くらぶとろぴか

きもちはいつもシパダンの海の中。シパダンとコタキナバル旅の備忘録、ときどき弾丸、そしてホームワークアウトおたく。

シパダン、悲しい出来事

2006-05-19 22:16:08 |  リゾート
今朝、たまたま早起きをして、出勤前にネットサーフィンをした。
いつも気持ちがシパダンら辺をさまよっている私は、サバのローカル新聞、Daily ExpressとNew Sabah Timesのサイトと、ナショナル誌のUtusan Malaysia Onlineの記事をチェックしたら、いずれもSipadanの文字。
大好きなSipadanで、また何が起こったのか!?

なんと!5月14日に、シパダンのサンゴが、破壊されてしまったのだ。
それも、まったくの人為的ミスで。

シパダンでは今、なんでも500万リンギット(日本円で1億5千万?)の予算で、レストハウスやレストラン、ダイビングサービスなどの施設を作ろうと、何トンもの建築資材を運搬するための鋼鉄の作業船(英語では、モンスターサイズのはしけと表現されていた)が停泊し、その船には、砂利、鉄パイプ、ブルドーザー、セメントやら、重いものばかりが乗せられているらしい。
今回の悲劇は、クレーンでブルドーザーを降ろそうとするときに起こったそうだ。
作業船は、そのあまりの重さで、ドロップオフに着底してしまったらしく、それでサンゴを根こそぎえぐりとってしまった、という、あってはいけない事故だ。
現場の撮影をした、フォトグラファーの人のHPを見ると、水中が真っ白白になってしまっていて、愕然。

さらに悪いことに、その作業船は、タートルカバーン上のリーフにのっかてしまったもので、カバーンも崩壊の危機にさらされているらしい。
タートルカバーンの入り口は、水深18Mにあるが、カバーンの天井部分で、一番薄い部分は、せいぜい水深4m半くらいしかないんだそうだ。
そして、その薄い天井が崩壊したら、ビーチも崩れ、島も崩れることになってしまうという。

その建築作業は、政府が業者に、シパダンの基本的なインフラとして、トイレやレストハウス、その他アメニティ施設を建築することを許可してのものだったという。
政府が建築業者に許可、というような表現で、一体、作業依頼の主が、誰なのか、新聞からは読み取れない。
私の読みでは、政府が、2007年のマレーシア観光年の営業開始をめざして、
リゾートを建てようとしたんだろうな、とかんぐってしまう。
2004年12月31日、政府の自然保護という大義名分と指導のもと、シパダンの全リゾートは、撤収させられ、ボルネオダイバーズとプラウシパダンリゾート以外の施設は、すべて取り壊された。
残った2件だって、セキュリティが使用しているにすぎない。
トイレは、クローズ後、ずっと使えていなかったが、3月にシパダンに上陸したときには、昔のボルネオダイバーズの恐らくスタッフトイレが復活して、男女別で、たしか3個室ずつあって、水もちゃんと出た。
そこに、インフラ整備といって、物価の安いマレーシアで、億からの予算だったり、自然保護区のはずのところを、ブルドーザーで整地したり、トイレを作るために、クレーンで作業する必要もないだろう。
そもそも、シパダンにリゾートがあった頃は、オフシーズンになると、古くなったコテージが取り壊され、わずか数日で、こどもみたいな作業員たちが、あっという間に新しいハットを手動でトンテンカンテン、どんどん建て替えていたくらいだから。
ニュースだと、施工業者のせいにばかりしているが、政府からの許可があるなら、設計図だってあって、しかるべき機関のチェックは受けているはずだ。
だいたい、自然保護のために、民間のリゾートがどかされ、壊したあげくに、わずか1年半で施設を作ること自体がアンフェアだ。

それにしても、エルニーニョの影響で、一時はほぼ壊滅状態だったシパダンのサンゴも、やっとここ1、2年で、以前の美しさを取り戻していたのに、なんということをしてくれたんだろう。

今回の事件をうけて、サバ州の観光の大臣のコメントは、シパダンのリーフがよみがえるまでは、島のクローズも視野にいれているという。
さらに、サバは、シパダンだけではなく、他にもいくらでもよいダイブサイト、たとえばマブール、マタキン、ラブアンもある、というようなコメントまでしていて、まったく、勝手な話だ。
もちろん、その大臣は、今回の一件に、非常にご立腹とはいうが・・・

2、3ヶ月前のダイビングワールドの、ボルネオ特集記事に、シパダンのリゾート撤退により、昔ながらのシパダンが戻ってよかった的なことが書かれていたが、本当にそうなのだろうか。
シパダンのリゾートが、どのように汚水処理をしていたか、詳しくは知らないが、もちろん、リゾートがあれば、多少は、海を汚すことは否めない。
たとえば、よくある光景として、海に直接流れ込む屋外のシャワーでシャンプーしたり、マスクの曇り止めとして、中性洗剤が置いてあって、そのまま海へ垂れ流しなんて状態だったから。
でも、ビーチには、以前にあんなにゴミはなかった。
もちろん、リゾートの敷地内は、毎朝掃き掃除とかしてたから。
シパダンで、PADIのプロジェクト・アウェアに参加したことがあるが、もちろんゴミはあって、そこそこ拾えたが、今のように、ひどくはなかった。
また、ダイビングで浮上して、ボートが拾ってくれるのを待っているときに、リゾートがなくなっているわりには、水面で、大量のゴミ、スナックの袋や、ビールの缶、タバコのパッケージなどが漂ってくるありさまだ。
島のセキュリティは、いるだけではなく、ちゃんとゴミ処理もしてほしいものだ。

シパダンは、1984年にオープンしたが、私のシパダンデビューは1994年、ちょうど10周年記念かつ、マレーシア観光年だった。
1992年頃から、日本でもメジャーになったシパダンであるが、昔に行った人たちに言わせれば、その頃、もうシパダンは、「悪くなった」という話だった。
それでも、私がはじめて言った時は、水深5mより浅い棚の上は、見事な枝サンゴの群生だった。
95年にマブールにリゾートができて、毎日、何十人、時には100人近いダイバーがマブールからやって来て、まず、島の桟橋がボロボロになった。
その後、桟橋は、かけかえられたが、やはり、シパダン自体のリゾート、周辺のマブールや、他の島々のリゾートが増え、シパダンに潜りに来るダイバーが増えるにつれ、サンゴに次第に勢いがなくなっていった。
そんなところに、97年のエルニーニョが原因で、島のサンゴたちは、98年の9月に潜った時は、すべて真っ白く、瀕死の状態になり、その後、きれいなサンゴ礁は、昔のプラウ・シパダン・リゾートの前に、一部残っていただけであとはガレ場になってしまった。
はたして私が現役で潜ってられるうちに、ここのサンゴは復活するのだろうか、と思っていたが、うれしいことに、思ったより、短い年数で、サンゴは見事に復活をとげた。
その間、わずか、4~5年。
こんどは、自然現象ではなく人為的な事故だが、元に戻る日は、いつになるのか。
そして、シパダンの今後はいかに!?
シパダンをこれ以上、痛めつけるようなことはしたくないし、やめてほしい。
そのためには、人が海・陸とも足を踏み入れないことなのかもしれない。
でも、あんなに素晴らしい海を一度知ると、潜らないではいられない。
いずれにしても、当分、心配な日々が続きそう。
コメント
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