20日(月)の夕方5時ころに、三菱ボート倶楽部の岸田氏が、気仙沼で水産系の仕事をしている千葉さんの車で来た。千葉さんは東北大学のボート部で、ローマオリンピックに参加したときの主将だ。かねてから約束で、北上川を石巻から川崎まで遠漕したいので、その下調べに寄ってくれたである。その前日に丁度邉見清二さんが来て北上川をゴムボートで下ったときの話をしていただいていたので、その話をしてあげようかと思ったが、予定より一時間も遅く来たため、そのあと、気仙沼での食事会かなにかの予定があるらしく、30分もいないで帰られた。遠漕の途中で登米に一泊されるようだから、登米の旅館にとっては、助かる話しだ。
ただ、脇谷閘門の濁流を見て、そこを閘門に漕いで入るのは、勇気が要るから、どうしたらいいか、と迷っていられた。何しろ、岸田さんは80歳近くで、ドイツの川も漕いでいて、元気ではあるが、10数人で漕ぐとなると慎重にしなければならないと言っておられた。中には、まだ奥さんの健在な方もいるから死なせるわけにはいかないと言う。
私自身そこを電車の上からしか見たこともないし、漕いで越したこともないから、私が、地元でボランティアを集められる立場なら、綱で船を引いて閘門を越えさせることもできるのかもしれないが、なんとも云えなかった。閘門を越えて流れる川が濁流でなくなる時期があるのかどうかも分からない。
東京方面から北上川の遠漕に来るのは初めてかもしれないから、これをきっかけに北上川の船漕ぎの宣伝になればいい。登米市に脇谷閘門の通過を支援する仕組みがあれば、その援助を要請するのだが、先日も、観光物産協会で門前払いを食ったばかりであるから、支援は望み薄である。むしろ、石巻の邉見清二さんに相談したほうが良いかもしれない。とはいえ、登米に宿泊者を増やすという私の当初からの目論見が一歩前進するかもしれないが、旅館組合長の海老紋旅館主に話しても前回同様、「他の旅館は皆敵だから、その手の話しには乗られいん」という答えは分かっている。
ただ、脇谷閘門の濁流を見て、そこを閘門に漕いで入るのは、勇気が要るから、どうしたらいいか、と迷っていられた。何しろ、岸田さんは80歳近くで、ドイツの川も漕いでいて、元気ではあるが、10数人で漕ぐとなると慎重にしなければならないと言っておられた。中には、まだ奥さんの健在な方もいるから死なせるわけにはいかないと言う。
私自身そこを電車の上からしか見たこともないし、漕いで越したこともないから、私が、地元でボランティアを集められる立場なら、綱で船を引いて閘門を越えさせることもできるのかもしれないが、なんとも云えなかった。閘門を越えて流れる川が濁流でなくなる時期があるのかどうかも分からない。
東京方面から北上川の遠漕に来るのは初めてかもしれないから、これをきっかけに北上川の船漕ぎの宣伝になればいい。登米市に脇谷閘門の通過を支援する仕組みがあれば、その援助を要請するのだが、先日も、観光物産協会で門前払いを食ったばかりであるから、支援は望み薄である。むしろ、石巻の邉見清二さんに相談したほうが良いかもしれない。とはいえ、登米に宿泊者を増やすという私の当初からの目論見が一歩前進するかもしれないが、旅館組合長の海老紋旅館主に話しても前回同様、「他の旅館は皆敵だから、その手の話しには乗られいん」という答えは分かっている。