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ぽかぽか春庭「騎その2」

2014-05-22 00:00:01 | エッセイ、コラム
2014/05/22
ぽかぽか春庭ことばのYa!ちまた>十四事(1)騎その2

 2014年、としの初めに十四事について、お話しました。
 「十四事」とは、江戸時代武士の武芸心得のうちの代表14種類。流派によって多少のちがいはありますが、射(弓道)・騎(馬術)・棒(棒術)・刀(剣道)・抜刀(いあい)・撃剣(刀剣、槍などで相手を切るのではなく、打って倒す)・薙刀(なぎなた)・鎌・槍・鉄砲・石火箭(いしびや)・火箭(ひや)・捕縛(とりで)・拳(やわら)。

 このうち、年頭に弓、騎、棒、槍、石火矢、鉄砲について述べました。2014年後半に入り、残りの武術についてもお話してみます。まずは、騎についてもう一度。

 3世紀ごろの中国史書『魏志倭人伝』に「この国に牛馬、虎豹、羊鵲なし」という記述があります。当時の中国では馬牛羊などの家畜、虎、豹などの動物、鳥のカササギはどこでも目にできる動物だったのに、日本には見当たらなかったと書かれているのです。実際に観察した結果か、伝聞によるものかはわかりませんが、現在の九州から関西にかけての報告と考えられます。

 ただし、「対馬の馬」などが現在の蒙古野馬に似た品種であることなどから、邪馬台国以前に日本に馬がいなかったのかどうか、断定はできません。農耕伝来とともに、家畜馬も列島にやってきただろうと思いますが、食用の野生馬はもっと前から列島にいたことは、岩手県などの遺跡から骨が出土していることからわかります。

 群馬県は、その名が示すように、馬が群れている土地でした。6世紀半ば(AD550年)の榛名山噴火の軽石堆積層から馬の足跡が見つかっています。(子持遺跡)
 群馬県は、古墳時代中期には、広大な牧場で馬の生産が行われていた地域だったのです。優良な馬はヤマト朝廷へ献上され、大豪族が「上津毛乃国」に君臨していました。
 九州やヤマト地方以外では全国でもっとも古墳が多い群馬県。榛名山嶺の草原を馬がかけている様子が目に浮かびます。

 古代の馬は、現在の蒙古野馬(もうこ・のうま)のように、小型種であったろうと言われています。(蒙古野馬を多摩動物園で見たことがありますが、モンゴルでは野生では絶滅し、動物園でのみ飼育されている貴重な品種なのだそうです)。

 馬に詳しい友人やっちゃんの解説によると。現在のポニーは、体が小さいので小さい子の乗馬に向くと思う人もいるけれど、実はサラブレッドなどよりよほど気性が荒く、野生味を残している馬で、子供には扱えない。ひき馬で大人がついているなら子供をのせてもいいけれど、乗馬に用いるのは危険だ、ということです。

 やっちゃんは、ポニーに足を蹴られて膝を痛め、馬術競技から引退したそうで、どうもポニーには点が辛いようでした。
 古代の小型馬も気性が荒かったのではないかと思います。古墳から出土する埴輪の馬はみなかわいらしい姿なのですが。

 農耕がはじまると、農耕神、養蚕の神として馬が祀られるようになり、仏教が入ると馬頭観音という馬の頭を持つ仏様が信仰の対象になりました。母の実家のとなりに馬頭様があり、馬頭様の境内は、私の遊び場でした。子供心には、どうして馬が仏様なのかと思っていましたし、悪いことをすると馬頭様に罰を受けると聞かされて怖くもありました。

 古代史への私の疑問のひとつ。平安時代に牛車はあったのに、なぜ日本には馬車が普及しなかったのか、という質問がありました。
 馬についてやっちゃんにいろいろ教わって、馬の飼育技術について調べてみると、謎が一部とけた気がします。日本の在来馬種、南部馬にしろ木曽駒にしろ、馬車には適さない荒い気性を持つ馬だったのではないか、ということです。平安貴族には、ゆったりと動く牛がちょうどよく、馬に車をひかせるのはたいへんだったのだろうと思います。

 馬の気性の荒さは、馬の飼育技術とも関係します。
 武士が関東に勢力を持ち、騎馬軍団が形成された背景には、馬の統制、とくに去勢技術が導入されたことが大きいのではないかと推察されているとのことですが、東武士と馬の去勢技術については、まだくわしく調べていません。いつごろ、どのへんから馬の統制が行われるようになったのか。

 また、古代史に感じる私の疑問のもうひとつ。中国の習俗習慣をあれほど熱心に取り入れたヤマト政権が、宦官制度だけは取り入れなかったのはなぜか、ということです。
 西欧やモンゴル平原の馬飼育において、重要な技術はオス馬の去勢。しかし、在来種の馬飼育において、騎馬軍団が統制されるようになるまで、馬の去勢は行われなかった。おそらくは神事やそれに伴う宗教感覚によって。去勢は忌むべき事柄に属していたのだと思います。
 宮廷に仕える男子に去勢を行わなかったことと合わせて、日本には去勢の習慣が根付かなかった。このことは中国との大きな違いです。

 オシラサマ信仰譚のひとつに、馬とヒトの女性との結婚があります。高貴な姫と馬とが結ばれるという伝誦。これなども、種馬以外の馬は去勢する習慣があった地域にはありえない民間伝誦だろうと思います。
 日本がかっては母系社会であり、稲作の中心となる太陽神、月読神、食物神とも女性神であったこととおそらくは関係しているのでしょうけれど、後宮に去勢された男性を導入することはありませんでした。

 武芸十四事のうち「騎(馬術)。日本における馬車の未普及、宦官の非成立について、考えめぐらしましたが、まあ、結論はでません。でも、こうやって疑問点をかいておけば、「こういう資料に書いてある」というお知らせもあるやもしれず。

<つづく>
コメント (4)
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