芳賀明夫の思いつくままに

フィジーから帰国して

やっと蕁麻疹が引いてきた

2014年05月21日 | Weblog

まだ若干残っているが、やっと蕁麻疹が引いてきた。先日、ボートを漕いで、空きっ腹にビールを一気飲みした時は、まだ、かなり蕁麻疹が残っていたのだが、その後引きが速かったのは、身体が運動不足で変になっていたせいもあるのかもしれない。何しろ、日本にいる間に体調を整えなければならない。日本で食べる食事は、兎も角何を食べてもおいしい。ボートを漕いだ日は、体重が減ったが、全般に体重が増え気味だ。古稀を過ぎてのインドでの食生活は、ワルダでの食事よりは良くなったとは言え、身体にこたえるのかもしれない。インドに戻ってから、アイポドで音楽を聴きながら散歩しようと思い、大分前に買ったアイポナノを銀座のマックに持って行き、修理してもらおうと思ったら、これは発火の畏れがあるからと、最新のアイポドナノに無料交換してくれた。これだとビデオも見られえる。しかし、私のマックのノートパソコンは、10、4で、新しいアイポドナノは10、6以降の機種でないと対応しない事が分かった。私のパソコンでは充電しか出来ない。この古いパソコンからは音楽はおろか、ビデオも入れられない。こういう時に便利なのは、メモリーであり、私のパソコンに入っている好きな音楽を一旦メモリーに入れ、それを借用した新しいパソコンに落として、そこから新しいアイポドナノに入れることができた。


孫崎享の米国に対する考え

2014年05月20日 | Weblog

孫崎享によると、岸信介は、安保改定に当たり、地域協定はそのままの内容であったが、安保そのものは、一年前の事前通告で破棄できるように改訂したと言う。また、沖縄と小笠原を返却するように働きかけ、米国側から危険視され、首相から降ろされたと言う。

私は岸信介の安保改定で米国服従が固定化したという現実を見ていたが、日米関係はもっと深読みしなければならないものらしい。

米国は身勝手だから、いざとなっても日本を助けることはしないであろうというのは、私も同じ考えである。その理由はこの本を読めば分かる。


宮が瀬湖以来一年ぶりにエイトを往復2000メートル漕ぐ

2014年05月19日 | Weblog

土曜日に戸田に行ったが、全日本軽量級にたった一人しか出なかった外語の学生が敗者復活を棄権していて、しかも、ほかにボート部の卒業生が誰もいなかったので、戸田をあとにした。

今日、19日(月)は、今週末の全日本マスターズに出漕する人達が来て、エイトを漕いでいた。ナックルフォアーを漕ぐひとは、28日に開催される学内レガッタの練習にナックルフォアを使うために乗れないので、エイトで練習するといい、私も誘われ、昨年の宮が瀬湖以来一年ぶりにエイトを往復2000メートル漕いだ。

漕ぐとは思っていなかったので、水を用意していず、喉が渇いた。昼食時に飲んだ生ビールで帰りにふらついた。30本ローが効いて、足も疲れ、昼寝をした。


孫崎享(まごさきうける)の著書を読む

2014年05月18日 | Weblog

植草一秀『アベノリスク』で著者が推薦している本がいくつかあり、孫崎享『日本の国境問題』(筑摩書房)と『戦後史の正体』(創元社)を借りようと思ったが、近くの図書館になく、やむを得ず、同じ著者の『アメリカに消された政治家たち』(小学館)を借りた。田中角栄の写真が表紙に出ているから、私の考えと同じであるが、岸信介もアメリカいと戦った一人に上げられている。読んでみなければなぜなのか分からないが、私の考えでは、日米安保条約を更新して、日本を米国に益々従属させ、米国に沖縄を益々支配させた張本人であるのだが。いずれにしろ、私のは感覚的であり、植草一秀の著書は、それをデータで補っているから、この孫崎享(まごさきうける)もそれを期待して読む。この人は元外務省官僚でありながら、米国から日本が独立することを意図しているらしい変わり種だ。外交の裏が明かされると面白い。


植草一秀の弁護と推薦にこれ努める

2014年05月17日 | Weblog

先日、Mr. & Mrs. Shido のお宅に夕食に御招待頂いたた。寿司やら何やら、高級食をご馳走になり、大満足であった。植草一秀が痴漢扱いで捕らえられたとマスコミに思い込まされておられたご夫妻の誤解を解くために話しが長くなり、19:00から23:00近くまでお邪魔してしまった。

仙台で会った長谷川君、和久井君もマスコミに思い込まされていたので、その誤解を解く話しをした。ネットで、弁護団がどの様にはめられたかを詳細に検証している。要するに屈強の男達数人に囲まれ、電車から引きずり降ろされたりして、交番に引き渡されているのだ。やったと言うまで、留置され続けるのだそうだ。だから、早く帰してもらうためには、やったというのが、良いと言う、交番の警官の親切に応じてそう言ってしまったと言う。弁護士達の質問に答える形になっている。


植草一秀『アベノリスクーー日本を融解(メルトダウン)させる7つの大罪』(講談社)を読んだ

2014年05月16日 | Weblog

植草一秀『アベノリスクーー日本を融解(メルトダウン)させる7つの大罪』(講談社)を読んだ。

日本は現在も独立できていないという、私の考えと彼はほぼ同じで、サンフランシスコ講和条約の第六条を引いて、

日本に責任ある政府が樹立されたら、直ちに連合国占領軍は撤収すべしといいながら、但し書きがつけられ、日本国と他国との協定で外国軍隊の日本国の領域に置ける駐屯または駐留を妨げない、という文言が盛り込まれたことで、米軍がいまだに駐留していると具体的な条約を示している。そして、第三条には、沖縄、小笠原、鳥島は米国を施政権者とする信託統治下におくという文言を示している。

1951年9月8日に講和条約に署名した吉田茂首相は、その日のうちにサンフランシスコ郊外の米軍施設を単独で訪問し、独断で日米安保条約に署名したともいう。

日米安保条約の改定を強引に進めた岸信介首相も長期安定政権であったことから、私は、日本で安定政権を保てたのは、米国の言いなりになっている人物だけだと判断している。その考えも植草一秀の考えと一致している。


『登米物語』は息の長い売行きだが、地方から不景気が始まっている

2014年05月15日 | Weblog

『登米物語』の日本語版は、登米振興公社の物産館「遠山の里」とブックセンター湘南佐沼店ではかなり売れていて、一年分400冊を納品して来た。地元では息の長いロングセラーになっている。が、丸善仙台アエル店では在庫がまだあると、納品を断られ、ジュンク堂仙台ロフト店では、12冊しか売れていず、残りを返品された。このジュンク堂仙台ロフト店では、発行から7年間で相当数売っていただいたが、ついに売行きが落ち、返品となった。それとジュンク堂は丸善に併合されて、在庫を整理しなくてならない状況のようだ。

紀伊国屋書店仙台店は、長町で遠いので、何年も行ったことがないし、今回も連絡しなかったが、どの程度売れているかも分からない。仙台で売っている店は、だから、丸善仙台アエル店だけになったといっていいであろう。

仙台のアエルでは、『登米物語』の販売促進より、同級生に会うのに専念した。14日に藤島旅館から古川で新幹線に乗り換え、仙台で降りて丸善で待ち合わせた高校の同級生、長谷川君と和久井君に会った。その二階の高級喫茶店星山珈琲で三時間話し込んだ。まだ現役で役員を務める和久井君が18:00時過ぎの新幹線で東京に戻るというので、別れ、同じ喫茶店で、大学の同級生で弁護士の石神くんと19:00時まではなした。彼は顔色が悪いが、以前に胃を切った時もそんな顔色をしていたし、ごく最近息子と一緒に弁護士事務所を開き、前の一人の時の手狭な事務所から広い所に越したと言うから、大丈夫、また回復するであろうと思われた。

この喫茶店は、珈琲一杯1000円もするのに去年は満席だったが、今回は、がら空きだった。植草一秀氏の言うように、景気は悪くなり始めているのかもしれない。


田舎から戻る

2014年05月14日 | Weblog

ネットの出来ない田舎から戻りました。

田舎の風呂場のシャワーの温度を調節する把っ手がまた、はずれていて、水道の元栓を開いたら、水が大量に漏れた。去年、凍って壊れたのを直したのに、また、シャワーが使えない。やむを得ず、漏水させたまま、水道水を風呂に入れて沸かしたり、台所で開栓した。年に一回、凍って破れた、数万円するシャワーを取り替えたのでは、かなわない。


田舎へ

2014年05月09日 | Weblog

昨日、寂聴さんに同行の秘書、まなほさんは若いので、

『デスマスク』のヒンディー語訳10冊と『登米物語』ヒンディー語訳一冊を上げて持って行ってもらった。お二人の小型スーツケースの上にその本を載せていた。

そのあと、上野公園に行ったら、大道芸人が何人かいて、その中のボールや剣を何本もお手玉のように放りあげて受けるのがすごく上手で、感心したので1000円を帽子に入れて上げた。

今日から田舎に行くので、しばらくこれはお休みになります。


瀬戸内寂聴尼に再会

2014年05月08日 | Weblog

NHK 海外放送のヒンディー語班に瀬戸内寂聴『風景』の中の『デスマスク』ヒンディー語訳と弊著、弊訳の『登米物語』ヒンディー語訳を届けた。もし可能であれば、ヒンディー語放送で扱って欲しいとお願いした。

今日、瀬戸内寂聴尼に逢い、帝国ホテルの一階レストランで昼食をご馳走になった。その前に鳩居堂で墨、硯、筆、色紙を買って、『利他』と寂聴尼の顔を描いていただいた。というのは、これまで書いていただいたものは私の周りで欲しいという人達に全て上げてしまったから、私の手元には、色紙が一つも残っていなかったからだ。

彼女が腰を悪くして動けなくなった時、京都寂庵に見舞って以来の再会であるから、4年ぶりと言う。だから、秘書のまなほさんとは初対面だが、私のことは寂聴さんからしょっちゅう聞いてい初めてのような気がしないともいわれた。原発反対や小沢一郎を押すことなど、話しは尽きなかったが、13:10の新幹線で秘書のまなほさんと一緒に帰られるのをホームで見送った。若い秘書なので、『デスマスク』ヒンディー語訳10冊と『登米物語』ヒンディー語訳一冊を持って行ってもらった。