芳賀明夫の思いつくままに

フィジーから帰国して

登米の土手町

2008年10月26日 | Weblog
昨日は、軍場山の柿を採ってきた。皆渋柿だが、一本は、名前は分からないが、主にそれを採り、蜂谷丸という大きな柿が2本あり、それも少し採った。佐藤元大工さんが蜂谷丸を欲しいと言っていたから、今日それを届けた。ついでに、本覚寺の入口にある石碑を見たら、山神があった。先日雨漏りをしているところを直してもらった時に、86歳の老スレート職人の高橋哲郎さんに北上川沿いに上町から金谷まで今の堤防に当たるところに土手町があり、その上町側と金谷側に石碑があったが、現在はそれぞれ清龍神社と本覚寺入口に保存されているということを聴いていたので、確認したのだ。夏の間散歩をしている時に清龍神社に湯殿山と、水神の石碑があるのを確認してあったから、北上川沿いの土手町の上流は水神、下流は山神が守っていたことが分かった。水神と湯殿山は化政時代に立てられたのが分かったが、山神は良く読み取れなかった。その他にも石碑がいくつかあったが、よく分からなかった。