2014/05/03
ぽかぽか春庭日常茶飯事典>十四事日記5月(1)キトラ古墳壁画を見る
5月2日。授業の連絡ノートを記録する仕事が残っていたのですが、どうせ、次回に授業する先生は、連休後の5月7日になるのですから、そう急がなくてもいいと判断して、日本語単語テストの採点と、宿題チェックだけ済ませて大急ぎで駅へ。
娘と上野駅で待ち合わせ。西洋美術館の庭を通り抜けて、科博の前をすぎて、東京国立博物館へ。西洋美術館を通り抜けるのは、庭に展示してある地獄門、カレーの市民、考える人、ブールデルの弓を引くヘラクレスなどの彫刻を見るためです。無料の彫刻見物。
東博の本館前には、長蛇の列。係員がプラカードを掲げて、「館外で40分待ち、本館内で30分待ち、最後尾はこちらです」と叫んでいます。キトラ古墳壁画を見るためにものすごい列を作っている、という話は、4月下旬に東博に行ってきた息子からの報告を聞いていたので、覚悟はしていました。息子は、学部の「博物館実習」という授業の助手(テイーチングアシスタントTA)をしていて、博物館学芸員の資格をとる学生たちを引率して、東博本館の見学をしたのです。息子たちは、キトラ古墳壁画は見なかったのですが、入場待ちの人の列が本館前から平成館前まで伸びていて、60分待ちという、ディズニーランドアトラクション並みの列だったと報告していました。
夏日、25度になったという初夏にしては暑い日差し。「この中での40分待ちはきついよ」という娘の意見で、先に本館の通常展示を見ることにしました。通常展示の目玉は、「新規に国宝指定、重要文化財指定を受けた美術品の展示」です。
1階と2階の通常展示をめぐり、国宝展示室と新国宝指定展示品をじっくり見ました。
国宝「延喜式」は、平安時代、嵯峨天皇の命で編纂された「律令の施行細則です。最古の写本は、九条家伝来品の平安時代10・11世紀のもので、国宝として東博の所蔵品になっています。国政の大もととなる定めが、こうして目の前に一千年の時空を超えて残されており、法治国家として国の基盤が整えられてきたことに感銘をうけました。ぜんぜん読めませんでしたけれど。
延喜式

ひるがえって現代においては、国の大もとになる法を、時の為政者が捻じ曲げて解釈して、自分の思いのままにしようとしている、それに反対する声は小さいということ、たいへん危うい時代なのだとあらためて感じました。我が国は、権力者が自分の思いのまま法を解釈してしまってよい国ではなかったはずです。
娘は尾形光琳の「風神雷神図」を初めて見た、と大喜びでした。平成館では「栄西と建仁寺」展に、俵屋宗達の「風神雷神図」が展示されているのですが、私たちの入場券は「キトラ古墳壁画」と、常設展示のみ見ることができ、宗達の風神雷神は見ることができません。でも、本館に光琳の風神雷神が展示されていたのを見ることができ、よかったです。宗達の風神雷神は、光琳のほか、酒井抱一、鈴木其一らが模写を描いていますが、光琳の模写が一番正確なものとされています。
そのほかの新国宝指定美術品のうち、長野県中ツ原遺跡出土の土偶がとても印象深かったです。

本館の常設展示を一回り見たあと、表慶館へ。キトラ古墳関連の展示をなにやらやっていたのですが、展示ではなく美しいドームを持つ表慶館、片山東熊の設計した建物の内部を見たかったのです。表慶館が開館しているときにちょうどよく東博を訪れることがないので、ひさしぶりに中を見られてよかったです。
さて、あんなこんなとしているうちに5時。平日は5時閉館の東博ですが、金曜日夜は8時まで開館しています。東博についたとき、40分待ちだった本館の玄関から伸びていた列が、30分待ちになっていたので並ぶことにしました。娘が言うには、5時で仕事が終わった人たちは、これから並び始めるだろうから、この先列は長くなる一方だと。30分間、本を読んで待っていました。
本館1階の特別展示室。なかに入るとまずは陶板レプリカによる古墳壁画の複製見物。複製でもとてもよくできています。特に、キトラ古墳壁画の青龍の壁はカビによる劣化が著しく、展示のための移動に耐えられないほどなのだそうで、今回の展覧会でも青龍は本物の壁画は見ることができません。
レプリカの陶板を見ても、青龍の姿はまったく確認できず、顔の口から外に出ている舌の赤みが残されているだけでした。せっかく1300年の眠りから目覚めて日の目をみた壁画なのに、保存方法が適切ではなく、カビ被害を生じてしまいました。消えてしまった青龍の姿。記録から復元も可能かもしれませんが、残念なことでした。
キトラ古墳の立体模型なども展示してありました。
古墳内部の青龍。白虎、朱雀。玄武。四神の下に、それぞれ3体ずつ十二支の獣面(獣頭)人身像が描かれています。ただし、北壁の玄武(亀と蛇)のもとに「子(ね)」、東壁の青龍のもとに「寅(とら)」、西壁の白虎のもとに「戌(いぬ)」、南壁の・朱雀の「午(うま)」が見つかったのですが、他の十二支の姿は発見時にすでに見ることのできない状態でした。
レプリカ陶板の青龍図の左下に、唐風の衣服を着た獣面の男子が描かれていて、これが 十二支の寅の姿なのだと、陶板の脇の解説を読まなければ見落としてしまったことでしょう。
本物の壁画は、壁から切り離された絵の部分なので、思ったよりずっと小さい壁です。係員が「立ち止まらずに進みながらごらんください」と大声で注意しており、じっくり見ることはできません。60分待って対面。見ていられたのは、朱雀30秒、白虎30秒、玄武30秒といったところでしょう。一番姿かたちがはっきり残っているのは玄武でした。
キトラ古墳壁画・玄武

出口付近には高松塚の飛鳥美人の写真も展示されていましたけれど、キトラ古墳壁画、もうちょっとゆっくりみたかったです。
出口のグッズ売り場で、私は絵葉書を、娘は朱雀の絵柄の携帯の画面クリーナーを買いました。平成館で話題の8Kハイビジョンで宗達の「風神雷神」の映画を見て、今回来られなかった弟クンへのおみやげとして、娘は風神雷神の絵柄のクリアファイルを買いました。
7時すぎの本館の前は、5時のときよりもさらに列が長く伸びていて、60分待ち。娘も「5時から並んで正解だったね」と、すごい人数にキトラ古墳人気をもういちど確認しました。
5月2日のキトラ古墳観覧者は、4月22日にオープンして11日目で5万人に達し、5万人目の入場者にプレゼント贈呈があったそうです。プレゼントは逃したけれど、休憩コーナーで娘とおしゃべりしながらやすみ、また、次の部屋へいく、という博物館見学もいいもので、楽しかったです。
上野駅構内の「三代目たいめいけん」で、私はハンバーグシャリアピンソース、娘はオムライスを食べ、息子の夕食用と明日の朝ごはん用ににメルヘンのサンドイッチを買って帰宅。
娘とすごしたゴールデンウイークの博物館。よい一日になりました。
<つづく>
ぽかぽか春庭日常茶飯事典>十四事日記5月(1)キトラ古墳壁画を見る
5月2日。授業の連絡ノートを記録する仕事が残っていたのですが、どうせ、次回に授業する先生は、連休後の5月7日になるのですから、そう急がなくてもいいと判断して、日本語単語テストの採点と、宿題チェックだけ済ませて大急ぎで駅へ。
娘と上野駅で待ち合わせ。西洋美術館の庭を通り抜けて、科博の前をすぎて、東京国立博物館へ。西洋美術館を通り抜けるのは、庭に展示してある地獄門、カレーの市民、考える人、ブールデルの弓を引くヘラクレスなどの彫刻を見るためです。無料の彫刻見物。
東博の本館前には、長蛇の列。係員がプラカードを掲げて、「館外で40分待ち、本館内で30分待ち、最後尾はこちらです」と叫んでいます。キトラ古墳壁画を見るためにものすごい列を作っている、という話は、4月下旬に東博に行ってきた息子からの報告を聞いていたので、覚悟はしていました。息子は、学部の「博物館実習」という授業の助手(テイーチングアシスタントTA)をしていて、博物館学芸員の資格をとる学生たちを引率して、東博本館の見学をしたのです。息子たちは、キトラ古墳壁画は見なかったのですが、入場待ちの人の列が本館前から平成館前まで伸びていて、60分待ちという、ディズニーランドアトラクション並みの列だったと報告していました。
夏日、25度になったという初夏にしては暑い日差し。「この中での40分待ちはきついよ」という娘の意見で、先に本館の通常展示を見ることにしました。通常展示の目玉は、「新規に国宝指定、重要文化財指定を受けた美術品の展示」です。
1階と2階の通常展示をめぐり、国宝展示室と新国宝指定展示品をじっくり見ました。
国宝「延喜式」は、平安時代、嵯峨天皇の命で編纂された「律令の施行細則です。最古の写本は、九条家伝来品の平安時代10・11世紀のもので、国宝として東博の所蔵品になっています。国政の大もととなる定めが、こうして目の前に一千年の時空を超えて残されており、法治国家として国の基盤が整えられてきたことに感銘をうけました。ぜんぜん読めませんでしたけれど。
延喜式

ひるがえって現代においては、国の大もとになる法を、時の為政者が捻じ曲げて解釈して、自分の思いのままにしようとしている、それに反対する声は小さいということ、たいへん危うい時代なのだとあらためて感じました。我が国は、権力者が自分の思いのまま法を解釈してしまってよい国ではなかったはずです。
娘は尾形光琳の「風神雷神図」を初めて見た、と大喜びでした。平成館では「栄西と建仁寺」展に、俵屋宗達の「風神雷神図」が展示されているのですが、私たちの入場券は「キトラ古墳壁画」と、常設展示のみ見ることができ、宗達の風神雷神は見ることができません。でも、本館に光琳の風神雷神が展示されていたのを見ることができ、よかったです。宗達の風神雷神は、光琳のほか、酒井抱一、鈴木其一らが模写を描いていますが、光琳の模写が一番正確なものとされています。
そのほかの新国宝指定美術品のうち、長野県中ツ原遺跡出土の土偶がとても印象深かったです。

本館の常設展示を一回り見たあと、表慶館へ。キトラ古墳関連の展示をなにやらやっていたのですが、展示ではなく美しいドームを持つ表慶館、片山東熊の設計した建物の内部を見たかったのです。表慶館が開館しているときにちょうどよく東博を訪れることがないので、ひさしぶりに中を見られてよかったです。
さて、あんなこんなとしているうちに5時。平日は5時閉館の東博ですが、金曜日夜は8時まで開館しています。東博についたとき、40分待ちだった本館の玄関から伸びていた列が、30分待ちになっていたので並ぶことにしました。娘が言うには、5時で仕事が終わった人たちは、これから並び始めるだろうから、この先列は長くなる一方だと。30分間、本を読んで待っていました。
本館1階の特別展示室。なかに入るとまずは陶板レプリカによる古墳壁画の複製見物。複製でもとてもよくできています。特に、キトラ古墳壁画の青龍の壁はカビによる劣化が著しく、展示のための移動に耐えられないほどなのだそうで、今回の展覧会でも青龍は本物の壁画は見ることができません。
レプリカの陶板を見ても、青龍の姿はまったく確認できず、顔の口から外に出ている舌の赤みが残されているだけでした。せっかく1300年の眠りから目覚めて日の目をみた壁画なのに、保存方法が適切ではなく、カビ被害を生じてしまいました。消えてしまった青龍の姿。記録から復元も可能かもしれませんが、残念なことでした。
キトラ古墳の立体模型なども展示してありました。
古墳内部の青龍。白虎、朱雀。玄武。四神の下に、それぞれ3体ずつ十二支の獣面(獣頭)人身像が描かれています。ただし、北壁の玄武(亀と蛇)のもとに「子(ね)」、東壁の青龍のもとに「寅(とら)」、西壁の白虎のもとに「戌(いぬ)」、南壁の・朱雀の「午(うま)」が見つかったのですが、他の十二支の姿は発見時にすでに見ることのできない状態でした。
レプリカ陶板の青龍図の左下に、唐風の衣服を着た獣面の男子が描かれていて、これが 十二支の寅の姿なのだと、陶板の脇の解説を読まなければ見落としてしまったことでしょう。
本物の壁画は、壁から切り離された絵の部分なので、思ったよりずっと小さい壁です。係員が「立ち止まらずに進みながらごらんください」と大声で注意しており、じっくり見ることはできません。60分待って対面。見ていられたのは、朱雀30秒、白虎30秒、玄武30秒といったところでしょう。一番姿かたちがはっきり残っているのは玄武でした。
キトラ古墳壁画・玄武

出口付近には高松塚の飛鳥美人の写真も展示されていましたけれど、キトラ古墳壁画、もうちょっとゆっくりみたかったです。
出口のグッズ売り場で、私は絵葉書を、娘は朱雀の絵柄の携帯の画面クリーナーを買いました。平成館で話題の8Kハイビジョンで宗達の「風神雷神」の映画を見て、今回来られなかった弟クンへのおみやげとして、娘は風神雷神の絵柄のクリアファイルを買いました。
7時すぎの本館の前は、5時のときよりもさらに列が長く伸びていて、60分待ち。娘も「5時から並んで正解だったね」と、すごい人数にキトラ古墳人気をもういちど確認しました。
5月2日のキトラ古墳観覧者は、4月22日にオープンして11日目で5万人に達し、5万人目の入場者にプレゼント贈呈があったそうです。プレゼントは逃したけれど、休憩コーナーで娘とおしゃべりしながらやすみ、また、次の部屋へいく、という博物館見学もいいもので、楽しかったです。
上野駅構内の「三代目たいめいけん」で、私はハンバーグシャリアピンソース、娘はオムライスを食べ、息子の夕食用と明日の朝ごはん用ににメルヘンのサンドイッチを買って帰宅。
娘とすごしたゴールデンウイークの博物館。よい一日になりました。
<つづく>