昨日の午後は、NHK 国際放送のウルドゥー語放送の取材を受けるのに、私の答えがあまり明快でないものだから、再質問されたりして、結構時間がかかってしまった。その再質問の中に、ワタシガ、『竹取物語』には、マハートマー・ガーンディーの非暴力主義に通じるものがある、という点について、『竹取物語』では、みかどが2000の兵隊を派遣したのに対して、月の人は、言葉と不思議な力によって、竹取の翁や、兵隊たちを無力にしたというのに対して、月の人は、不思議な力を持っているが、マハートマー・ガーンディーは無力で、自分の命を捧げて暴力に立ち向かったのではないかというのだった。その通りで、1100年前の非暴力主義が、そこまで一致はしていないのは当然で、暴力を否定している点では同じであるということだ。
それに関連して、私のあり方を説明して、1991年の4月に瀬戸内寂聴尼とイラークに薬を持っていった事があり、その時は、決死の覚悟であり、戦争保険に入っていった。『竹取物語』の解釈をめぐって私自身の生き方を、意外なところで、さらけ出すことになってしまった。要するに日本にも海外派兵をして、米国将軍様に忠誠を尽くす政治家がいる一方で、詳しい質問で迫られてしまい、私のような立場からの解釈もあるのだという説明をさせられてしまった。結構核心に迫る質問を他にもされて答えに窮したが、終わってみると、来客が次々と来た。そのなかにすずりゅうが、知人を連れてきたので、芳賀邸をご覧にいれた。
それに関連して、私のあり方を説明して、1991年の4月に瀬戸内寂聴尼とイラークに薬を持っていった事があり、その時は、決死の覚悟であり、戦争保険に入っていった。『竹取物語』の解釈をめぐって私自身の生き方を、意外なところで、さらけ出すことになってしまった。要するに日本にも海外派兵をして、米国将軍様に忠誠を尽くす政治家がいる一方で、詳しい質問で迫られてしまい、私のような立場からの解釈もあるのだという説明をさせられてしまった。結構核心に迫る質問を他にもされて答えに窮したが、終わってみると、来客が次々と来た。そのなかにすずりゅうが、知人を連れてきたので、芳賀邸をご覧にいれた。