2014/05/10
ぽかぽか春庭日常茶飯事典>十四事日記5月(5)長谷川町子美術館
1949年に新聞連載開始したサザエさん。アニメ化作品も、1969年の放送開始以来、常にテレビ視聴率の上位に位置していて人気が衰えない「国民的アニメ番組」です。
カツオや波平の声優が亡くなって2代目になったり変化はありますが、サザエさんを知らない日本在住者はいないだろうと思うくらい知られています。ただし、ドラエモンがアジアにひろく知られ、ワンピースがヨーロッパでも人気、というのと比べると、長谷川町子の意向で国外に作品が出されることはなく、ドメスティックアニメだなあと感じます。
私は、漫画単行本や新聞掲載作品は見ていますが、日曜日の週間としてアニメを見るということはなかったのですが、むろん、サザエ一家のことは実際のとなりの一家のことよりよく知っています。おそらくサザエ一家は、日本中の「うちの親戚の一家」なのだろうと思います。

長谷川町子とマネジャーであった姉毬子が収集した絵画を展示している美術館。また、長谷川町子作品の著作権管理を行っている財団法人がこの美術館です。桜新町が町おこしのとして美術館と協力し、サザエ通りを作ったり、サザエカフェをオープンしたり。カフェの正式店名は「Lien de SAZAESAN(リアン・ドゥ・サザエサン=サザエさんの絆)」だって。
カフェにはよらず、美術館で展示の絵や長谷川町子漫画の部屋を観覧。
中学校の国語科教師として赴任したとき、生意気盛りの中学生達に最初につけられたあだ名が「サザエさん」でした。教室に入るなり「あ、返却しなきゃいけない漢字小テスト忘れた」などと言って職員室へ駆け戻るようなおっちょこちょいのところと、当時の私のヘアスタイルがサザエさんのような髪型に見えた、という理由だったみたいです。私としてはもうひとつつけられた、テレサ・ナインのほうが気に入っていましたけれど。テレサ・テンより一格落ちるという意味だったとか、胸の大きさをボインコインナインの3段階で表現するのが流行した当時で、ペチャパイのナインだったからという理由だったらしいから、いずれにせよ、中学生としては精一杯教師を馬鹿にしたつもりだったのでしょう。
そんなことを思い出しながら、美術館のソファで、女子高クラスメートのやっちゃんえっちゃんとおしゃべりしてすごしました。
えっちゃんが言うには、「女子高のころのハルちゃんは、とにかくこわい存在で、こちらがひとこと言うと、ばばばばって機関銃のようにことばを繰り出して反論されるので、こわくて話しかけられなかった」。
すみませんねぇ。ことばの鎧を着込んで、ことばの高射砲をぶちかますほかに我が身を守る方法がわからなかったんです。私には唯一の防御と思えたのですが、他のクラスメートからすれば攻撃的アグレッシブの一言でしたね。だから、私と話すのはクラスの中でもごく狭い何人かだったと思います。そんな中、やっちゃんは誰にでもきさくに声をかけてくれる人で、自分からは人に話しかけられない私も友達になれたのです。やっちゃんのおかげで女子高時代を無事に通過できました。
えっちゃんは「ハルちゃんがこんな話しやすい人だとは思っていなかった。高校時代にもっと話せばよかったね」という感想。

バスで渋谷に戻る途中、駒沢公園近くに家があるえっちゃんは下車。やっちゃんが湘南新宿ラインで電車に乗るのに付き合いました。やっちゃんといっしょにすごせて、うれしかった。やっちゃんは、今も私のヒーローです。
あはっ、もうひとりのクラスメートえっちゃんの旧姓も、女子校時代どんな子だったのかも、最後まで思い出せませんでした。申し訳ない。
<つづく>
ぽかぽか春庭日常茶飯事典>十四事日記5月(5)長谷川町子美術館
1949年に新聞連載開始したサザエさん。アニメ化作品も、1969年の放送開始以来、常にテレビ視聴率の上位に位置していて人気が衰えない「国民的アニメ番組」です。
カツオや波平の声優が亡くなって2代目になったり変化はありますが、サザエさんを知らない日本在住者はいないだろうと思うくらい知られています。ただし、ドラエモンがアジアにひろく知られ、ワンピースがヨーロッパでも人気、というのと比べると、長谷川町子の意向で国外に作品が出されることはなく、ドメスティックアニメだなあと感じます。
私は、漫画単行本や新聞掲載作品は見ていますが、日曜日の週間としてアニメを見るということはなかったのですが、むろん、サザエ一家のことは実際のとなりの一家のことよりよく知っています。おそらくサザエ一家は、日本中の「うちの親戚の一家」なのだろうと思います。

長谷川町子とマネジャーであった姉毬子が収集した絵画を展示している美術館。また、長谷川町子作品の著作権管理を行っている財団法人がこの美術館です。桜新町が町おこしのとして美術館と協力し、サザエ通りを作ったり、サザエカフェをオープンしたり。カフェの正式店名は「Lien de SAZAESAN(リアン・ドゥ・サザエサン=サザエさんの絆)」だって。
カフェにはよらず、美術館で展示の絵や長谷川町子漫画の部屋を観覧。
中学校の国語科教師として赴任したとき、生意気盛りの中学生達に最初につけられたあだ名が「サザエさん」でした。教室に入るなり「あ、返却しなきゃいけない漢字小テスト忘れた」などと言って職員室へ駆け戻るようなおっちょこちょいのところと、当時の私のヘアスタイルがサザエさんのような髪型に見えた、という理由だったみたいです。私としてはもうひとつつけられた、テレサ・ナインのほうが気に入っていましたけれど。テレサ・テンより一格落ちるという意味だったとか、胸の大きさをボインコインナインの3段階で表現するのが流行した当時で、ペチャパイのナインだったからという理由だったらしいから、いずれにせよ、中学生としては精一杯教師を馬鹿にしたつもりだったのでしょう。
そんなことを思い出しながら、美術館のソファで、女子高クラスメートのやっちゃんえっちゃんとおしゃべりしてすごしました。
えっちゃんが言うには、「女子高のころのハルちゃんは、とにかくこわい存在で、こちらがひとこと言うと、ばばばばって機関銃のようにことばを繰り出して反論されるので、こわくて話しかけられなかった」。
すみませんねぇ。ことばの鎧を着込んで、ことばの高射砲をぶちかますほかに我が身を守る方法がわからなかったんです。私には唯一の防御と思えたのですが、他のクラスメートからすれば攻撃的アグレッシブの一言でしたね。だから、私と話すのはクラスの中でもごく狭い何人かだったと思います。そんな中、やっちゃんは誰にでもきさくに声をかけてくれる人で、自分からは人に話しかけられない私も友達になれたのです。やっちゃんのおかげで女子高時代を無事に通過できました。
えっちゃんは「ハルちゃんがこんな話しやすい人だとは思っていなかった。高校時代にもっと話せばよかったね」という感想。

バスで渋谷に戻る途中、駒沢公園近くに家があるえっちゃんは下車。やっちゃんが湘南新宿ラインで電車に乗るのに付き合いました。やっちゃんといっしょにすごせて、うれしかった。やっちゃんは、今も私のヒーローです。
あはっ、もうひとりのクラスメートえっちゃんの旧姓も、女子校時代どんな子だったのかも、最後まで思い出せませんでした。申し訳ない。
<つづく>