛知県犬山市の明治村に移設されている。
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数年前、明治村に遊びに行ったときたまたま撮ったその橋の写真が、私のファイルに残っていた。
この橋にまつわるエピソードが残されている。
関東大震災、東京大空襲という東京を襲った大災害では、隅田川の橋はことごとく落ちてしまった。しかし、この新大橋だけは唯一被災せず、都民の貴重な避難路となって多くの人命を救ってきた。
そのため、この橋には「お助け橋(人助け橋)」という、感謝を込めたニックネームが付けられた。
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西詰の浜町交番裏に「人助け橋」の由来を書いた碑があった。
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広重の絵のタイトルになった「あたけ」とは「安宅」のこと。橋の対岸には幕府の御船蔵があり、そこに将軍の御座船だった「安宅丸」が収蔵されていた。廃船になった後、供養のために塚が設けられたことから、付近を安宅と呼んだ。
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対岸の大きなガラス張りのビルに、橋の塔が映っていた。それと同時にスカイツリーの先端部分も。面白い形にゆがんでいて、とてもファンタスティック!
もう1つ昔のエピソードを。
この橋が最初にできた1693年12月。近くに住んでいた松尾芭蕉は、さっそく新しい橋の渡り初めを体験する。
「ありがたや いただいて踏む 橋の霜」
1つの歴史の始まりに立ち会えた喜びを詠んでいる。
「旅に病んで 夢は枯野を 駆けめぐる」の句を残して生涯を閉じる、一年前のことだった。
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素敵なブログですね!
ゴッホの新大橋の画像を拝借してもよろしいでしょうか?
アメブロで参考画像として使用したいと思っています。
こんにちは。
私のブログを訪問いただいて有難うございます。
画像使用の件ですが、基本的にOKです。
出来れば、どこかに「○○ブログから引用した」という注釈を記していただくことをお願いいたします。
よろしく。