2014/05/25
ぽかぽか春庭ことばのYa!ちまた>十四事(3)やわら
剣道の世界で榊原鍵吉(1830 - 1894)が江戸と明治をつないだことは、一般の人にはそれほど知られていないのに対して、江戸の柔術から現代の柔道へつないだ嘉納治五郎(1860 - 1938)の名は、柔道を習ったこともない私でも知っていました。明治の講道館柔道の創始者、そして柔道がオリンピック種目になるに至る世界スポーツとして発展する基礎を築いた人として、有名です。
兵庫県の名家に生まれ、自身を強くしたいと柔術を志願。しかし、両親は虚弱なからだの悪化を心配して許してくれませんでした。1877年に官立東京開成学校から大学となったばかりの東京大学に入学すると、さっそく柔術を習おうとしました。しかし、明治10年、柔術は師範を探すことすら難しいほど衰退していました。
ようやく見つけた師範、天神真楊流柔術の福田八之助に柔術指導を受け、福田の死後、学習院、東京高等師範などで教師として働きながら、柔術を理論面から整備しました。
1882(明治19)年、上野に講道館を設立して段位性を儲けるなど、柔術から柔道へと武道の発展をはかりました。
1909(明治42)年には日本人初のIOC(国際オリンピック委員会)委員に就任。日本が国際スポーツの場にデビューした1912(大正元)のストックホルムオリンピックでは団長として選手を率いました。
という嘉納治五郎の功績は、彼をモデルとする『姿三四郎』『柔道一代』ほかの文学映像作品で、よく知られているし、浦沢直樹の漫画、アニメ作品YAWARA!』に出てくるヤワラちゃんのじいちゃん猪熊滋悟郎も、嘉納治五郎を彷彿とさせる柔道家になっています。
「ヤワラちゃん」の愛称で女子柔道を牽引した谷亮子も今や国会議員の先生。2013年には柔道連盟の理事に就任。女子柔道もますます発展していくことでしょうね。
先週金曜日の授業で「私の好きな日本の食べ物は〇〇です」「私の好きなスポーツは〇〇です」という文型の口馴し練習をしていたら、スペイン人なのに「私のきらいなスポーツはサッカーです」という学生がいました。「じゃ、何がすき?」とたずねると「マーシャルアーツ」といいます。「うん、日本語でいうと格闘技かな」と、説明したのですが、そのあと、マーシャルアーツと格闘技と重ならない部分もあるような気もしてきました。柔道などもマーシャルアーツと言っていいんだっけな。
マーシャルアーツは、もともとは中国武術の翻訳語として欧米に伝わり「東洋武術」というように受け取られているそうです。
受け持った留学生のなかに、日本語教育を終了したあと、千葉にある国際武道大学に進んだ学生がいます。はじめて国武大の名を聞いたときは「え?そういう大学があったの?」と思いましたが、1984年に設立された武道やスポーツ研究を中心にした体育系の大学でした。留学生は柔道を専攻し指導法をならって国の柔道普及を行うのだと意気込んでいました。今頃母国で柔道を教えているのかなあと想像しています。
<つづく>
ぽかぽか春庭ことばのYa!ちまた>十四事(3)やわら
剣道の世界で榊原鍵吉(1830 - 1894)が江戸と明治をつないだことは、一般の人にはそれほど知られていないのに対して、江戸の柔術から現代の柔道へつないだ嘉納治五郎(1860 - 1938)の名は、柔道を習ったこともない私でも知っていました。明治の講道館柔道の創始者、そして柔道がオリンピック種目になるに至る世界スポーツとして発展する基礎を築いた人として、有名です。
兵庫県の名家に生まれ、自身を強くしたいと柔術を志願。しかし、両親は虚弱なからだの悪化を心配して許してくれませんでした。1877年に官立東京開成学校から大学となったばかりの東京大学に入学すると、さっそく柔術を習おうとしました。しかし、明治10年、柔術は師範を探すことすら難しいほど衰退していました。
ようやく見つけた師範、天神真楊流柔術の福田八之助に柔術指導を受け、福田の死後、学習院、東京高等師範などで教師として働きながら、柔術を理論面から整備しました。
1882(明治19)年、上野に講道館を設立して段位性を儲けるなど、柔術から柔道へと武道の発展をはかりました。
1909(明治42)年には日本人初のIOC(国際オリンピック委員会)委員に就任。日本が国際スポーツの場にデビューした1912(大正元)のストックホルムオリンピックでは団長として選手を率いました。
という嘉納治五郎の功績は、彼をモデルとする『姿三四郎』『柔道一代』ほかの文学映像作品で、よく知られているし、浦沢直樹の漫画、アニメ作品YAWARA!』に出てくるヤワラちゃんのじいちゃん猪熊滋悟郎も、嘉納治五郎を彷彿とさせる柔道家になっています。
「ヤワラちゃん」の愛称で女子柔道を牽引した谷亮子も今や国会議員の先生。2013年には柔道連盟の理事に就任。女子柔道もますます発展していくことでしょうね。
先週金曜日の授業で「私の好きな日本の食べ物は〇〇です」「私の好きなスポーツは〇〇です」という文型の口馴し練習をしていたら、スペイン人なのに「私のきらいなスポーツはサッカーです」という学生がいました。「じゃ、何がすき?」とたずねると「マーシャルアーツ」といいます。「うん、日本語でいうと格闘技かな」と、説明したのですが、そのあと、マーシャルアーツと格闘技と重ならない部分もあるような気もしてきました。柔道などもマーシャルアーツと言っていいんだっけな。
マーシャルアーツは、もともとは中国武術の翻訳語として欧米に伝わり「東洋武術」というように受け取られているそうです。
受け持った留学生のなかに、日本語教育を終了したあと、千葉にある国際武道大学に進んだ学生がいます。はじめて国武大の名を聞いたときは「え?そういう大学があったの?」と思いましたが、1984年に設立された武道やスポーツ研究を中心にした体育系の大学でした。留学生は柔道を専攻し指導法をならって国の柔道普及を行うのだと意気込んでいました。今頃母国で柔道を教えているのかなあと想像しています。
<つづく>