「さらば愛しき女よ」は、アメリカのハードボイルド作家レイモンド・チャンドラーの
探偵フィリップ・マーローシリーズの2作目で、映画化もされた代表作の1つである。
わたしは映画も観たし、小説も読んだのだが、正直ストーリーはあまり覚えてなくて、
マーロー役のロバート・ミッチャムの眠そうな眼と、悪女役のシャーロット・ランプリング
の怪しい眼差しだけが印象に残っている。
ただ…マーローが事件を追っていくうちに、その関係者の女性に魅せられ、やがて真相が
判明したときに、自分の魅かれた女が…。なーんて今ではよくある話の印象だった。
つまり…「さらば」とキッパリと別れを告げているが、「愛しき女よ」とまだ惚れているのに…。
という男心を描いた作品と勝手に解釈していたのである。何が言いたいかというと、この言葉の
中にある男の未練心というやつをつらつら考えてみたのである。
よく女性より男のほうが未練心は強いと言われるが、確かに実態はどうかわからないのだが、
見聞するに、そうかも…と思えるふしが多々ある。
女性は惚れれば一筋。その人しか見えなくなってしまうような一途さの特性を強く持っている
と言われる、いわゆるあばたもえくぼというやつである。。もちろん男とてその一途さにおいては
引けをとらないと思うのだが、いかにせん種まき本能のなせる技か、チラリと目移りするという
特性も持ち合わせているようである。
まあ…それがないわたしなど例外中の例外であろうが、(ホントかいな)しかし、これが逆に男の
未練心に繋がっているような気がするのである。手痛いふられ方をしたとき、一途な女性はすべて
好きだと肯定していた相手を一転して否定し、すべて嫌いになり、思いっきり泣いてキッパリと
脳裏から消し去ってしまうのかもしれない。逆に言えば、そうすることによって自分を守っている
のではないだろうか。
しかし男の場合、好きになってもアバタはアバタに見えるようなところがあるので、すべてを
嫌いになれず、「でも…ああいういいところあったよなあ…」などと肯定するところが残り、
それが未練心になっているような気がするのである。
目移り感のないわが身に振り返っても、しかり…な感じだ。まあ…男の未練心の奥では、「さらば
愛しき女よ」ではなく、「去るな愛しき女よ」なのかもしれないなあ…。などとなんだか情けない
男心をふと…思うこの頃なのだった。
探偵フィリップ・マーローシリーズの2作目で、映画化もされた代表作の1つである。
わたしは映画も観たし、小説も読んだのだが、正直ストーリーはあまり覚えてなくて、
マーロー役のロバート・ミッチャムの眠そうな眼と、悪女役のシャーロット・ランプリング
の怪しい眼差しだけが印象に残っている。
ただ…マーローが事件を追っていくうちに、その関係者の女性に魅せられ、やがて真相が
判明したときに、自分の魅かれた女が…。なーんて今ではよくある話の印象だった。
つまり…「さらば」とキッパリと別れを告げているが、「愛しき女よ」とまだ惚れているのに…。
という男心を描いた作品と勝手に解釈していたのである。何が言いたいかというと、この言葉の
中にある男の未練心というやつをつらつら考えてみたのである。
よく女性より男のほうが未練心は強いと言われるが、確かに実態はどうかわからないのだが、
見聞するに、そうかも…と思えるふしが多々ある。
女性は惚れれば一筋。その人しか見えなくなってしまうような一途さの特性を強く持っている
と言われる、いわゆるあばたもえくぼというやつである。。もちろん男とてその一途さにおいては
引けをとらないと思うのだが、いかにせん種まき本能のなせる技か、チラリと目移りするという
特性も持ち合わせているようである。
まあ…それがないわたしなど例外中の例外であろうが、(ホントかいな)しかし、これが逆に男の
未練心に繋がっているような気がするのである。手痛いふられ方をしたとき、一途な女性はすべて
好きだと肯定していた相手を一転して否定し、すべて嫌いになり、思いっきり泣いてキッパリと
脳裏から消し去ってしまうのかもしれない。逆に言えば、そうすることによって自分を守っている
のではないだろうか。
しかし男の場合、好きになってもアバタはアバタに見えるようなところがあるので、すべてを
嫌いになれず、「でも…ああいういいところあったよなあ…」などと肯定するところが残り、
それが未練心になっているような気がするのである。
目移り感のないわが身に振り返っても、しかり…な感じだ。まあ…男の未練心の奥では、「さらば
愛しき女よ」ではなく、「去るな愛しき女よ」なのかもしれないなあ…。などとなんだか情けない
男心をふと…思うこの頃なのだった。