メダンからバンダアチェの飛行時間はたったの50分。
アチェに着いたら、空港はメダンなみにうざいんだろうか、タクシーでちゃんと港までたどりつけるかなぁと、あれこれ考えていた。
めざすプロゥ・ウェーへの船は、バンダアチェから車で約35分のウレレという港から出るが、そのウレレひとつにしたって、ロンリープラネットには「Uleh- Leh」、ルンバルンバからのメールには「Uleh Lhue」、エルメスというホテルのサイトでは「Ulee Lheue」と書かれている。一体どれが正しいの?音的には変わらない気がするが、こうしたささいなことも気になってくる。読みはウレレで本当にいいんだろうか、タクシードライバーにちゃんと目的地を伝えられるように、紙切れに「ulee leh」と書いたりしているうちに、スナックが出てきた。多くの航空会社が、近距離国内線のミールサービスを廃止しているのに、ガルーダインドネシアは今でもサービスするんだとびっくりした。
プロゥ・ウェーのあるナングル・アチェ・ダルサラム州は、外務省の危険情報で、今も「渡航の是非を検討してください」とされている。数年前までインドネシアからの分離独立を求めるGAM(自由アチェ運動)なる武装組織が30年にわたり紛争を繰り広げてきていた地域だ。2004年12月26日のスマトラ島沖地震によるアチェの壊滅的被害を契機に、アチェの人々は戦うことよりもアチェの再建をめざし、GAMとインドネシア政府の間に和平合意が結ばれたのが、まだ2005年8月のこと。その後和平プロセスは進行しているものの、まだまだ政情が安定しているとはいえず、ロンリープラネットもアチェのよさを強調する一方、アチェを旅するならば、常に情勢をモニターするようにと警告している。実際には、アチェと同じ危険度がシパダンのある「サバ州東側の島嶼部及び周辺海域」にもいまだ継続で発出されていて、私はシパダンには普通に通っているわりには、アチェは未知の場所、津波での惨状の記憶がなまなましいだけに、一抹の不安がある。
バンダアチェ着陸態勢にはいると、飛行機から見えるアチェは、起伏の少ない緑の大地。椰子の木や水田の広がる平和な光景とすがすがしい緑にほっとする。滑走路の横も水田。
空港の名前は「スルタン・イスカンダル・ムダ空港」という。空港の建物のある側は、なんだか無機質な感じ。
飛行機は沖止め(ボーディングブリッジの設備がないのかも)、タラップを降りるとバスで空港ビルまで移動だ。バスの中でガルーダの職員同士が、「38人しか乗っていない。」と話しているのが聞こえたが、乗客が少ないだけに荷物もさっさと出てきた。メダンのこともあり、キッとなって出て行くと、出口で男たちが外国人には必ず「Pulau Weh?」とたずねている。私ももれなくたずねられ、港の名前を告げる必要なんてなかった。値段を尋ねると「100,000ルピア。」ダイビングサービスから聞いていた値段、ロンリープラネットに書いてあった値段と同じなので一安心。
空港を出発して通りに出ると、青々とした水田が続く。田んぼには牛がごろっとしていたり、ガチョウが歩いていたり、見ていてなごむ景色だ。そしてバナナに椰子の木。東南アジアの田舎によくある景色だが、確かにラオスもカンボジアもタイも忘れることができそうなものがある。ただ民家や商店が軒を連ねるエリアに入っても、何か違和感がある。ゴーストタウンのようなのだ。すでに日にちと曜日の感覚を失っていたが、きょうは金曜日。ムスリムたちはお休みだからか・・・。
港に近づくにつれ、建築中の家、明らかに津波でダメージをうけた橋などがあり、スマトラ沖大地震の爪痕はまだまだ残っている。
フェリー乗り場の建物が見えてくると、そのあたりの道はまだちゃんと舗装されていなくて、砂利道でガタガタ。はるか前方には、バイクにサイドカーつきのボロい乗り物が、激しくガタガタ、のろのろと走っていくのが見えた。あれはきっと安いに違いない。私もあれでいいのに、なんて思いながら、こちらも極端にスピードが落ちガタガタ。数分の振動ののち無事港につき、運賃は当初の約束どおり100,000ルピアだった。
チケットうりばにゆくと、高速船には席が3種類あった。ロンリープラネットには60,000ルピアと70,000ルピアの席があるようなことが書いてあったが、エコノミー55,000ルピアとなっている。ガイドブックの情報より高く払わなくてはならないことは世の常だが、安いってのも珍しい。乗船時間が50分しかないのだから、いちばん安いエアコンなしの「エコノミー」でじゅうぶん。他の料金など見もせず、売り場のお兄さんに「えこのみー、さとぅおらん(ひとり)」と告げる。お兄さんに「名前をここに書いてください。」とメモを差し出される。ファーストネームだけ書くと、それを見てお兄さんがチケットに乗客の名前を書き込む。乗船券だけぽっと渡すのではなく、ちゃんとチケットには乗客名、目的地、日付、時間、料金、荷物重量(20キロが制限らしい)が手書きされる。このマニュアルっぽいところがまたなごむ。
時間はまだ14時をまわったところ、高速船エクスプレス・バハリ号(EXPRESS BAHARI)の出発は16時で、2時間弱ある。待合室に入ると人影もまばら。アチェではスマトラコーヒーが飲みたいと思ったので、待合室内にある売店の女の子に「コピはある?」とたずねたら、「ないわ」という返事。残念。ミネラルウォーターを買って無意味にiPhoneをいじってみたりするが、ワイヤレスは来ていない。退屈なので、待合室のまわりを一周することにした。
待合室を背に、タクシーでやってきた方向を見ると、殺風景な感じがする。おそらくこのあたりは津波の被害で再建されてから年月が浅いからだろう。でも、小鳥はやってくるし、無数のトンボが激しく飛び回っているし、自然は感じられる。
ダイビングサービスからのメールで、港で軽食がとれるようなことが書いてあったので、待合室の売店のパンやお菓子のことかな、と思っていたら、外には簡単なレストランがあった。おなかはいっぱいだし、すっかりスマトラコーヒーのことは忘れ、近寄らなかった。
トイレも待合室の外にあり、行っておこうと思うが、チップ制で1000ルピア必要だ。1000ルピア紙幣を持っていなかったので、無理と思いつつも、トイレもりのおばさんに5000ルピア見せて「おつりないよね」と聞くと、やはりないとのこと。コインが合計600ルピアあったにで、これでお願い、といったらにこやかに入れてくれた。トゥリマカシ。
海側には、これから乗るエクスプレス・バハリ号が泊まっている。
結局、ウレレ港散策は、ものの5分で終わってしまい、また待合室へ戻る。ケータイのアラームをセットして、少し眠ろうと思うが、眠くならない。1時間ほどぼーっとしていると、乗船時刻にはまだあるのに、突然警笛が鳴った。外国人は皆きょろきょろ。私も外国人なのできょろきょろ。何人かのローカルが、船にむかって歩いてゆくのが見えた。外で待ってもいいかなと思い、私も荷物を持って乗り場に向かう。外国人たちもそれを見て動き始める。まだ乗れないものと思っていたが、乗り場の手前でさっそく切符の一部をもぎられた。乗船は40分前に開始のようだ。乗船口で再度チケットを見せると上に行くように言われる。荷物をあげるのが面倒くさい。乗船口横の客室は扉が閉まっていてエアコンキンキンの様子。階段を数段昇ると、右手には扉の閉まったエアコンのきいた席。左手はドアが全開、そちらがエアコンなしのエコノミーなのだ。
あまり人が乗り込んでこないので、がらがらのまま出発するのかな、と思っていたら、出発10分前になって、洋の東西を問わず人がぞくぞくと乗ってきた。結局ほとんど席が埋まった。
船は定刻16時に出発した。客室の前方にはいちおうカフェと書かれたブースがある。ローカルはこの売店でよく買う。皆、半透明のピンクやグリーンのプラスチックのコップを手にいそいそと戻ってくる。液体の色から、ミルクと砂糖がどっさり入ったコーヒーだろう。船のゆれにそなえてか、コップの半分くらいしか入っていない。前方にはテレビもあるが、ウレレを離れるにつれどんどん写りが悪くなっていく。船は揺れも少なく、エアコンがなくたって窓から入る風でじゅうぶん。途中で、クルーが、もう一度チケットの確認に来る。けっこう用心深いなあ。バンダアチェを出るときは雲が多かったが、やがて西に傾き始めた太陽で金色がかったウェーがくっきりと見えてきた。緑に包まれた島のところところが、地すべり後のようにえぐれているところがある。津波のあとなんだろうか。50分もかからず船はウェーに到着した。
アチェに着いたら、空港はメダンなみにうざいんだろうか、タクシーでちゃんと港までたどりつけるかなぁと、あれこれ考えていた。
めざすプロゥ・ウェーへの船は、バンダアチェから車で約35分のウレレという港から出るが、そのウレレひとつにしたって、ロンリープラネットには「Uleh- Leh」、ルンバルンバからのメールには「Uleh Lhue」、エルメスというホテルのサイトでは「Ulee Lheue」と書かれている。一体どれが正しいの?音的には変わらない気がするが、こうしたささいなことも気になってくる。読みはウレレで本当にいいんだろうか、タクシードライバーにちゃんと目的地を伝えられるように、紙切れに「ulee leh」と書いたりしているうちに、スナックが出てきた。多くの航空会社が、近距離国内線のミールサービスを廃止しているのに、ガルーダインドネシアは今でもサービスするんだとびっくりした。
プロゥ・ウェーのあるナングル・アチェ・ダルサラム州は、外務省の危険情報で、今も「渡航の是非を検討してください」とされている。数年前までインドネシアからの分離独立を求めるGAM(自由アチェ運動)なる武装組織が30年にわたり紛争を繰り広げてきていた地域だ。2004年12月26日のスマトラ島沖地震によるアチェの壊滅的被害を契機に、アチェの人々は戦うことよりもアチェの再建をめざし、GAMとインドネシア政府の間に和平合意が結ばれたのが、まだ2005年8月のこと。その後和平プロセスは進行しているものの、まだまだ政情が安定しているとはいえず、ロンリープラネットもアチェのよさを強調する一方、アチェを旅するならば、常に情勢をモニターするようにと警告している。実際には、アチェと同じ危険度がシパダンのある「サバ州東側の島嶼部及び周辺海域」にもいまだ継続で発出されていて、私はシパダンには普通に通っているわりには、アチェは未知の場所、津波での惨状の記憶がなまなましいだけに、一抹の不安がある。
バンダアチェ着陸態勢にはいると、飛行機から見えるアチェは、起伏の少ない緑の大地。椰子の木や水田の広がる平和な光景とすがすがしい緑にほっとする。滑走路の横も水田。
空港の名前は「スルタン・イスカンダル・ムダ空港」という。空港の建物のある側は、なんだか無機質な感じ。
飛行機は沖止め(ボーディングブリッジの設備がないのかも)、タラップを降りるとバスで空港ビルまで移動だ。バスの中でガルーダの職員同士が、「38人しか乗っていない。」と話しているのが聞こえたが、乗客が少ないだけに荷物もさっさと出てきた。メダンのこともあり、キッとなって出て行くと、出口で男たちが外国人には必ず「Pulau Weh?」とたずねている。私ももれなくたずねられ、港の名前を告げる必要なんてなかった。値段を尋ねると「100,000ルピア。」ダイビングサービスから聞いていた値段、ロンリープラネットに書いてあった値段と同じなので一安心。
空港を出発して通りに出ると、青々とした水田が続く。田んぼには牛がごろっとしていたり、ガチョウが歩いていたり、見ていてなごむ景色だ。そしてバナナに椰子の木。東南アジアの田舎によくある景色だが、確かにラオスもカンボジアもタイも忘れることができそうなものがある。ただ民家や商店が軒を連ねるエリアに入っても、何か違和感がある。ゴーストタウンのようなのだ。すでに日にちと曜日の感覚を失っていたが、きょうは金曜日。ムスリムたちはお休みだからか・・・。
港に近づくにつれ、建築中の家、明らかに津波でダメージをうけた橋などがあり、スマトラ沖大地震の爪痕はまだまだ残っている。
フェリー乗り場の建物が見えてくると、そのあたりの道はまだちゃんと舗装されていなくて、砂利道でガタガタ。はるか前方には、バイクにサイドカーつきのボロい乗り物が、激しくガタガタ、のろのろと走っていくのが見えた。あれはきっと安いに違いない。私もあれでいいのに、なんて思いながら、こちらも極端にスピードが落ちガタガタ。数分の振動ののち無事港につき、運賃は当初の約束どおり100,000ルピアだった。
チケットうりばにゆくと、高速船には席が3種類あった。ロンリープラネットには60,000ルピアと70,000ルピアの席があるようなことが書いてあったが、エコノミー55,000ルピアとなっている。ガイドブックの情報より高く払わなくてはならないことは世の常だが、安いってのも珍しい。乗船時間が50分しかないのだから、いちばん安いエアコンなしの「エコノミー」でじゅうぶん。他の料金など見もせず、売り場のお兄さんに「えこのみー、さとぅおらん(ひとり)」と告げる。お兄さんに「名前をここに書いてください。」とメモを差し出される。ファーストネームだけ書くと、それを見てお兄さんがチケットに乗客の名前を書き込む。乗船券だけぽっと渡すのではなく、ちゃんとチケットには乗客名、目的地、日付、時間、料金、荷物重量(20キロが制限らしい)が手書きされる。このマニュアルっぽいところがまたなごむ。
時間はまだ14時をまわったところ、高速船エクスプレス・バハリ号(EXPRESS BAHARI)の出発は16時で、2時間弱ある。待合室に入ると人影もまばら。アチェではスマトラコーヒーが飲みたいと思ったので、待合室内にある売店の女の子に「コピはある?」とたずねたら、「ないわ」という返事。残念。ミネラルウォーターを買って無意味にiPhoneをいじってみたりするが、ワイヤレスは来ていない。退屈なので、待合室のまわりを一周することにした。
待合室を背に、タクシーでやってきた方向を見ると、殺風景な感じがする。おそらくこのあたりは津波の被害で再建されてから年月が浅いからだろう。でも、小鳥はやってくるし、無数のトンボが激しく飛び回っているし、自然は感じられる。
ダイビングサービスからのメールで、港で軽食がとれるようなことが書いてあったので、待合室の売店のパンやお菓子のことかな、と思っていたら、外には簡単なレストランがあった。おなかはいっぱいだし、すっかりスマトラコーヒーのことは忘れ、近寄らなかった。
トイレも待合室の外にあり、行っておこうと思うが、チップ制で1000ルピア必要だ。1000ルピア紙幣を持っていなかったので、無理と思いつつも、トイレもりのおばさんに5000ルピア見せて「おつりないよね」と聞くと、やはりないとのこと。コインが合計600ルピアあったにで、これでお願い、といったらにこやかに入れてくれた。トゥリマカシ。
海側には、これから乗るエクスプレス・バハリ号が泊まっている。
結局、ウレレ港散策は、ものの5分で終わってしまい、また待合室へ戻る。ケータイのアラームをセットして、少し眠ろうと思うが、眠くならない。1時間ほどぼーっとしていると、乗船時刻にはまだあるのに、突然警笛が鳴った。外国人は皆きょろきょろ。私も外国人なのできょろきょろ。何人かのローカルが、船にむかって歩いてゆくのが見えた。外で待ってもいいかなと思い、私も荷物を持って乗り場に向かう。外国人たちもそれを見て動き始める。まだ乗れないものと思っていたが、乗り場の手前でさっそく切符の一部をもぎられた。乗船は40分前に開始のようだ。乗船口で再度チケットを見せると上に行くように言われる。荷物をあげるのが面倒くさい。乗船口横の客室は扉が閉まっていてエアコンキンキンの様子。階段を数段昇ると、右手には扉の閉まったエアコンのきいた席。左手はドアが全開、そちらがエアコンなしのエコノミーなのだ。
あまり人が乗り込んでこないので、がらがらのまま出発するのかな、と思っていたら、出発10分前になって、洋の東西を問わず人がぞくぞくと乗ってきた。結局ほとんど席が埋まった。
船は定刻16時に出発した。客室の前方にはいちおうカフェと書かれたブースがある。ローカルはこの売店でよく買う。皆、半透明のピンクやグリーンのプラスチックのコップを手にいそいそと戻ってくる。液体の色から、ミルクと砂糖がどっさり入ったコーヒーだろう。船のゆれにそなえてか、コップの半分くらいしか入っていない。前方にはテレビもあるが、ウレレを離れるにつれどんどん写りが悪くなっていく。船は揺れも少なく、エアコンがなくたって窓から入る風でじゅうぶん。途中で、クルーが、もう一度チケットの確認に来る。けっこう用心深いなあ。バンダアチェを出るときは雲が多かったが、やがて西に傾き始めた太陽で金色がかったウェーがくっきりと見えてきた。緑に包まれた島のところところが、地すべり後のようにえぐれているところがある。津波のあとなんだろうか。50分もかからず船はウェーに到着した。