芳賀明夫の思いつくままに

フィジーから帰国して

今日深夜『竹取物語』ウルドゥー語放送

2008年10月21日 | Weblog
『竹取物語』の拙ウルドゥー語訳が今日いよいよ以下の時間帯で放送される。NHKからはその後何も言って来ないから、予定通りなのだろう。

放送時刻(現地時間):23:30~翌水曜00:15(日本)、20:00~45(インド)、19:30~20:15(パキスタン)
・周波数(短波ラジオ) :17595kHz (16mb)
(詳細は、http://www.nhk.or.jp/nhkworld/urdu/radio/frequency.html をご参照ください)

・インターネット:
 NHK URDU=http://www.nhk.or.jp/nhkworld/urdu/top/index.html
 10/22(水)の放送直後から一週間聴くことが出来ます。

私は、短波放送のラジオを持っていないから、インターネットで聞くことになる。前回、ヒンディー語訳の時の放送もそうして聞いた。
ところで、アラビア語訳を完成させた訳者から、出版社が喜んで出版したいと言っているので、そこにメールするように言われて連絡したが、さっぱり、返事が来ない。前回、出版を約束していながら、突然中止してきたようにエジプトは中々分かりにくい国だ。歴史が古いだけに時間の観念も違うのかもしれない。

世界不況の元凶

2008年10月20日 | Weblog
1991年の湾岸戦争の時にお世話になった湯浅誠さんは自立生活サポートセンター・もやい、反貧困ネットワークそれぞれの事務局長で、稲葉剛さんは理事長だ。ともにPANで活動していた二人が、社会活動を続けているのだ。
湯浅誠さんは、小泉純一郎による「聖域なき構造改革」以降の日本社会で顕在化した貧困について閣僚の竹中平蔵が「日本に絶対的な意味での貧困は存在しない」と発言したことに、反論する論文を雑誌に掲載、そのあと、『貧困襲来』(山吹書店2007)、『反貧困』(岩波書店2008)を執筆している。
また、最近は、週刊金曜日にも湯浅誠さんが執筆していると、このブログを読んだ斎藤幸子さんから今日教えていただいた。
米国政権の言うがままに、日本にも金融資本主義を押し進めたその内閣は、同じ派閥から次々と首相を送り込み、政権をも投げ出している。
その米国による植民地化を強力に推し進めた小泉政権とその閣僚の中心の竹中金融相については、今までなんども私も批判してきていて、昨日ネットで見た湯浅誠さんの考えが、私の考えをもっと論理的に単行本で指摘していることを知った。
この二人の閣僚が、米国のFoolish Bush政権と組んで現在の世界金融危機と世界不況を招いたのだ。

邉見清二氏と湯浅誠氏のこと

2008年10月19日 | Weblog
今日は、いろいろな方に出会えた。直接会った方では、朝9:30に来た北上川・運河交流館で働いていて、川の案内人を自称する邉見清二さんだ。奥州仙臺石巻湊、石巻千石船の会の会長をつとめてもいる。
ともかく北上川のことを盛岡から石巻までご存知で、川を上り下りした写真をPCで見せられながら、お話を聞いた。詳しいことこの上ない。信濃川などの新潟の川や、江戸川などにも調査に行っておられる。
先日、来られた千葉政子さんのご紹介だ。私が、北上川を町起こしに役立てたいと電話したら、もう来て下さり、14:15までお話しして帰られた。
私ガ、貞山堀という運河名について疑問を持っていることにも即座に回答して下さった。
そのあと、見物の人も来たが、夜になって、疲れと熱で、具合が悪いので、テレビを見ていたら、湯浅誠君が出ていた。貧困ネットワーク「もやい」の事務局長をしているのが分かった。彼とは、瀬戸内寂聴さんをご案内して、イラークに行ったとき、彼は、ペルシア湾のいのちを守る地球市民ネットワークPANというのに属していた彼から、いろいろと助言して貰った。だから、そのPANについては、『寂聴イラクを行く』の最終頁に感謝を込めて記している。彼は、当時東大法学部の学生で、将来どういう仕事に就くのかなどと思っていて、気になっていた人だ。そうしたら、弁護士とか官僚とかになるのではなく、学生時代に関わった社会活動に今も専念していることが分かり、懐かしくかつ私は喜んだ。彼に拍手を送りたい気持ちでいっぱいだ。


『登米物語』仙台で好調売れ行きの推移

2008年10月18日 | Weblog
今日は、仙台一高柔道部の総会が仙台の戦災復興記念館で開かれ、それに出席するので、久しぶりに仙台に行った。『登米物語』の売れ行きを見て歩いた。どこも好調に売れていたが、ジュンク堂書店ロフト店では、しばらく前に注文したそうで、納品したとばかり思っていたが、『お忙しかったのですか』などと言われ、すっかり田舎惚けしている自分に気づいた。これで田舎に帰るとまた忘れてしまうかもしれないなどと思っている。ジュンク堂書店ロフト店では、仙台宮城DCをしていて、そこに並べてくれるのだそうだ。東京の新宿店にも送ってくれたそうで、そこでもキャンペーンをしているのかもしれない。

原木で育てたなめこを貰う

2008年10月17日 | Weblog
米を作ってもらっている高橋さんがヒトメボレを5袋持って来てくれた。農協から飯米をもらえるのが、11月半ば過ぎるというので、取りあえず必要なだけ立て替えてもらったのだ。精米所でついた米を手押し車で押してくる途中の役所の前で遇った伊藤哲朗氏が昼過ぎに原木に植えたナメコを持っていくと約束してくれたのだ。
伊藤哲朗氏は同級生の伊藤昭七氏の弟で、3月まで登米市津山の支所長をしていたときから、その後も、良くお会いすることが多い。
おいしい茸を次々と食べられて、これぞ、贅沢三昧だ。
米も作ってもらっているが、自分の田んぼの米だ。しかし、農協から来る米は、誰の作った米か分からない。
農協がやたら、農薬を売りつけていた頃に比べれば、その使用量は、今はかなり減った。であるから、低農薬の米と自然の茸は安心して食べられる。食の安全が崩壊しているこの時期に、これは、贅沢と言える。
野菜も殆どが、米国の種だが、種に毒が入っていなければ、自然農法で育てているから、これも安心と言っていいかもしれない。
このように、食料品が安心かどうか分からない時代になったのは、ひとえに、米国の日本農業支配によるものであり、つい最近では、それをグローバル化と言って最も理の通った政策だと言って押し進めた小泉政権であり、その先頭に立ったのが、金融資本主義を金融自由化という名目で押し進めた竹中金融大臣だった。要するに崩壊する米国を救う為の政策である。

北上川でボートを漕ぐ企画が進む

2008年10月16日 | Weblog
米国の株式市場は、昨日、史上2番目の暴落となったらしい。日本の株式市場にも影響を及ぼすであろう。米国支配下の日本の経済は、米国次第という所があるから、予想以上の株式市場の乱高下になりそうだ。
イラークからの米軍の撤退にあたり、米国の駐留軍当局と、イラーク国会との間で、条件闘争をしているようだ。敗戦日本も地位協定で、米兵の裁判権を認められていないが、敗戦国イラークでも裁判権を米国に取られるのに反対している議員がいる。あまり反対すると、米軍に密かに殺されるであろう。植民地化した国で、裁判権を自由に出来なければ、植民地を思い通りに支配できないから、裁判権を植民地側に放棄させるのは当然なことだ。裁判権を放棄することは、軍事的に植民地を放棄するも同然だ。日米地位協定で米兵の裁判権を日本に渡して初めて、日本は米国と対等になるのだが、米国が崩壊するにしても、それにはかなりのエネルギーがいるであろう。崩壊する大国は、最後まで、利権を維持しようとするであろうからだ。イラーク国会の米兵裁判権主張を認めてしまったら、米国は日本政府にも日米地位協定の米兵裁判権を主張する余地が与えるであろう。ドイツも世界大戦の敗戦国であるが、米独地位協定がどうなっているのか、知りたい点である。
ミクロの話だが、北上川でボートを漕ごうという企画が着々と進んできている。外語ボートのとき、全日本ジュニアーで優勝したフォアーをいっしょに漕いだ谷内君から、三菱倶楽部のボートの先輩、岸田さんが、気仙沼在住で、東北大学がローマオリンピックに参加したときの主将千葉さんのご案内で登米に来るから、北上川についての情報を提供してくれるようにとのことだ。『良い会』という大学間のボートの集まりがあり、そこで私も講義させられたことがあるが、『良い会』の当番大学が北上川でボートを漕ぐ企画を立てるのだそうだ。




田舎暮らしの付き合い

2008年10月15日 | Weblog
昨日、照ちゃんがまたあみ茸と団子という茸を持って来てくれた。今年最後になるであろうとのことだ。このあとは、紫しめじが採れるようになったら採りに連れて行ってくれるそうだ。夜は彼が来て一緒に焼酎を飲んだ。
先日、鈴隆が東京からのお客とともに連れてきた、中田の千葉政子さんから朝食前の8時過ぎに電話があり、8時半頃行っても良いかというので、来てもらった。一昨日電話で、そのうち寂聴さんが芭蕉についてい書いた、『太陽』(1989.1)を読ませたいと行っていたので、それを持って来てくれた。それと一緒に米山で仲間内で作っているという味噌と、手づくりのチーズケーキを下さった。味噌作りを一緒にしないかというお誘いだったが、米山に何日も通うのは、車のない私としては、無理だから、出来たのを分けてもらうことにした。18日に桃生の知人宅で、そば打ちをして食する会もあるからそれに参加しないかと言うが、その日は、仙台一高柔道部の総会というのが仙台であるので、それに出席すると、ちょっと無理かもしれない。毎月のようにそば打ちはしていると言うから、次回にということにした。ご子息が登米高校の3年に通っていて、バスに乗り遅れると送ってくるのだそうだ。いずれにしろ活動的な人である。チーズケーキは非常においしかった。シフォンケーキも作っていると言うが、それも美味しいに違いない。
田舎でもこんな美味しいチーズケーキを作っているのでは、田舎の喫茶店でも相当いいものを出さないと、はやらないであろう。
東京の株式市場は、昨日1000円以上暴騰したが、ニューヨークは下げたから、米国の金融危機は収まらないかもしれない。

『竹取物語』ウルドゥー語訳取材の放送日時が決定

2008年10月14日 | Weblog
先日、突然に申し込まれた『竹取物語』ウルドゥー語訳について取材されたウルドゥー語放送の日時が決まった。取材は主には、日本語だから、訳をかぶせて放送されるらしい。

当初予定の明日10/14(火)から一週間延期し、10/21(火)に変更となりましたとのこと。
緊急の放送が入った為、延期となったらしい。世界経済の緊急事態を招いている時期だから、放送してもらえればいつでも良いようなものだ。
日本時間では、23:30~翌水曜の00:15の放送ということになるが、短波放送のラジオをお持ちの方は少ないから、インターネットで聞かれるというのが面白いかもしれない。
受信の仕方は下記のようになる。

・周波数(短波ラジオ) :17595kHz (16mb)
・放送時刻(現地時間):20:00-45(インド)、19:30-20:15(パキスタン)
(詳細は、http://www.nhk.or.jp/nhkworld/urdu/radio/frequency.html をご参照ください)

・インターネット
NHK URDU:http://www.nhk.or.jp/nhkworld/urdu/top/index.html

「マフフーズシュダー プログラム」の欄にある「アビースンネーケリエー」を
クリックしていただければ、放送終了直後にアップロードされてから一週間後まで
ストリーミング形式(Windows Media Player)でお聴きいただけます。



柿もぎを始める

2008年10月13日 | Weblog
今日も天気がいいので、昨日できなかった庭にはびこった竹の根っ子掘りと、熟してきた柿もぎをした。柿は、もう赤くなってきているが、去年より数は少ないようだ。柿も隔年なのだ。それをしながら、株式市場が休みでないアジア、オーストラリアの株式市場をネットで見て、反発しているのを見て、少し安心したが、米国の対応はどうなるのだろうか。ドル暴落を引き起こすようなことになると、また市場は混乱するであろう。円高にはなってきているから、また、インド旅行を始めても良いかなどと思っている。ただ、不景気になるであろうから、一緒に行ける人は限られるであろう。その前に、荒れた庭を直さなければならない。
慣れない力仕事であるから、徐々に進めるしかない。同時に植木の手入れもしている。毎年、植木屋は頼んでいるが、草花のような細かいところは、こちらの思うようにはしてもらえないからだ。

NHK国際放送ウルドゥー語放送に『竹取物語』について電話取材される

2008年10月12日 | Weblog
昨日の午後は、NHK 国際放送のウルドゥー語放送の取材を受けるのに、私の答えがあまり明快でないものだから、再質問されたりして、結構時間がかかってしまった。その再質問の中に、ワタシガ、『竹取物語』には、マハートマー・ガーンディーの非暴力主義に通じるものがある、という点について、『竹取物語』では、みかどが2000の兵隊を派遣したのに対して、月の人は、言葉と不思議な力によって、竹取の翁や、兵隊たちを無力にしたというのに対して、月の人は、不思議な力を持っているが、マハートマー・ガーンディーは無力で、自分の命を捧げて暴力に立ち向かったのではないかというのだった。その通りで、1100年前の非暴力主義が、そこまで一致はしていないのは当然で、暴力を否定している点では同じであるということだ。
それに関連して、私のあり方を説明して、1991年の4月に瀬戸内寂聴尼とイラークに薬を持っていった事があり、その時は、決死の覚悟であり、戦争保険に入っていった。『竹取物語』の解釈をめぐって私自身の生き方を、意外なところで、さらけ出すことになってしまった。要するに日本にも海外派兵をして、米国将軍様に忠誠を尽くす政治家がいる一方で、詳しい質問で迫られてしまい、私のような立場からの解釈もあるのだという説明をさせられてしまった。結構核心に迫る質問を他にもされて答えに窮したが、終わってみると、来客が次々と来た。そのなかにすずりゅうが、知人を連れてきたので、芳賀邸をご覧にいれた。