馬ひでの助

街道歩き&城廻りの記録、
そして滋賀県情報&つぶやき
β《#^ひ^♯》でヒヒーン

【旧東海道歩き24 】響忍寺へ

2018-12-18 16:20:00 | 東海道歩き『近江路』
2018年2月11日(日)

スーパー平和堂のある相模川を渡り

大きくカーブする道をゆく

↑そこのお嬢さん、歩きスマホは危ないよ!


T字路に突き当たる。


電柱に「↓→旧東海道」の表示あり。

右折します。


少し行くと
『響忍寺』ごうにんじ。
難読ですね。

立派な塀と門があります。

膳所藩家老村松八郎衛門の屋敷がこちらに移されたのです。
長屋門が風格あります。

膳所の六門の1つです。

よく見ると、

「仁丹 膳所網町」の住居表示。
ナイスです。

境内に入りました。
ちょうど住職さんが帰ってこられたので、洪水の石碑の場所を聞いたら、
教えてくれました。

入って右手の親鸞像の後ろにありました。
明治29年に瀬田川の大洪水があった。

それを伝える洪水石碑です。

本来の瀬田川洗堰の役割は下流に水を供給するのではなくて、洪水対策なのです。

本堂


長屋門の内側




先ほど街道が大きくカーブしたが、相模川が堀として、
響忍寺が城下町の要として西の防衛ラインの役割を担ってるようです。


響忍寺の門の前で街道は、折れ曲がる。

直線道をゆくとまた折れ曲がり。

左へ行けば湖岸。

街道は右折する。

これより真っ直ぐの道が城下町を貫きます。

街道が膳所城下町と一体になって組み込まれてしまってますね。



その25に続く


Φ(*^ひ^*)ΦΦ(*^ひ^*)Φ

朝ドラまんぷく。
土曜日見逃したら、なんと
また牢屋に入ってるじゃないですか!
これで3度目。
なんべん入るねん!

それにしてもこんな苦労があったとは、驚き。

今更ながら、まんぷく氏の凄さに感心します。


一方、大河ドラマ西郷どん。

西南戦争をもっと詳しく取りあげてほしかった。
官軍側にもドラマがある。

西南戦争だけでも一年間引っ張るだけの内容あると思うのですが…。

ともかく、今年はけったくそ悪いドラマだったわ。



馬《●▲●》助ヒヒーン♪
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遺跡の発掘=破壊なのだ、の巻

2018-12-17 21:53:00 | 近江の史跡
2018年12月16日

城跡巡りが予定よりオーバーしたため電車に乗り遅れた。
湖北は一時間に一本しか電車が無い。
河毛駅の待合所でパンを食べて昼食した。

13時25分、木之本駅到着。
30分の遅刻だが、会場のスティックホールに向かい当初の予定通りに『塩津港遺跡報告会』に参加した。

あまり認知されてないので、どうせ人少ないと思いきや、
受付で、
『予想以上に人多いためお渡しする資料が無くなった。
後日送付したい』

えー!
資料無しで話聞くの?

びっくりポンや!

ホールに入るとしばらく立ち見する。
途中の休憩後、なんとか座ることができた。

辺りを見回すと、
米原市教委のあの方々、
長浜市の元館長さん、
先週ガイドしてもらった高島市のあの方、
なんと、
あの女性もいる。
今回はお城じゃなくて中世の遺跡の話なのに、わざわざ大阪から来たの?

さらに驚くなかれ、
あの有名人の奈良大の教授の姿も発見!
ま、まさか、ホントに?
我が目を疑う。
もしかしたら他人の空似か?
でも、他の偉いさん方がみな教授に挨拶してる。
お忍びで来たのかな?
小谷城の発掘調査を見学した後に立ち寄ったのかも?

最後にたまたま目が合った。
やっぱりあの教授で間違いないと思うのだが…。

本人かどうか気になって肝心の話が耳に入らなかったぞ!



塩津港遺跡は、奥琵琶湖最北端にある。
北陸方面からの荷物が行き交う港として栄え、中世の琵琶湖で最大の港でした。
しかし、12世紀に大地震が発生、
大津波が押し寄せ湖岸にあった神社が湖のなかに埋もれてしまった。
当時の湖面の高さは現在よりも2m低かったそうです。、

だから、湖底遺跡の発掘とも言える。

神社跡の発掘調査で12世紀、11世紀の遺構が見つかり、土器、木簡など多数見つかった。
中世の神社遺構が全面的に確認できたのは全国的にも珍しいとか?

発掘担当者の話では、試堀してみたら、さらに遺構の下に8世紀頃の古代の素晴らしい遺構が眠ってる可能性大だとか?

この古代の遺構は発掘せずに保存されて、現在は遺跡全体が埋め戻された。
以後、発掘の予定は無いそうです。

最後に会場から質問、いや詰問がありました。
『なんで、8世紀の遺構を発掘しなかったのか?途中でやめた理由を説明しろ!』

その回答は、
『遺跡を発掘調査するということはすなわち、遺跡を壊すことである。
この後、土木工事で完全に遺跡が壊れるのならば、最後まで発掘したが、今回は幸いなことに遺構の保存がはかられたので、無理をせずに下の遺構を残した』、と。

あんたに言われなくても発掘担当者は、もっと掘り進めたいものです。
歴史的な大発見になるかもしれない遺跡ならなおさら。
でも、ここはあえて自制したわけで、正しい判断であります。

我が輩も学生時代に発掘調査の担当者になったことがある。
その時、師匠に言われた。
『遺跡の発掘は、宝探しじゃないぞ!』
この言葉、グサッとささりましたよ。

遺跡の発掘は、過去の歴史を正確に明らかにすることが目的。
発掘技術は日進月歩してます。
遠い将来、もっと優れた技術と優れた調査者によって、正しく遺跡を発掘できればこれに超したことはない。

いまだ発展途上の発掘技術では、遺跡を保存しておくのが現在の我々のベストな処置なのです。

今は、ここに素晴らしい遺構が残ってることを確認できたことをもって良しとしなければならない。


最後にもう一度言います。

発掘調査=遺跡の破壊。

遺跡の発掘は、宝探しではない。

全国の学芸員さん、このことを肝に命じていただきたい!

と、思います。

て、偉そうに言ってるお前は何様や?

ε=ε=┏(・ひ・)┛

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骨折り損かな?の巻

2018-12-16 22:07:00 | 近江の史跡
肌寒い朝だったが、少なくとも午前中は雨が降らないという予報だったので城跡巡りに向かった。

午後に木之本で遺跡報告会があるので遠くには行けない。
手頃な城跡を巡ることにした。

で、木之本の手前の河毛駅で下車した。
河毛駅といえば、浅井三姉妹の小谷城跡がある。
先日のニュースでは、清水谷の屋敷跡の遺構らしきものを見つけたという報告があった。
だから、それを見に行ってもいいのだけど、あえて今回はパス。

本日の目的は、中島城跡と丁野城跡を再訪すること。
以前、JRハイキングで訪ねたがイマイチわからなかったので、自分なりに確認したかったからだ。

この城跡は河毛駅から近い。
駅近のいい物件です。

向かうと、その途中に山脇山がある。
ここは小谷城攻めの時に明智光秀が陣を敷いたと言われてる。
ただし、陣跡の遺構は残ってないらしい。
光秀といえば、再来年の大河ドラマの主人公だ。
ならば、ホントに陣跡の遺構が残ってないか、確認することにした。

登山口があったが、途中から無くなり、道なき道を藪をかき分け進軍した。
結局わからなくて、山の反対側の山脇集落に降りてしまった。
我ながら無茶するものですわ。

専門家が遺構無いと言ってるのだから、無いに決まってる。
お前は何様だ、と言われるだけだ。

ともかく、このような無茶、良い子は真似しないように!
である。

意気消沈しつつ本来の目的の2つの城跡に向かった。
再訪なので、ちょろい!
と、高をくくってたが、これが甘かった。
前回は、ガイドさんの後ろを付いて登っただけなので、登山ルートを覚えてない。
でも記憶を頼りに神社の裏から登った。
登山道が無い!
消滅したのかな?
こちらも台風のせいか?

仕方ないので、またしても道なき道を藪をかき分け登った。
今日はついてないわ😥

必死で進むと、丁野城跡の遺構が見えてきてホッと一安心。
予想通りの遺構が残ってました。

次に中島城跡だが、これまた行き方がわからない。
ここは一旦下山してやり直すことにした。
というのは、次の電車の時間が迫ってるからだ。
寄り道したために時間が大幅に超過してしまってた。

反対側へ下山してみると
中島城跡の登山口が見つかった。
目の前に見えてる。
ここまで来て引き下がるのは悔しい!

午後の報告会は欠席でもいいや、
と決断し、城跡に登りました。

というわけで、本日の無事目的達成。

駅へ戻る途中で、最初に登った神社のすぐ近くに両城跡へ向かう整備された登山道があることがわかった。

なにやってたんだか?
なぜ気が付かなかったのか?
我ながら情けないものでした。

トホホやわ。

詳細は別のブログで後日アップします。

午後の部に続く…。


Φ(*^ひ^*)Φ

西郷どん、本日最終回でした。

西南戦争、4回か5回にわたってもっと詳細に取りあげるべきではなかったか?

これが残念ですな。

ま、期待してないし真剣に見てなかったので、どうでもいいけどね。



馬《●▲●》助ヒヒーン♪
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苗木城跡へ

2018-12-15 19:46:00 | 旅行
早朝、みぞれが降り凍えるような寒さのなか、
三時間電車に揺られてはるばるやってきたのは、中津川駅。
岐阜県の東の端っこ。
山を越えればお隣は信州。

思い起こせば五、六年ほど前、
岩村城に登った。
感動の素晴らしい城跡だった。
あれ以来です。

と言っても、岩村城は中津川駅じゃなくて手前の恵那駅で乗り換えたが。

駅からバスに揺られて到着したのが
苗木城跡。

バス降りたら暖かい、
いや暑い!

晴れの上天気で、文句無し。
寒い我が地方とえらい違いですわ。

続百名城に指定されたため
人気急上昇!

たくさんの人が来てます。

というか、こちらも岩村城に負けず劣らず素晴らしい!

石垣と巨岩の城。
ここに城を造っただけでも凄い!



本丸付近まで来ると素晴らしいけど、極めて危険でもある。
撮影に気をとられて転んだら、それこと一巻の終わり!

石が濡れてたら間違いなく滑る。

みんな気軽に登ってるが、決して油断は禁物。
重々注意すべき。

高所恐怖症のタモリさん、是非とも登ってほしいものである。

そういや、今日は早朝から遠征してるので、
朝ドラ、チコちゃん、ブラタモリ、
この黄金三番組見逃した。

トホホや…。

Φ(*^ひ^*)Φ
例のごとく帰りは
チューハイとおつまみでほろ酔い状態。

金山駅で乗り換える時に帽子忘れた。
親切な若者が教えてくれて事なきを得たが、ヤバいぞ!


Φ(*^ひ^*)ΦΦ(*^ひ^*)Φ

某メルマガでバタークリームケーキのことが取り上げられてた。

この味を知ってるのは
我々昭和世代。
平成生まれの人は知らないだろう。
一度是非とも食べさせてみたいものである。

小さい頃、ケーキを嫌いなったのは
そもそもこのバタークリームケーキのせいや!

濃厚すぎてとんでもない味、

いやはや、困ったものだったが、

ふと、懐かしさがよみがえってきた。

ちょこっと久しぶりに食べてみたいような…。


馬《●▲●》助ヒヒーン♪
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【旧東海道歩き23】膳所馬場~相模川

2018-12-14 16:41:06 | 東海道歩き『近江路』
2018年2月11日(日)


前回、馬場北町会館の前を通ったが、会館の裏側
というか、西武百貨店の向かい側に

『馬場児童公園』がある。

県の探訪の時に休憩のために立ち寄ったが、
実はここに芭蕉の句碑がある。
∇『草の戸や日暮れてくれし菊の酒』
義仲寺無名庵に住んでた芭蕉が元禄四年九月九日に詠んだ句。
重陽の節句の日ですわ。
節句では一番マイナーな日ですが、
この日に菊の花を酒に浮かべて飲むと健康長寿になるそうですよ。

残念ながら、石碑を撮影してない

うーん…。

寄り道はこれくらいにして
街道を行きます。

平野小学校東の交差点から東へ向かう

11時28分。
右手に煙突。

「大津板紙」という工場の煙突です。
板紙とは、段ボールの原紙のこと。
回収された古紙を再生してつくるそうです


四つ角に来ました。
街道は先で右にカーブしてます。

ここに
『膳所城北総門跡』石碑

門番がいて街道をゆく人を見張ってたようです。
これより膳所城下町に入ります

道を折れ曲がりにして見通しがきかないようにしてるのです

しばらく直進

右手に

『法傳寺』

左手に

『桃源寺』

そして、右手に
『石坐神社』

いわい、と読む。
読めませんね。

いつ建てられたのかよくわかってないが、この地域を開発した治田連(はるたのむらじ)の先祖の彦坐王(ひこいますおう)、天智天皇、大友皇子、伊賀采女が祀られてる。
この四柱の神像は非公開ですが、国重文に指定されてます。

なので、この神社は天智天皇の頃に創建されたかも?

ただし、関ヶ原の戦いの時に西軍がここに陣所を置いた。
戦いに敗れて、境内を焼いたため古記録や宝物が焼失したそうです。

しかし、鎌倉時代に建てられた本殿はなんとか残りました。

県の指定文化財となってます。

天智天皇といえば、近江神宮ですが、こちらにも立ち寄ってほしいものです。

ちなみに現在は八大龍王神をアピールしてます。

昔、琵琶湖は日本海の入り江だったが、その街道がふさがれて淡水湖が誕生した。
これが淡海・琵琶湖で、このびわ湖の神様が石坐神社に鎮座されてるそうです。

びっくりポンですね。


街道をゆく。


今度は左に折れ曲がります。

前方に平和堂あり!

平和堂(フレンドマート大津西の庄店)横の相模川の橋を渡る



その24へ続く


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『さかいでまろ』ゆるキャラ

2018-12-12 22:01:00 | ゆるキャラ
2018ご当地キャラ博in彦根。

『さかいでまろ』
香川県坂出市。

肩書きは、坂出市PR戦略係長。

坂出市の特産、「坂出三金時」を持ってる。

頭の上に、金時みかん。

肩から下げてるのは、金時いも・金時にんじん。

金時と言えば、小豆のことですが、
一般に赤いものを金時と読んでる。
さらに、坂田金時を文字って
坂出三金時をアピールしてるようですな。

名前に「まろ」とついてるのは
公家さん、貴族を意味する。

具体的に誰を指してるわけではないが、
坂出といえば、菅原道真公。
886年、讃岐の守という国司に任命されて赴任してます。
讃岐国府は、坂出にあったのです。
讃岐府中駅がありますね。

道真公は、讃岐での4年の任期を無事に終えて京に戻り右大臣に出世します。
しかし、藤原氏に睨まれて失脚、九州大宰府へ左遷されたのでした。


もう1人、坂出と言えば、
「崇徳上皇」
保元の乱に敗れた上皇は,讃岐へ流され,林田の雲井御所で約三年過ごした後,国府のすぐ近くの鼓岡(つづみがおか)にある木ノ丸殿(このまるでん)に移られ、1164年亡くなられました。


四国の表玄関ともいうべき坂出駅は高松方面の分岐駅で、
乗り換えの駅みたいになってるけど、駅の外に出て、
菅原道真、崇徳上皇ゆかりの史跡巡りをすべきですな。


お土産はやっぱり、
金時芋。

安納いもと金時いも、
どちらが美味いか、

坂出で食べ比べするさかいで…。



馬《●▲●》助ヒヒーン♪
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【旧東海道歩き22】義仲寺(大津市)後編

2018-12-11 21:57:00 | 東海道歩き『近江路』
2018年2月11日(日)

義仲寺境内の北端に来ました


∇『さまざまの露ひとむらのさかり哉』露城

↑この露城さんの墓が↓

 
隣に文芸評論家の保田 與重郎氏の墓もある。

この人も寺の再建に尽力されたそうです。

木曽義仲と芭蕉のファン、多いですね。

隅っこに

『曲翠墓』

膳所藩士菅沼曲翠の墓。

芭蕉の門人で、石山の幻住庵を芭蕉のために提供した。

曲翠は、藩の悪家老曽我権太夫を殺し自分も責任をとって切腹した。

芭蕉にとって尊敬すべき人だったろうね。
 

∇『旅に病で夢は枯野をかけ廻る』

芭蕉の時世の句ですね。

書き順が左上→右→左と移動してるので、最初わからなかった


『木曽八幡社』

義仲公を祀る

 

『粟津文庫』

1791年、蝶夢法師が創設した。

芭蕉の門人で、芭蕉の句を収集し文庫に収納した。

 

∇『初雪や日枝より南さり気なき』

蝶夢幻阿佛の句。

日枝は、比叡山のことだろうね。

大津市草津市など湖南平野はめったに雪降らない。
降っても大したことないです

 

『山吹塚』

義仲公の側室山吹御前の塚。

病身だったが、京都から大津まで義仲に逢うためにやって来たが、義仲戦死の報せを聞いて自害した。
捕らわれたという説もある。

JR大津駅前に供養塚があったが、駅の改築のため、こちらに移された。

 

この他にもたくさんの句碑があります。
狭い狭い境内で、普通に見学すれば数分で一周できます。

でも一つ一つ句碑を読み、

芭蕉や義仲公に思いを馳せると、
とても値打ちのある境内です。

我が輩は25分かかりました。

大津市に来たら是非とも立ち寄ってほしいお寺です。

 以上、義仲寺参拝おわり。


 11時23分、
旧東海道歩き再開、
東へ向かう


ときめき坂との交差点

右折すれば膳所駅、
左折すれば西武百貨店、

街道は直進。


左手に『馬場北会館』
「ばば」じゃなくて、「ばんば」と読みます。

この付近に馬場があったそうです。
て、そのまんまですな。


「福正寺」


「北村整形外科」

前回は、この先を右折して膳所駅に向かったので、

今回はここからリスタート。


街道を膳所城跡へ向かいます



Φ(*^ひ^*)Φ
いやはや、昨日からグッと冷え込みました。
我が地方、初雪、初霜、初氷
三役揃い踏み。

底冷えで、昼間もこたつにかじりついてます

一気に師走らしくなりましたよ。


Φ(*^ひ^*)ΦΦ(*^ひ^*)Φ

今朝の新聞の見出し

『紀平 リカ バリー』

紀平梨花とリカバリーを掛けてます。
最初演技を失敗したが、後でうまくリカバリーしたからですって!


座蒲団三枚!




馬《●▲●》助ヒヒーン♪


 

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【旧東海道歩き21】義仲寺(大津市) 前編

2018-12-10 22:04:00 | 東海道歩き『近江路』
2018年2月11日(日)

旧東海道歩き、前回は膳所駅で終了したので、

今回は膳所駅がスタート!

 

まず最初に寄り道。

駅から真っ直ぐ坂を下り北上する。

この道を『ときめき坂』という。

朝夕と夜は賑やかな通りで、今や大津市一番の繁華街では?

分岐の場所に

【道標】

『はせを翁の墳 是より二丁』

『右 義仲寺』

はせを翁の墳→芭蕉翁の墓

 
道標の通りに200mほど歩けば旧東海道の交差点に出るので、

左折するとすぐに

 【義仲寺】に到着。

 
門前に
『国史跡義仲寺境内』碑

室町時代に佐々木六角氏が建立した。

境内に木曽義仲の供養塔、
松尾芭蕉の墓、
があるので、昭和42年に境内全域が国史跡となった。

ただし、寺は洪水、火災、戦争などで何度も壊滅し現在の建物は昭和40年に個人の寄進によって再建された。

入り口の右手に
『巴地蔵堂』

木曽義仲の側室巴御前の冥福を祈るために建てられた。

入ってすぐに寺務所があり、

300円払いました。

『初めてですか?』
と、おばさんが聞いてきた。


「いや、30数年ぶりかな?」

 
『ずっと全然変わってないですよ』

 
狭い境内なので、構造を変えるわけにはいかないのだろうな。

 というか、前回来たときは、
結婚前、妻とのデートだった。
妻に誘われて訪れた。

だから、ほとんど境内の様子は覚えてない。

妻が言うには、
西武百貨店に行くなら、
まずは、義仲寺に寄るべし。
市街地のなかにひっそりと佇む寺だが歴史的に貴重なもの、
だと。

 当時、義仲寺のことを我が輩は全く知らなかったのです。
今思うと情けない。

隣に
『史料観』

いや普通、史料館じゃないの?
なぜ「観」なのだろうか、不思議ですね。

 

境内には、これでもかこれでもかと、
句碑がある。

 

∇『行春やあふミ(おうみ)の人とおしみける』

文字は芭蕉の自筆だとか?
晩年、近江の地を愛した芭蕉が行く春を惜しんでます。

 
『朝日堂』

義仲寺の本堂。

朝日将軍と呼ばれた木曽義仲が名前の由来。
観音菩薩、義仲公の像、芭蕉翁の位牌などが納められてます。

 

記帳しました。
 

我が輩も一句詠んだ
「冬寒し前途を祝う義仲寺」
この日の街道歩きが無事であることを願っての気持ちを込めてます

 というか、我ながら下手な句やな…。

 

∇巴
『かくのごとき をみなのありと かつてまた おもひしことは われになかりき』

室町将軍と言われた三浦義一翁の歌碑。
この人が再建に尽力されたようですな。

 

∇『古池や蛙飛びこむ水の音』
言うまでもなく、芭蕉翁の句です。
 

『佐渡の赤石』

三浦翁が寄贈されたようですね。


『巴塚』

木曽義仲の側室だが、武勇に優れて敵将を討ち取ったそうです。
後に尼僧となり、ここで義仲の菩提を弔った。
最後は木曽で90歳まで生きたという。


『義仲公墓(木曽塚)』

芭蕉翁は木曽塚ととなえた。

「寿永三年正月21日歿」と看板に書かれている。
義仲は、義経に追われて近江に逃れこの粟津付近で決戦となり敗死した。
31歳でした。

その隣に

『芭蕉翁墓』

元禄七年、十月十二日に亡くなられたが、芭蕉の遺言に従って遺体を大坂から舟で淀川→伏見まで運び義仲寺で葬儀をおこない、義仲の墓の隣に埋葬された。

墓はその当時のままです。

 ホントに貴重な墓です。

 合掌!


『翁堂』




正面の祭壇に芭蕉翁座像。

左右の脇に内藤丈艸居士(芭蕉の門人)と向井去来先生の像。

 側面に、蝶夢法師像。
翁堂を再建した人です。

 壁の上には、36俳人の額。

天井の絵は、伊藤若冲。

これを見られるだけでも凄いと思いませんか!

 
後編に続く


馬《●▲●》助ヒヒーン♪
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湖西へ行く、の巻

2018-12-09 21:57:30 | 旅行
今朝、目が覚めたらみぞれが降って ました。
予想通りの寒波ですな。
我が地方、例年より4日ほど早い初雪だったらしい。
先日の夏のような暑さから一転しての寒さ、異常としか言えない。

この日、実は今年最後の町内溝掃除が予定されてたが、雨のため中止になりました。

そうとわかってたら、早起きしなかったのに…。

そのおかげで、湖西行きは予定より早く出発した。

電車は南回り、山科駅乗り換え。
ホームで待機してると、
なんと、京都から東海道方面と湖西線方面の電車が同時に入ってきた。
こんなの初めて!

車両を比較的すると明らかに東海道のほうが立派。
ドル箱路線だから仕方ないですな。

我が輩は湖西線周りなので、ちょっと見劣りする電車に乗った。

同時に電車がホームの両側に入ってくると間違える人いるので、車内アナウンスでは、
これは湖西線経由の電車、と盛んにアピールしてる。

それでも間違える人は間違えるけどね。

電車は各停のため、要所要所の駅で特急や新快速通過のための待機がある。
寒い冬、駅で待機中は車内保温のため手動ドアとなる。
一人の若者が降りようとしたが、ドアが閉まっていて慌ててる。
押しボタン式だと思って開閉ボタンを探してるが、旧型車両なのでそんなもんない!

その若者はたまたま開いてた別のドアから出ていきました。

さらにこの先の駅では同じく女性が戸惑ってた。
自分も降りるので、手でドアを開けたら、その女性が『すみません』と言った。

いいんですよ、都会人はこんな手動ドアは見たことないからね。

て、雪国の田舎者だと丸わかりだわ。
というか、何回も『ドアは手動式』というアナウンスが流れてるのに聞いてないのかい!

それはともかく、
『志賀駅』に到着。
午前中は北国海道(西近江路)歩き、前回の続きです。

ほとんど旧国道沿いを歩くが、
途中で、寄り道。
駅の観光マップに『百間堤』という文字をみつけたので立ち寄った。

川沿いの山道を登って行く。
どこまで登るのか、不安になったが、大きな石垣が見えてきてビックリポン!

いやぁ、これは凄い!
洪水対策のために幕末頃に築かれたそうだが、お城の石垣か?
と勘違いしそうなほどの素晴しさ。

わざわざ立ち寄った甲斐があったというもので、本日の最大の思いがけない収穫でした。

こういう先人の業績は貴重ですな。
史跡に指定したいわ。

しかし、この寄り道の往復で小一時間費やしたため時間切れ。

結局、隣の比良駅までしか歩けなかった。
相変わらずなかなか先へ進まない街道歩きですわ。

午後は、近江高島駅へ移動。
郡境の山を越えたら、激しい雨に。

予想通り高島市は北国の気候でした。
ま、雪じゃなかっただけでもマシかな?

この後、県教育委員会主催の探訪講座に参加した。
天候悪いせいか、いつもよりは参加者少な目に感じた。

高島公民館で、ちょこっと歴史講座を受けて、その後は傘さして大溝城下町と城跡を巡りました。

どうせまた、街道歩きでここには何度か来る予定なので、参考程度にガイドさんの説明を聞いてました。

そして帰りに次回、と言っても来年1月の坂本城講座の予約をしておきました。
明智光秀ゆかりの城跡なので参加者は多いと思う。

次回も湖西。
坂本地区は雪の心配はいらないが、比叡オロシの強風に悩まされる。
湖西線の電車が停まらないことを祈るばかりです。

というか、今日も寒波がキツかったら、湖西線はマヒして探訪講座は中止になったかも?

全線高架の湖西線は、比叡オロシ・比良オロシの強風に弱いのです。


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永源寺へ

2018-12-08 21:51:00 | 旅行
夕べ、夜中に目が覚めた。
NHKの深夜ラジオを聞くと、
『紙ふうせん』の特集をやってました。
♪冬が来る前に…。
という曲が有名です。
関西を拠点に活動してる夫婦グループですが、
その前身は、『翼をください』という大ヒット曲のある『赤い鳥』。
山本潤子さんが有名ですが、
我が輩は、可愛い平山さんが好きでした。
実は翼をくださいはB面で、
A面は『竹田の子守唄』だったそうです。
京都市南部のあの竹田地区の民謡、いろいろいわくがあってこの曲はあまり放送されることないけど、いい曲です。

赤い鳥解散後、紙ふうせんとしては竹田の子守唄のような地方の伝承歌、民謡をいくつも取り上げて発表してる。
二人のハーモニーが、ひなびた曲にピッタリ。
片方のハイファイセットが活動休止するなか、赤い風船は今も息長く活動してます。
これからも頑張ってほしいものですな。

で、気持ちよく聞いてるうちに眠り込んでしまって、
目が覚めたら7時を回ってる。

ヤバい!
遅刻する!

慌てて支度して出かけた。


近江鉄道で八日市駅を降りて、
バスに乗り換え、
永源寺前に到着したのが9時40分。

なんとか間に合いましたわ。


永源寺といえば、紅葉の名所。
さすがにもう落葉していて、見頃を過ぎてる。
訪れる人も少ない。
先週なら、凄い人だったと思います。
今日は駐車場も空いてるので、マイカーで来ても良かったかも?


ともかく、今回は永源寺参拝が目的ではないので紅葉無しでも別に構わない。

この後、JRハイキングのツァーで
和南城跡に登りました。

織田信長が、京都から岐阜に逃げ帰る時に越えた千草街道のそばにある。
信長は鉄砲で狙撃されるが、かろうじて危機を脱したといういわくのある地区です。

城跡周辺を1日歩きました。

前日からの腰痛が尾をひいていて
大変だったが、なんとか無事歩けました。

予報では、鈴鹿山系にある永源寺地区は雪かも?
と言われてたが、意外にも上天気で寒さもあまり気にならなかった。

帰りは池田牧場でミルクのジェラートを食べた。

お土産は、
永源寺の赤こんにゃくを買いました

明日は湖西へ行きます。

たぶん雪だと思う…。


Φ(*^ひ^*)Φ

朝ドラまんぷくを見逃したぞ!

1週間、進駐軍で引っ張ってくれたが、今日は解決したのだろうな。

肝心なところを毎回毎回見逃すわ。

YouTubeにUPされてないか、
探さなきゃ!


ブラタモリは見ることができた。
でも、眠たくて眠たくて

しっかりと頭に入ってない…。


馬《●▲●》助ヒヒーン♪
コメント
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