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ぽかぽか春庭「馬事公苑でやっちゃんと」

2014-05-07 00:00:01 | エッセイ、コラム
2014/05/07
ぽかぽか春庭日常茶飯事典>十四事日記5月(3)馬事公苑でやっちゃんと

 長らく交流が途絶えていた女子校クラスメート、やっちゃんと4月に2度会えました。やっちゃんは、誰とでも仲良くできる女子高ソフトボール部のキャプテン、私にとってもあこがれの「宝塚トップ」のような存在だったのです。
 やっちゃんは、北海道の大学で酪農を専攻し、馬術部に入りました。高校理科教師をしながらご主人亡き後一人息子さんを育て上げ、定年退職後は地元大学の馬術部コーチ、そして県の馬術連盟審判部長という「馬三昧」の生活です。馬のほかは、「山菜採りハイキング」で、近隣の野山を歩き回り、春から初夏は山菜の豊作時期。今回もわらびとフキノトウをお土産にもらいました。

 馬事公苑正門前で9時という約束だったのに、いつものごとく遅刻してしまいました。十分に余裕をもって家を出たのに、本を読んでいて渋谷で降りるべきところ、三軒茶屋まで乗り越してしまったのです。渋谷まで戻り、東京農大前までいくバスを探してうろうろ。しかも、バスは三軒茶屋前を通ったのです。なんだ、乗り越したと思って戻ったのは、まったく無駄でした。まあ、こういうぬけさくがいつもの私。これで30分の遅刻。

 馬事公苑の障害馬術大会のスタンドには、やっちゃんの隣に年配のおばさんが座っていました。だれ?やっちゃんと二人のデートだと思ってうきうき出かけてきたのに。
 「おはようございます。遅れてすみません。あのう、私のこと、HALと呼んでください」と、ごあいさつ。

 やっちゃんはその年配の女性を「えっちゃん」と呼び、えっちゃんは「この間、おみやげもらっちゃってありがとうね。ひさちゃんから、HALちゃんが中国から持ってきたおみやげだって、いただいた」と、言います。4月に上野動物園でプチクラス会に出たとき、何人のクラスメートに会えるのかわからなかったので、雲南省少数民族の手織りスカーフを余分に持っていき、ひさちゃんが「来週、絵の会で別のクラスメートに会う」と話していたので、「じゃ、これ、その人たちに渡して」と、頼んだのです。

 わお、この人、女子高のクラスメートなんだわ。えっちゃん、えっちゃん、う~ん。女子校時代の名前も顔も思い出せないのです。団塊世代の女子校、通常定員50人のクラスに特別年度として55人も在籍していて、2年間同じ教室ですごしても、1度もまともに話をかわさない人もいたのです。

 私は女子校時代、自分のまわりに壁を築き鎧を着て、我が心の防御につとめるかたくなな少女でした。だから、相手から話しかけてこない限り、自分からクラスメートに話しかけることはありませんでした。誰とでも親しくなれる人気者のやっちゃんは、そんな私にも声をかけてくれた希少な友人なのです。

 えっちゃんは、馬事公苑のすぐ近くに住んでいて、馬の関係でよく馬事公苑に来るやっちゃんは、そのたびにえっちゃんの家に寄っていて、ずっと親しく付き合ってきたのだそうです。私は、クラス会に出たのも一度きり。
 クラスメートのなかで、教師になった人たちは皆校長とか教頭になっているし、医者になった人は病院経営が順調だというし、専業主婦になった人はバリバリ稼いでいるらしいご主人と裕福な生活を楽しんでいるようすだし、超貧乏で食うや食わずの生活をしている私には、場違いなクラス会に思えて、一度出席しただけでその後は顔を出していませんでした。

 駒沢公園近くというえっちゃんの家も、よく家に寄るというやっちゃんが「大きい立派な家だよ」と報告したし、毎年ご主人と海外旅行を楽しんでいて、6月にはスペイン旅行なのだそうです。ふう、私には無縁の生活スタイルだわ。

 えっちゃんは、私のことをちゃんと覚えていました。私は、自分では壁を作り鎧を着てカラにこもっていたつもりでした。しかし、えっちゃんによると、何かのおりにその鎧を突っつかれると突如攻撃的になり、ものすごい早口で弁舌まくし立てる子で、目立っていた、というのです。主義主張が激しくて、近寄りがたく、こわい存在だったと。

 たしかに、つんけんと角を振り立てて我が身我が心の防御につとめていた私は、周囲から見れば、闘牛場の手負いの牛のごとく、暴れまわっていると見えたのだと思います。 
 女子校時代、私はへんな子だったのだなあと、あらためて思い出しながら、芝スタジアムで行われる障害馬術競技を見ていました。

 やっちゃんにルールをいろいろ聞きながら見たので、とてもおもしろく観戦できました。オリンピック中継などで馬術競技を見たことがあるだけで、試合を目の前で見るのは初めてのことです。障害物の柵が落下するとペナルティがつきます。次の柵へ行くのに、大回りしてしまうと、時間が余分にかかるし、障害の柵を落とさないように高く飛ぶとそれだけ時間がかかります。時間を節約する走法で馬を操り、的確に柵を超えていく、障害競技の見所を教わりました。



 レディ&ジュニアの試合「ホテル日航東京杯」では、やっちゃんの知り合いの女性選手が何人か出場しました。今年10月に長崎で開催される「がんばらんば国体」馬術競技会に出場するであろう選手と馬にとって、このJRA馬事公苑で行われる競技会もひとつのステップなのだそうです。
 最年少出場選手は13才というアナウンスに期待して見ていましたが、残念ながら障害の柵を2本の落としてしまい、予選敗退。

 県の馬術連盟審判部長であるやっちゃんに、審判の苦労のしどころを聞きました。
 今回の大会ではありませんでしたが、障害が横並びに続けて設置されることがあります。あるとき、第1障害と第6障害の柵が一直線に並んでいたことがありました。第6障害を飛ぶべき選手が第一障害を飛んでしまったことを、3人の審判が3人とも「第6を飛んだ」と、見逃してしまったことがあったのだそうです。横からみると、どちらも同じ柵に見えるからです。馬術は「紳士のスポーツ」と言われます。選手は自ら「障害を間違えました」と申告して失権となり、事なきを得たのだそうです。

 どんなに目をこらしていても、審判といえども完璧ではありません。しかし、庶民発祥のスポーツであるサッカーなどが「違反、ファウルは審判の目の届かないところでやれ」というスポーツで、審判に見えなければ、相手チーム選手の足を蹴飛ばすくらいはやってのけるのと異なり、馬術は「違反はみずからの恥」と考えるので、選手も紳士淑女のマナーでやるのですって。あらあ、「赤信号、車いなけりゃ渡ります」という交通違反常習非淑女の私には不向きね。

 今回、選手たちが乗っている馬は、ほとんどが外国生まれでした。やっちゃんは「必勝条件は、いい馬を手に入れること。しかしいい馬は何千万円も億もする。コーチしているうちの大学では、何千万もする馬はとても無理」と語っていました。



 73歳の現役オリンピック選手法華津寛さんは、ご自身も父君も大会社の社長。以前は障害競技、現在は馬術競技の選手として、よい馬の購入、馬術の本場ドイツに滞在しての練習、と、お金に糸目はつけない競技生活。雲の上の存在だそうです。馬術競技は、馬がさまざまな走行をみせるのを、採点する競技で、障害飛越に欠かせない「目」の衰えから、法華津さんは、技をみせる馬術競技に転向しました。

 試合中、落下した柵を振り返って確認してしまった選手がいました。やっちゃんは、「あ~あ、あれで1秒遅くなった。振り返ったりしたら、馬は進めなくなるから」と解説してくれました。騎手はまっすぐ前を向くのが基本。首をわずかに右に向けても左に向けても、自分では感じられなくても、尻の筋肉が動くので、馬は敏感にそれを感じ取る。騎手が横向いたりしたら、馬にとっては「前へ進むな」の合図になってしまうので、落とした柵を振り返って見るなどは、大失敗のうちなのだそうです。
 やっちゃんに「首を左とか右に向けると尻の穴が変わるから、やってみな」と言われて左右向いてみたのですが、鈍感な私の尻の穴は、首の動きを察知しませんでした。馬はエライ!

 障害飛越競技のあと、馬がダンスを踊るようにいろいろな姿をみせるホースショウを見物しました。おすわりをしたり、寝転んだり、本来臆病な動物である馬が決して人前ではしない姿を、手練の調教師のもとでやってみせました。前足を片方伸ばしてご挨拶したり、くるくる回ったり、さまざまなしぐさ、可愛らしかったです。

ロングレーンホースダンス


 生まれて初めての、生馬術競技大会。解説者のよろしきを得て、楽しく見学できました。東京オリンピックではいっしょに馬術競技を見よう、とやっちゃんに約束しました。

<つづく>
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