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ぽかぽか春庭「火箭(ひや)」

2014-05-27 00:00:01 | エッセイ、コラム
2014/05/27
ぽかぽか春庭ことばのYa!ちまた>十四事(3)火箭(ひや)

 「ひや」とは何かというに。火矢と書いた場合、第一義として、矢の先に油を染みこませておき、点火してから敵をめがけて放たれる武器です。主に、敵の家屋や武器庫の焼き討ち用に用いて、敵の勢力を削ぐために使いました。
 矢先にしみ込ませた油に点火して放ち、矢のへらの部分(篦「の」と読みます)の部分に火薬をに詰めこんだものが、石火矢・棒火矢などに発展していきました。

 また、火をつけた矢を空中に放つことによって、遠く離れた場所にいる見方に連絡する信号として用いることもありました。火の色、煙、音によって通信ができました。
 無線などの通信技術が発達するまでは、艦船からの通信は、火矢によって行われたのです。

 中国では、古くより火薬をつめた矢をロケット式発射器でうちあげて兵器として使用していました。現在でもロケット砲を火箭と呼ぶのは、このためです。
 現代中国では「火箭」とは、弾道ミサイルやロケットをさします。「中国運載火箭技術研究院」では、中国製ロケットを製造しています。 
 第二次世界大戦中に武器としてのロケット砲は各国によって競って開発されました。

 中国で火薬仕様による火箭が発達したのに対して、日本では火薬をつかった武器は発達しませんでした。なぜなら、火薬武器製造に欠かせない木炭、硫黄、硝石のうち、木炭と硫黄の供給は国内でできましたが、硝石は貴重な輸入品だったからです。

 元寇のころの火矢は、文字通り矢の先に火をつけて放つものでしたから、海上の艦隊から放たれても、海を隔てればそれほどの威力はありませんでした。 
 日本人が中国式の火箭の威力を目の前で見たのは、豊臣秀吉による朝鮮出兵時、明や朝鮮の兵士がロケット砲を打ち込んできた時でした。
 しかしそれでもなお、日本はロケット砲を自国の武器に取り入れませんでした。

 火薬を用いる打ち上げ式の火箭は、日本では江戸中期になって発達しました。武器としてではなく、「打ち上げ花火」としてです。江戸時代中期、打ち上げ花火は「流星花火(龍勢花火)」として人気を集めました。
 武器ではなく、花火。なんてすてきな火箭でしょう。

 夏の夜、また今年も打ち上げ花火、見に行きたいです。武器ではなく、夜の花としての火箭。

 火箭のもうひとつの発展の形。轟音とともに白い煙を吐き出し、火を噴きながら空へと駆け上がっていくロケット。
 5月24日のお昼のニュースを見ていたらロケットH2Aの打ち上げ成功を報じていました。鹿児島県の種子島宇宙センターから打ち上げられ、約15分後、搭載していた陸域観測技術衛星「だいち2号」を予定軌道に投入しました。だいち2号は、災害時の状況把握や地図作成、資源探査などに使われる観測衛星です。

 昔はロケット打ち上げのニュースというと失敗の報道ばかりだったのけれど、現在の打ち上げ成功率は95~96%に。青い空を登っていくH2Aの姿をテレビ画面で見ていて、日本の火箭が災害時に役立つような平和利用につながってよかった、と思いました。がんばれ「現代の火箭」

<つづく> 
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